ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

論理に禁則を増やすよりも新しい価値を見出すべきかも?(3)

2015年01月01日 | 新論理学
あっと驚くことに自己言及の禁止と述語命題に主語の名を付けることを禁則とすることは同じことなのです・・。

というより、そもそもクォーク命題とは自己言及文だと即断してかまいません!

原子命題「太郎は犬を飼っている」に主語の名を付けると太郎「太郎は犬を飼っている」というクォーク命題になりますが、これを自己言及文として表現し直しますと「この人は犬を飼っている」となります。それに対して「その人は犬を飼っていない」を否定形として扱って太郎じゃないことにすれば反クォーク命題として¬太郎「太郎は犬を飼っている」となるので、両者を合わせて中間子文として「太郎は犬を飼っており、犬を飼っていないのは太郎じゃない」という意味の文になります。

もちろんこれはゲーデル並みの意訳ですが、論理規則として排除されている形式ではございませんw)

ですから「自己言及を禁止する」あるいは「述語命題に主語の名を付けるは禁則とする」ことによって健全化を図るとしたら、それが原因でゲーデルの論証自体が完全に無になるでしょう。しかし、そのような規則を増やして、例えばカリー命題のような部分的な自己言及による不合理じみた事態を消し去ってもいかにもつまりません。私の持論ではカリー命題「この文が正しいならば,A」は(T⇒A)というごく単純な内容なのです。(T⇒A)⇔(F∨A)⇔Aという風に、この文章が意味することはただ単にAなのです。

またクォーク命題および反クォーク命題の定式はそのままで全称になります・・。

G「Gは証明できない」

G⇔「Gは証明できない」

(¬G∨「Gは証明できない」)∧(「Gは証明できる」∨G)

(¬G∨G)∧(¬G∨G)

T∧T

T など

ですからクォーク命題を造ること自体は論理規則によってけっして禁じられません!

クォーク命題は自己言及文の意味を持っておりますから自己言及文は禁じられず、嘘つき命題はどうかと言いますと、それはZ「Zは間違い」というクォーク命題になるでしょう。中間子文Quark(Z)∧¬Quark(¬Z)の意味は「Zは間違いであって、正しいのはZではない」という強調となり、これらは合理化であって禁則にはできません。

これが世界初の嘘つき命題の完全合理化です、嘘つきが矛盾した命題などと流布しておりますが、彼は誤りです・・。

ゲーデルを反証した論証をリファインしますと、

1)数学の完全性を仮定するとQuark(G)が証明できないと¬Quark(¬G)が証明できるとは同値

2)¬Quark(¬G)が証明できると仮定すれば定式よりQuark(G)が証明できるので数学は不完全である

3)であれば¬Quark(¬G)を仮定することにより中間子命題Quark(G)∧¬Quark(¬G)が成立するので矛盾はない

4)この論述によって数学の無矛盾性を論じることはできない

ゲーデルの論述は自己言及を禁則にされなくてもこのようにして頓挫します、数学の不完全性は不完全性定理と無関係な決定不能命題によってもたらされており、不完全性定理はまったく意味を失います。



ゲーデル信者たちよ、正月元旦そうそう縁起でもないが、あまり悪く思わないでくれ!




コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 論理に禁則を増やすよりも新... | トップ | クォーク命題の徹底的検討か... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
それで山野命題Yだった話 (buturikyouiku)
2015-01-02 09:57:28
不合理の原因は、

「この命題は証明できない」が数学命題だとすると、それはフォルダのように複数の命題を含むことのできる命題集合でなければならず、その否定命題はやはり「この命題は証明できる」出なければおかしいと私は思う。それでG「Gは証明できない」の否定が¬G「Gは証明できる」ではG∧¬Gにアノーマリーが生じてしまうのであるだろう。

自己言及命題の否定は二種類考えられる。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

新論理学」カテゴリの最新記事