すべて、と言いつつニュートリノを例外にしたりするが?
まあ、数学の証明と比べた物理論理は「すべての奇数を素数だと証明」してしまうのだそう。1は素数だと最初に言い、2は偶数にして素数だが例外、逆だから言う必要ないなんて気にしない、3は素数5も素数で7も素数、9は合成数だがこれも例外、その証拠に11も素数で13も素数、ゆえにすべての奇数は素数である、ですって。純粋数学と比べると物理論理ってそう言い張ってるようなモンだそう、そうやねんて。
数学の本質は自由性にあるが物理は原理などで縛られるw
いろいろ異なりますのや、もちろん、原理やアテになる法則なしでは物理学とは言わない、それは当然ですな。比べたら数学の公理公準はアテになるまとめのようなモノであって、ま、縛りではなく、そう。超光速ニュートリノ騒ぎにしたって、光速度一定原理に背を向けるほどの現象は無かったとまとめられますねん、そうやねん。標準模型はエネルギー非保存を仮定しているとか、微細構造定数の定数性を否定とか、いろいろやってくれてるけど、いまにその理由で瓦解するだろう。
いや、話題を修正して本題に戻してゆかんならん、そうw
宇宙原子アトムが無限増殖するのがユニバーサルフロンティア理論のインフレーション期だが、それと似たようなプロセスで中心電荷が無限増殖するのがくり込み理論の基礎だと思うんですがな、そう。量子インフレーションとは違って時間順行と逆行とを繰り返すので時間経過が0、それこそあっと言う間もなく無限増殖して自己場の影響による無限大を避けている、そう。
これはユニバーサルフロンティア理論の副産物ですのや!
本当、数学と物理は全然違うものですよね。
にも関わらず私の出身高校は、数学と物理を似たようなものであると言っていますし、昔のブロ友さんも、大学講師であるにも関わらず、似たようなものと言ってしまっています。
その点、私の大学は、物理はあくまで数学をツールとしてたまたま他の科目よりも多くそれを利用しているだけ、と言明しています。
本当、物理は原理などで縛られるものですよね。
数学はある程度自由でいいんですよね。
同様に、同じ「文章読解」でも、「道徳」という科目はある程度自由でいいけど、「国語」(日本語)は、論理で縛られるもの。
私の、ユニバーサルオーティスム理論(以下、「UAT」)も、日常の日本語の意味を、きちんと論理で縛って説明します。
例、「いじめをする人間は、勝者なので強い。
いじめを受ける人間は、敗者なので弱い」
このような当たり前のことは、ちゃんと通します。
発達障害のことは、医者に聞かずに私に聞いたほうがいいのはそのため。