ゲーデル命題にまつわる矛盾とか不完全とかいうのは二値論理によるふつうの意味ではなかったようですねw
例の有名な「無矛盾な数学体系は己の無矛盾を証明することがデキない」というくだりは、今の今までゲーデル一流の意訳であるとされてきましたが、私としては「おそらくその意訳は間違っているだろう」と指摘せざるを得ません。ゲーデル命題は「無矛盾排中律によれば不完全であり完全排中律によれば矛盾する命題」=【決定不能命題】だということです。ゲーデルは「数論にはゲーデル命題が存在する」ということを示したのですよねえ。惜しいことにはゲーデルには数学を疑うことがデキませんでした。
ゲーデルの病名は人格障害でしたけど、私としてはその病名は数学上の過ちの象徴だったと思えてなりません・・。
ニーチェなどにも言えますが、気が狂って死んだやつの哲学なんか糞喰らえです!
ですから逆説的でなんですけどWikipediaの著述などには不完全性定理の真価がまったく示されておりませんよね。ゲーデルは「そのような命題が数論の体系に存在していること」を不動点定理などを用いて念入りに証明していったはずではありませんか。もちろん、そうなった原因はゲーデル本人による程度の悪い意訳によるわけですが、ようするにゲーデルは意訳によって自分自身最大の功績をピーマン(=中身ナシ)にしてしまったということなのです。ゲーデル命題には数学の無矛盾性などという意味はまったくないと存じます。
Gの意味は数学の無矛盾性などではなく、¬Gの意味は数学の矛盾性などではないのですがなw
❝数学には「真であれば偽でなく偽であれば真でない」に照らし合わせれば不完全であり「偽でなければ真であり真でないならば偽である」に照らし合わせれば矛盾であるような命題、それは決定不能命題を意味する、が存在せざるを得ない❞
これが不完全性定理の本当の意味だったわけですよ・・。
さあー、驚けw(ゲーデルの野郎、惜しかったw)
例の有名な「無矛盾な数学体系は己の無矛盾を証明することがデキない」というくだりは、今の今までゲーデル一流の意訳であるとされてきましたが、私としては「おそらくその意訳は間違っているだろう」と指摘せざるを得ません。ゲーデル命題は「無矛盾排中律によれば不完全であり完全排中律によれば矛盾する命題」=【決定不能命題】だということです。ゲーデルは「数論にはゲーデル命題が存在する」ということを示したのですよねえ。惜しいことにはゲーデルには数学を疑うことがデキませんでした。
ゲーデルの病名は人格障害でしたけど、私としてはその病名は数学上の過ちの象徴だったと思えてなりません・・。
ニーチェなどにも言えますが、気が狂って死んだやつの哲学なんか糞喰らえです!
ですから逆説的でなんですけどWikipediaの著述などには不完全性定理の真価がまったく示されておりませんよね。ゲーデルは「そのような命題が数論の体系に存在していること」を不動点定理などを用いて念入りに証明していったはずではありませんか。もちろん、そうなった原因はゲーデル本人による程度の悪い意訳によるわけですが、ようするにゲーデルは意訳によって自分自身最大の功績をピーマン(=中身ナシ)にしてしまったということなのです。ゲーデル命題には数学の無矛盾性などという意味はまったくないと存じます。
Gの意味は数学の無矛盾性などではなく、¬Gの意味は数学の矛盾性などではないのですがなw
❝数学には「真であれば偽でなく偽であれば真でない」に照らし合わせれば不完全であり「偽でなければ真であり真でないならば偽である」に照らし合わせれば矛盾であるような命題、それは決定不能命題を意味する、が存在せざるを得ない❞
これが不完全性定理の本当の意味だったわけですよ・・。
さあー、驚けw(ゲーデルの野郎、惜しかったw)