量子重力なんか無いと言ったところで、数学を否定して論理を信じたことになるんですよ。
だけど「シュバルツシルト半径が陽子サイズであるミニブラックホールの周囲で反粒子が選択吸収されて可笑しいか?」とその形で問われたら、それはそこで再考することになりますよね、そこなんですよ。ホーキングだって論理性から始まって数学にしていったに違いありませんから、そうしたら「論理が先」というのが答えになるんですが、最終的に「論理は結論だ」というのはどうでしょうか。
論理は先にあるんだし、そして結論も論理の形で述べられるべきだ、と思うのです。
だけど合点がいかないのは、粒子を吸い込むと反粒子を吸い込むとが同じ確率ならばブラックホールは蒸発しませんよね、そこですよ。ただ、ブラックホールは熱的な性質を持つといったベケンスタインの予言がある、で、私らが納得しかけるとしたらそこらが経緯なんですがね。だから「物理教育というのは数学もさることながら論理的に進めなければならない」とか言うんですよ。
ブラックホールも小さくなってくると量子的な性質が際だってきて反粒子を選択的に吸収するんですかね。
ここまで来たら「ああ、そうなんですか」という形で納得するということになりますから。
「物理こそは論理が先にあって論理が結論だ」というのがワタクシ目の編み出した論法ですわ・・。
だけど「シュバルツシルト半径が陽子サイズであるミニブラックホールの周囲で反粒子が選択吸収されて可笑しいか?」とその形で問われたら、それはそこで再考することになりますよね、そこなんですよ。ホーキングだって論理性から始まって数学にしていったに違いありませんから、そうしたら「論理が先」というのが答えになるんですが、最終的に「論理は結論だ」というのはどうでしょうか。
論理は先にあるんだし、そして結論も論理の形で述べられるべきだ、と思うのです。
だけど合点がいかないのは、粒子を吸い込むと反粒子を吸い込むとが同じ確率ならばブラックホールは蒸発しませんよね、そこですよ。ただ、ブラックホールは熱的な性質を持つといったベケンスタインの予言がある、で、私らが納得しかけるとしたらそこらが経緯なんですがね。だから「物理教育というのは数学もさることながら論理的に進めなければならない」とか言うんですよ。
ブラックホールも小さくなってくると量子的な性質が際だってきて反粒子を選択的に吸収するんですかね。
ここまで来たら「ああ、そうなんですか」という形で納得するということになりますから。
「物理こそは論理が先にあって論理が結論だ」というのがワタクシ目の編み出した論法ですわ・・。