日本で学問を最初から手掛けた例というのは多くないがw
湯川秀樹の中間子論が珍しい実例と言えますけど、日本は直後の二中間子論から先は鳴かず飛ばずでしたのや、そう。南部陽一郎は、むしろゲルマンらが先発隊である次をやった人と言うべきだと存じます、電弱統一は関係なかったし、そうなんです。そら、南部はパイオニアだったとする声が国内では多いですけど、ワシらにとって南部先生はアメリカの助っ人というイメージが強いです、はあ。
それでも南部理論には学問の黎明期らしさがありますね?
脆弱で頼りないが新しいというトコロから始まってる理論だ、そうかもワカリマセンよね、ええ、本当に国内の話じゃ無かったのが残念ですのや、へえ。日本国内では、なぜか中間子論がそうでしたけど、なぜなのかそう言ったイメージが薄いです、はあ。湯川理論はある種の応用だったのでしょうか、ワシらにはうかがい知ることはデキマヘンけど、あるいは最初から完成度が高かったのでしょうか、そう、南部理論の方が基礎的ですよね、はあ。
赤ん坊のような学問から始まった、それが当理論の秘密w