数学に論争ナシとは前世紀中頃から言われていたコトw
それ以前といったら数学で論争というか、口論をしては決闘したりしてたらしい、おお怖っ、ぶるぶる、寒うー。かのハンガリーの英雄若き日のボリアイは、彼は非ユークリッド幾何学の先駆者なんだが、なんと十三人と決闘して十三連勝したらしい、猛者だなア~。
体制と反体制の問題などではマッタクあり得ない、そうw
なお、ある種の流行語となっておる「ぜんぜん」はこの場合の「マッタク」と同じように使うモノであり、否定形に繋げるのが正しい用法であり、ぜんぜん良いなんて語法は間違いのコンコンチキなんだゾ、そう。
流れに乗るというのも変な言葉で気になりますよネエーw
流れという言葉に近い言葉は「時流に乗る」の時流なんだけど、その場合にも流れに乗るとは元来言わない、そこは「波に乗る」って言う、そうですのや。時流に乗るというのは良いようでいて、ま、流されるというか河童の川流れというか、な、そうですやろ、そう。学問でも芸術でも純粋な分野ではちょっと無理じゃないですか。
マジョリティーとかマイノリティーの問題でもないです!
学問というのは論理的に考えられるそれだけでは対等な学説が互いに張り合うモノ、そうですやろ。理論物理学みたいに思考実験で答えが割り出せるなんてことに慣れっこになると、論証していくだけで結論が得られるから論争は要らないと正気で思ってしまう、そう。京大名誉教授の森毅は「数学は説得術だ」と言った、数学ですらそうなんだぞ、そう、物理学に論争が要らないわけがない。量子力学のパラドクス問題でも、ベルのように説明したらパラドクスでも、ワシのように説明したら違いますがな。
ABC予想の証明問題では数学でも論争が再発しそうだ?