私は教師人生においても微分は本質なのではなくてどこまでも近似なのではなかったかという問題提起をしておきました!
その証拠は工業高校の卒業アルバムにギャグのような文章にて載っておりますが、後でやった物理学・数学にもそのコンセプトは脈々と脈打っており「時代だったな」と嘆ぜざるを得ないのです。運動量ゼロサムによる加速機構では丸いアニールを掛けたようなデジタル過程(その原因は調和振動子に求めることが出来るので量子物理と調和する)によって実現しましたし、ユニバーサルフロンティア理論の最初にデジタルインフレーション宇宙を持ってくることによって速やかにすべてが演繹されます。
なんかここへきて南部先生と私とが競合するのではなかったかという強迫観念に襲われることが多くなってきました・・。
その理由の一つにはMユニバース粒子仮説と韓=南部模型とがあまりにも直結し過ぎている為に、あたかも若き日の南部がやっていなければ可笑しいというような出来栄え(それはそれでいいのですけど)によるのだったと存じまして、それで理論構成とコンセプトを整え直す必要に迫られたのでございます。デジタル時代に先駆けて(デジタルオーディオは既に進展中でしたけど)デジタル過程を導入したデジカメの先駆のような物理だったと思いだしてもらえたら幸いです。コダックがカセットテープに記録させる世界初のデジカメを造った手法とよく似ています。
ガラクタの寄せ集め_w
だけどちゃんと自己流の超準解析(微分解析学と申します)からやりました、ライプニッツはデジタル似の微積分でしたからね、微分商とは本当に割り算だったのだと分かっていただけると存じます。それもロビンソンのような難解な基礎を無矛盾に標準解析と対照させて作るというような面倒な数学ではない代わりとして、極限の定義を一か所ずらすというように数式の方に犠牲を強いることによってすべてが速やかに証明されるという微積分です、事の本質がそこに存在することを分かっていただきたくて電子ペンを取りました。ニュートンも数学がライプニッツと調和しておればもっとよかったのにと残念に思います。
ご清聴ありがとうございます、応援お願いします_!
その証拠は工業高校の卒業アルバムにギャグのような文章にて載っておりますが、後でやった物理学・数学にもそのコンセプトは脈々と脈打っており「時代だったな」と嘆ぜざるを得ないのです。運動量ゼロサムによる加速機構では丸いアニールを掛けたようなデジタル過程(その原因は調和振動子に求めることが出来るので量子物理と調和する)によって実現しましたし、ユニバーサルフロンティア理論の最初にデジタルインフレーション宇宙を持ってくることによって速やかにすべてが演繹されます。
なんかここへきて南部先生と私とが競合するのではなかったかという強迫観念に襲われることが多くなってきました・・。
その理由の一つにはMユニバース粒子仮説と韓=南部模型とがあまりにも直結し過ぎている為に、あたかも若き日の南部がやっていなければ可笑しいというような出来栄え(それはそれでいいのですけど)によるのだったと存じまして、それで理論構成とコンセプトを整え直す必要に迫られたのでございます。デジタル時代に先駆けて(デジタルオーディオは既に進展中でしたけど)デジタル過程を導入したデジカメの先駆のような物理だったと思いだしてもらえたら幸いです。コダックがカセットテープに記録させる世界初のデジカメを造った手法とよく似ています。
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だけどちゃんと自己流の超準解析(微分解析学と申します)からやりました、ライプニッツはデジタル似の微積分でしたからね、微分商とは本当に割り算だったのだと分かっていただけると存じます。それもロビンソンのような難解な基礎を無矛盾に標準解析と対照させて作るというような面倒な数学ではない代わりとして、極限の定義を一か所ずらすというように数式の方に犠牲を強いることによってすべてが速やかに証明されるという微積分です、事の本質がそこに存在することを分かっていただきたくて電子ペンを取りました。ニュートンも数学がライプニッツと調和しておればもっとよかったのにと残念に思います。
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