以前は究極理論の男と言ったらワインバーグでしたがなw
そのワインバーグによるワインバーグ=サラム理論の論文の題名は『レプトンの理論』でしたがな、そう。レプトンの理論で究極理論の男とは、ま、ちょっとばかしおこがましいと言えなくもない、アインシュタインだったら「過剰評価は止せ」と謙遜したダローに、と思いますのや、そう。アインシュタインは「とんでもなく過剰評価されて生きてきました」と言っていたが、ド~してド~して評価は適正で、むしろ己の数式を信じ足らなかったぐらいだというのが歴史の証明するところである。
アインシュタインの失敗はすべて方程式を信じ切らないで見識でコトを運んだ話に起因しており、その逆は皆無絶無であることをけっして忘れてはナラナイのじゃ、そう。それこそ逆に言えば、アインシュタインは直感の人ではなく、すべて論理的にコトを運べば、またさらにもっと大層な理論家だったことだろう。
惜しいことをしたというか、むしろそんなもんで良かった。神の代わりの物理学者なんか必要ない。
さて、それにしてもユニバーサルフロンティア理論というのは『クォークの理論』である。ワシの良識をもってしても、その謙遜能力をしっかり超えて究極理論に他ならぬことをシッカリ自覚しておる、っとっとっと。物理学者の常識では基礎方程式のいくつかを並べないでは究極理論とは言わないのだったな、コレは失礼、アハハ。
だから超えてくれてかまわない。ワシの理論をグラショウ理論としてワインバーグ=サラム理論に匹敵するよーな究極理論を打ち立ててくれて結構だ。それは昔から言ってる。だけどワシを無視してド~超えるのじゃ、ワインバーグはグラショウ論文を「読まない」と宣言してでも発展が可能だったが、それはシュウインガーの講義が共通項として存在してたからですがな、そう。
でー、ワシのレクチャーによって向上しようとも、その後が続かない危惧がド~しても残る。日本人学者にはまったく向いていない仕事だという話も聞く、そう。
かような悲劇的状況をどう打破し得るのか、考えたいw
ユ ニ バ ー サ ル フ ロ ン テ ィ ア !