http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2007042403440.html
SLACを始めとしてアメリカでは“両方”であって、さらに「ヒグシオンによっては我われを形成しているudクォークの質量は微々たるもの」だが「クォーク凝縮によって残りの大半の質量を説明できる」のだ、と話しています。それにしてもハドロン内でクォークがランダムにそれ相応の速度を持っているというのは私にはまだ納得しかねます。つまり『往復機構』は必ず存在しているように思うのです。それとクォークの『封じ込め』じゃなくてゲージ場の『締め出し』じゃないかという私の意見だって(後者だけじゃなく)両方とも採用しているのが“宇宙の機構”というものかもしれないです。
そういや、封じ込められていないと色の変化が自由でなくなるような気がいたします!
そして封じ込められているならばゲージ場を締め出せる、その締め出しがヒグス場にまで及んでいたら(スピン0のゲージ力ということになるのでHISYです)「ハドロン内ではヒグス質量は考慮されない」という成果が得られるのです。どーしてこれが成果なのかと問えば「ハドロン内ではπ中間子はudクォークのちょうど二倍として振る舞うことが可能」だということから「ハドロン内ではクォークはちょっとずれた往復運動をしている」ということが言いやすくなります。その往復の両端において色変化をするものですからクォーク凝縮もまた変化に応じてチカチカする・・・、そのチカチカによって抵抗もまた増大して“水あめのように”ねっとりと大きな質量を獲得させるのだと思いました。
つまりUFTにおいてはハドロン内では質領機構はクォーク凝縮だけだとしたら都合が良い!
それでも存在する『アプリオリ質量』によってπ中間子(=通常のクォーク凝縮)はハドロン内においても(運動量交換で見せる挙動はudクォークのちょうど倍であるにもかかわらず)不確定性原理によって出現するという都合から来る寿命(湯川の計算による)は変わらない、という離れ技を演じているのではないか、と期待しています。まあ、ちょっと凝り過ぎだし、まだまだ不明なところを憶測で補い過ぎている感も“無きにしも非ず”で、で、おまけに、日米の研究者の「とうとうプライマリーな質量機構に突入した」とする自負から比べたら“却って後退した”結果を述べているように感じられるかもシレナイです。なにしろ質量を与える機構なのじゃなしに元から存在する質量に比例する現象が有るだけだと言っているのですから・・・。
しかし『造化の神』は無慈悲にも人類から楽園的認識を奪うものなのだと思いますね、はい!
SLACを始めとしてアメリカでは“両方”であって、さらに「ヒグシオンによっては我われを形成しているudクォークの質量は微々たるもの」だが「クォーク凝縮によって残りの大半の質量を説明できる」のだ、と話しています。それにしてもハドロン内でクォークがランダムにそれ相応の速度を持っているというのは私にはまだ納得しかねます。つまり『往復機構』は必ず存在しているように思うのです。それとクォークの『封じ込め』じゃなくてゲージ場の『締め出し』じゃないかという私の意見だって(後者だけじゃなく)両方とも採用しているのが“宇宙の機構”というものかもしれないです。
そういや、封じ込められていないと色の変化が自由でなくなるような気がいたします!
そして封じ込められているならばゲージ場を締め出せる、その締め出しがヒグス場にまで及んでいたら(スピン0のゲージ力ということになるのでHISYです)「ハドロン内ではヒグス質量は考慮されない」という成果が得られるのです。どーしてこれが成果なのかと問えば「ハドロン内ではπ中間子はudクォークのちょうど二倍として振る舞うことが可能」だということから「ハドロン内ではクォークはちょっとずれた往復運動をしている」ということが言いやすくなります。その往復の両端において色変化をするものですからクォーク凝縮もまた変化に応じてチカチカする・・・、そのチカチカによって抵抗もまた増大して“水あめのように”ねっとりと大きな質量を獲得させるのだと思いました。
つまりUFTにおいてはハドロン内では質領機構はクォーク凝縮だけだとしたら都合が良い!
それでも存在する『アプリオリ質量』によってπ中間子(=通常のクォーク凝縮)はハドロン内においても(運動量交換で見せる挙動はudクォークのちょうど倍であるにもかかわらず)不確定性原理によって出現するという都合から来る寿命(湯川の計算による)は変わらない、という離れ技を演じているのではないか、と期待しています。まあ、ちょっと凝り過ぎだし、まだまだ不明なところを憶測で補い過ぎている感も“無きにしも非ず”で、で、おまけに、日米の研究者の「とうとうプライマリーな質量機構に突入した」とする自負から比べたら“却って後退した”結果を述べているように感じられるかもシレナイです。なにしろ質量を与える機構なのじゃなしに元から存在する質量に比例する現象が有るだけだと言っているのですから・・・。
しかし『造化の神』は無慈悲にも人類から楽園的認識を奪うものなのだと思いますね、はい!