最近になって急に憤慨しだした話がそのネタであって、やはりここは当方からの示しを付けて考えていかねばならないな、と・・。
そんな風に考えられることが本人である当方にとって良い心地がするわけがなかったじゃないですか、どうしてそんな談合で持って後の世の中を統制していこうなんて思い立ったのですかね、まったく迷惑な話とはこのことです。全学連行動が一応の終結を見たのが1971年の東大安田講堂襲撃事件以来であるとするならば、全学連10年未満後の大学に在籍した我々という形でその生き方などを全学連側に支配されていたことを残念に思います。それは、なぜ私は立身出世に関係ない特別な体験をさせられたのかという、素直な疑問命題によって表明できることと存じました。
ほらみろ、学生側からの動議が正しかっただろ、などという主張の道具にされるのは、はなはだ遺憾なことと存じる次第です!
だから、とある一教授の見解なりと信じて逆に主張してみたくもなる訳がお判りでしょう、
「立身出世につながる特別な体験か、あるいは立身出世につながらない知識体系の学習か、どちらか」である、と・・。
野心のなんチャラに関しても話としてはあべこべで、旧国立一期校の理学部であるならば「野心無きものは去れ」ぐらいのスローガンでいていいはずですw
何を隠そう、私が理学部を去って教師になる決意をしたのは、神戸大学夏季講習の物理学特論の講座で、大統一の火の玉宇宙を決定事項のように教えられたからだったのですよ。もちろん、それだけが原因ではなかったでしょうし、私は成績やそれ以外でも自信を失いかけていましたから。それでも、区切りになってしまったというか、胸に響く言葉として「もうそんなに分かっているのか、よし、もう学問は止めて教師になろう」と呟いていたことを忘れません。そのこと自体が、まるで学会において自分の出る幕の無くなった老教授のようなイメージとして焼き付いているのです。
ところが、そんな変な話はございませんのです、当時はやりの老成した魂だった覚えもないのに、です・・。
私はいくら理学部でも物理学科だったわけではございません。単に地球科学科の学生でした。それなのにそのような感想を持ったのは、元を正せば物理学科志望ということもあったでしょうし、子供のころから妙な自負心で学問を志して生きてきたということも大きいです。ま、言うなれば自分を天才だと信じてましたからねえ。その、どういう脈絡で生じたのか分からない奇妙な少年の心理が、私の場合にはきっちりと青年期の真っ只中においても消えずにおったのです。そのことは、まったくそうだったとしか、他に思い出すことができません。
私は自称天才でしたし、それがガキの頃からの癖でしたw
そんな風に考えられることが本人である当方にとって良い心地がするわけがなかったじゃないですか、どうしてそんな談合で持って後の世の中を統制していこうなんて思い立ったのですかね、まったく迷惑な話とはこのことです。全学連行動が一応の終結を見たのが1971年の東大安田講堂襲撃事件以来であるとするならば、全学連10年未満後の大学に在籍した我々という形でその生き方などを全学連側に支配されていたことを残念に思います。それは、なぜ私は立身出世に関係ない特別な体験をさせられたのかという、素直な疑問命題によって表明できることと存じました。
ほらみろ、学生側からの動議が正しかっただろ、などという主張の道具にされるのは、はなはだ遺憾なことと存じる次第です!
だから、とある一教授の見解なりと信じて逆に主張してみたくもなる訳がお判りでしょう、
「立身出世につながる特別な体験か、あるいは立身出世につながらない知識体系の学習か、どちらか」である、と・・。
野心のなんチャラに関しても話としてはあべこべで、旧国立一期校の理学部であるならば「野心無きものは去れ」ぐらいのスローガンでいていいはずですw
何を隠そう、私が理学部を去って教師になる決意をしたのは、神戸大学夏季講習の物理学特論の講座で、大統一の火の玉宇宙を決定事項のように教えられたからだったのですよ。もちろん、それだけが原因ではなかったでしょうし、私は成績やそれ以外でも自信を失いかけていましたから。それでも、区切りになってしまったというか、胸に響く言葉として「もうそんなに分かっているのか、よし、もう学問は止めて教師になろう」と呟いていたことを忘れません。そのこと自体が、まるで学会において自分の出る幕の無くなった老教授のようなイメージとして焼き付いているのです。
ところが、そんな変な話はございませんのです、当時はやりの老成した魂だった覚えもないのに、です・・。
私はいくら理学部でも物理学科だったわけではございません。単に地球科学科の学生でした。それなのにそのような感想を持ったのは、元を正せば物理学科志望ということもあったでしょうし、子供のころから妙な自負心で学問を志して生きてきたということも大きいです。ま、言うなれば自分を天才だと信じてましたからねえ。その、どういう脈絡で生じたのか分からない奇妙な少年の心理が、私の場合にはきっちりと青年期の真っ只中においても消えずにおったのです。そのことは、まったくそうだったとしか、他に思い出すことができません。
私は自称天才でしたし、それがガキの頃からの癖でしたw