創始者の発想をナイーヴだなんてコケにしてて良いかね?
ポップロックの世界にソフティケイテドサウンドと言う言葉がございますけど、ありていに言うならば後で弄り倒した人工的な音が大半ですのや、そう。物理学の世界の言葉だって本当はそう、初期のナイーヴに対して原形をとどめておらないぐらいに加工された理論をソフティケイテドと言いますのや、そう。ワシらならどう進展してきた結果か知りたいところを、結果だけを得る方法はこうだと言わんばかりの暴挙ですのや、そう。
グラショウ著「クォークはチャーミング」を読んでみよw
ナイーヴに考え得た方が何と生き生きとしていて美しく実体感があることか、グラショウは優れた物理論文は良くできた短編小説のようだと表現していますがな。ま、ワシのユニバーサルフロンティア理論は叙事詩的にしか書けんがな、今までのところはな、で、それはグラショウに言わせると数学的な詩文なのだそうだよ、へえ。って、実際に読んでもらったことは無いがな、前述の書物に照らし合わせるとだな、そうなんじゃよ、そう。
どうしても一行一行に意味があるように結論を並べますw
そこをもっと散文的に、しかも良くデキた短編小説のように端的に書けと、んー、大権威グラショウだなア~、ちびしいー。ま、マゾヒスティックに己に強いて頑張ってみますわ、へえ。ソフティケイテドということになると、グラショウ理論にとっての『ワインバーグ=サラム理論』という話にもなりますけど、グラショウにかかったら「WS理論はトイレだ」とまで抜かす始末、やれやれ。そこらのセリフの当否までは判定できないですがね、まあ、ワシとしたら心の師をグラショウにして邁進していこうと思っておる次第、ま、ワシとてライバルにあたる理論の持ち主だけどね、そう。
読者諸賢もせいぜいご贔屓に、よろしゅう!( ´艸`)ノ☆彡