中森明菜、などという元アイドル歌手のえらく流行った流行歌ではないが・・・。
ま、いうなれば「日本の将来は大丈夫なのかどうか?」と一たん口に出してしまったら「確からしさはいずれも1/2だ」と言ったと同じというのがルイス・キャロルこと英国の数学者チャールストン・ドジソンによる《蓋然性仮説》という(言うなれば)“笑い話的妄想”なんだが、ま、本職の数学者は笑って否定しようと、むしろ、一般の方々は日日是現実だったりする“笑えない推論”だったりもします。
脳回路が言語であるならば確かに言語化した時点で推論としてのであれなんであれ確率は半々に変化いたします!
これが如何に“笑えない推論”であるか、に関しては従来のアナログ的脳回路の数学者などにはけして理解できない話題を含んでおるようでして、逆に、現在のデジタル的脳回路をお持ちの読者諸賢には、東大だの京大だのを出ていなくても手に取るように「ワカル話」だったりします。
《デジタル技術》において「言語」とは結果を「必然」として導き出す“全て”(ALL)だからなのです・・・。
さらに、ボーア・コペンハーゲン解釈を適用しましたら「確かに観測結果を決定してしまう」という話に至るからです。奇才ボーアにかかったら「観測結果とはオブザーバブルの全て」ですから、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、手足や胴体に感じられるものの、ようするに“全て”(All)だからです。
「明日、東海・東南海地震が起こるでしょう」という脳回路を書き込んでしまえば瞬間的に「確率50%で起こる」ことに決定してしまう!
いや、そんな馬鹿な・・・、いや、カバな・・・。
だから量子力学には適用限界という物が存在して、それは「波動方程式によって確率計算が可能な自然現象に限られる」
しかし、
多くの理論物理学者は「波動方程式には適用限界が存在しない」と絶望的な結論を述べるでしょう!
ですから、
確かに“私の発言”等では何事も起こるはずも無く、しかし、例えば《巨大地球シミュレーションマシン》なるものが「計算ミス無しに結果をはじきだした」としたら、それは計算結果の通りになるでしょう!
そして、
私は「おそらく明日は何事も起こらないでしょう」と正しく推論を述べるに止まるでしょう・・・。
(UFTによる真の《二分の一の神話》は明日以降に持ち越しです)
ま、いうなれば「日本の将来は大丈夫なのかどうか?」と一たん口に出してしまったら「確からしさはいずれも1/2だ」と言ったと同じというのがルイス・キャロルこと英国の数学者チャールストン・ドジソンによる《蓋然性仮説》という(言うなれば)“笑い話的妄想”なんだが、ま、本職の数学者は笑って否定しようと、むしろ、一般の方々は日日是現実だったりする“笑えない推論”だったりもします。
脳回路が言語であるならば確かに言語化した時点で推論としてのであれなんであれ確率は半々に変化いたします!
これが如何に“笑えない推論”であるか、に関しては従来のアナログ的脳回路の数学者などにはけして理解できない話題を含んでおるようでして、逆に、現在のデジタル的脳回路をお持ちの読者諸賢には、東大だの京大だのを出ていなくても手に取るように「ワカル話」だったりします。
《デジタル技術》において「言語」とは結果を「必然」として導き出す“全て”(ALL)だからなのです・・・。
さらに、ボーア・コペンハーゲン解釈を適用しましたら「確かに観測結果を決定してしまう」という話に至るからです。奇才ボーアにかかったら「観測結果とはオブザーバブルの全て」ですから、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、手足や胴体に感じられるものの、ようするに“全て”(All)だからです。
「明日、東海・東南海地震が起こるでしょう」という脳回路を書き込んでしまえば瞬間的に「確率50%で起こる」ことに決定してしまう!
いや、そんな馬鹿な・・・、いや、カバな・・・。
だから量子力学には適用限界という物が存在して、それは「波動方程式によって確率計算が可能な自然現象に限られる」
しかし、
多くの理論物理学者は「波動方程式には適用限界が存在しない」と絶望的な結論を述べるでしょう!
ですから、
確かに“私の発言”等では何事も起こるはずも無く、しかし、例えば《巨大地球シミュレーションマシン》なるものが「計算ミス無しに結果をはじきだした」としたら、それは計算結果の通りになるでしょう!
そして、
私は「おそらく明日は何事も起こらないでしょう」と正しく推論を述べるに止まるでしょう・・・。
(UFTによる真の《二分の一の神話》は明日以降に持ち越しです)