ワインバーグによる電弱統一プランに関する論文は『レプトンの理論』とだけ題されている、一体これはどうしたことであろうか?
私見ではワインバーグはシュウィンガーやゲルマンのお弟子さんであるから、控えめな理論構成を強いられていたということと共に、湯川や南部などの日本人物理学者にはコンプレックスがあって、その両者と話をしなければならない理論には嫌悪感情を示していたのだろう。なぜならば電弱統一をクォークの理論にまで高めた場合には(私が独力で示したように)《ユニバーサルフロンティア理論》にまでほとんど直結しそうだったからであるだろう・・。
彼ら、二代目の控えめな優しい態度では、二人の師匠を差し置いてそこまで理論を進展させることができなかったのだと思うw)
しかしながら、そのことは現代アメリカ社会に巣くっている病根であり、致命的な弱点でもある!
「偉大なる大先輩相手に通過儀礼の限りを尽くして現実をいただく」というのは科学者にとったら惨めさや迎合や余計な計算高さ、時には不正そのものやスキャンダルを意味する・・。
(今日は風邪を引いて疲れているからここまで!)
私見ではワインバーグはシュウィンガーやゲルマンのお弟子さんであるから、控えめな理論構成を強いられていたということと共に、湯川や南部などの日本人物理学者にはコンプレックスがあって、その両者と話をしなければならない理論には嫌悪感情を示していたのだろう。なぜならば電弱統一をクォークの理論にまで高めた場合には(私が独力で示したように)《ユニバーサルフロンティア理論》にまでほとんど直結しそうだったからであるだろう・・。
彼ら、二代目の控えめな優しい態度では、二人の師匠を差し置いてそこまで理論を進展させることができなかったのだと思うw)
しかしながら、そのことは現代アメリカ社会に巣くっている病根であり、致命的な弱点でもある!
「偉大なる大先輩相手に通過儀礼の限りを尽くして現実をいただく」というのは科学者にとったら惨めさや迎合や余計な計算高さ、時には不正そのものやスキャンダルを意味する・・。
(今日は風邪を引いて疲れているからここまで!)