父が他界しました。
先日、父が入院したことは、こちらに書きましたが、その時にはすでに意識がなくて、面会した時は、人工呼吸器を付けてました。
父は腎臓を患っていて、週3回透析をするため通院はしてましたが、必要じゃない限り病院へは行きたがらない父が、その日はよっぽどしんどかったのか、病院へ行くと言ったそうで。でも突然「救急車呼んで!」と。
救急車が到着した時は意識もはっきりし、救急隊員との受け答えもちゃんとしていたらしいです。でも救急車に乗る直前に意識を失い、心肺停止になったとか。
救急隊員の方と病院の先生のおかげで、その時は一命はとりとめましたが、結局意識は戻ることなく…
最期は看取れませんでした。
それだけが唯一悔いが残ります。
入院したと聞いて、面会しに行ったけど、側にいられる時間はほんの10分ほどで、もし何かあっても、妹達がいるからと、私は一度自宅に戻ってしまったんです。
あのまま実家にいたら、父の臨終も見届けれたのに。
父の容態が悪化したと、病院に呼ばれた母が、父の元へ行った後に、すぐに私に電話をくれたんですが、母は取り乱してて、何を言ってるか全くわからなくて。
あんなに取り乱した母は始めてでした。
それからほどなくして、父は息を引き取りました。
あのまま残っていたら、一緒に母と病院へ行けたのになぁと。
口数が少なかった父なので、実家にいると、まだ父がいるような、不思議な感じがしてなりません。
いつもの椅子に座ってパソコンいじってそうだし、別の部屋でゴロンと横になって居眠りしてそうだし、ベランダでタバコ吸ってそうだし。
まだ父の死を受け入れられてないのかなぁ…
母は、突然のことだったので、意気消沈してます。
あの時あぁしていれば、などと言ったり。
前日の夜まで、ほんとにいつものように過ごしていたらしいです。
夜中に具合が悪くなりだして眠れない父を、その時に病院へ連れて行ってあげてたら、こんな事にはなってなかったんじゃないか、など。
それでも時々、ポツポツと父の昔の話をしてくれたりもします。
そういえば。
母の話によると、父はこの2,3ヶ月、変なくらい優しかったとか。普段はどちらかというと、いろいろ厳しい人だけど、突然何年も会ってない会社の同僚の家へ一緒に行こうと誘ってくれたり、家族3人(父・母・末妹)で旅行に行こうと誘ってくれたり。いつもと違う感じだったそうです。
今思えば、まるで、自分の死期がわかっていたかのようだったと。
私は実家から離れて暮らしているので、帰れるのは子供達の長い休みの時だけ。
最後に会ったのは、春休みでした。
その時もだいぶ痩せた感じはしてましたが、まさか、こんな急に、こんな事になるなんて、その時は微塵も思ってませんでした。
父は、私達が幼かった頃から腎臓を患っていて、何度も入院したりしてました。
ここ5年ほど前から透析も始まり、心筋梗塞もやったりと、いろいろ心配事があったので、いつかはこうなるんだろうなぁと思ってはいましたが…
今日は、父が亡くなって、二七日(ふたなのか)でした。
お葬式を終えてから、ずっと実家にいたので、私も法要に参列しました。
お経をあげて頂いたご住職のお話の中で、『無常』という言葉があり、ずっと私の頭の中に響いてます。
『今』しかないんだから、『明日』にはどうなるか分からないんだから。だから『今』を悔いのないようにしなさいと。
って分かっていても、出来ないのが人間ですよねー、ともおっしゃってましたが…
今の私は悔いだらけだなぁ。
なんだか、まとまりのない文章ですみません。
ちょっと気持ちを整理するために記事に綴ってみましたが、ダラダラしすぎました…
先日、父が入院したことは、こちらに書きましたが、その時にはすでに意識がなくて、面会した時は、人工呼吸器を付けてました。
父は腎臓を患っていて、週3回透析をするため通院はしてましたが、必要じゃない限り病院へは行きたがらない父が、その日はよっぽどしんどかったのか、病院へ行くと言ったそうで。でも突然「救急車呼んで!」と。
救急車が到着した時は意識もはっきりし、救急隊員との受け答えもちゃんとしていたらしいです。でも救急車に乗る直前に意識を失い、心肺停止になったとか。
救急隊員の方と病院の先生のおかげで、その時は一命はとりとめましたが、結局意識は戻ることなく…
最期は看取れませんでした。
それだけが唯一悔いが残ります。
入院したと聞いて、面会しに行ったけど、側にいられる時間はほんの10分ほどで、もし何かあっても、妹達がいるからと、私は一度自宅に戻ってしまったんです。
あのまま実家にいたら、父の臨終も見届けれたのに。
父の容態が悪化したと、病院に呼ばれた母が、父の元へ行った後に、すぐに私に電話をくれたんですが、母は取り乱してて、何を言ってるか全くわからなくて。
あんなに取り乱した母は始めてでした。
それからほどなくして、父は息を引き取りました。
あのまま残っていたら、一緒に母と病院へ行けたのになぁと。
口数が少なかった父なので、実家にいると、まだ父がいるような、不思議な感じがしてなりません。
いつもの椅子に座ってパソコンいじってそうだし、別の部屋でゴロンと横になって居眠りしてそうだし、ベランダでタバコ吸ってそうだし。
まだ父の死を受け入れられてないのかなぁ…
母は、突然のことだったので、意気消沈してます。
あの時あぁしていれば、などと言ったり。
前日の夜まで、ほんとにいつものように過ごしていたらしいです。
夜中に具合が悪くなりだして眠れない父を、その時に病院へ連れて行ってあげてたら、こんな事にはなってなかったんじゃないか、など。
それでも時々、ポツポツと父の昔の話をしてくれたりもします。
そういえば。
母の話によると、父はこの2,3ヶ月、変なくらい優しかったとか。普段はどちらかというと、いろいろ厳しい人だけど、突然何年も会ってない会社の同僚の家へ一緒に行こうと誘ってくれたり、家族3人(父・母・末妹)で旅行に行こうと誘ってくれたり。いつもと違う感じだったそうです。
今思えば、まるで、自分の死期がわかっていたかのようだったと。
私は実家から離れて暮らしているので、帰れるのは子供達の長い休みの時だけ。
最後に会ったのは、春休みでした。
その時もだいぶ痩せた感じはしてましたが、まさか、こんな急に、こんな事になるなんて、その時は微塵も思ってませんでした。
父は、私達が幼かった頃から腎臓を患っていて、何度も入院したりしてました。
ここ5年ほど前から透析も始まり、心筋梗塞もやったりと、いろいろ心配事があったので、いつかはこうなるんだろうなぁと思ってはいましたが…
今日は、父が亡くなって、二七日(ふたなのか)でした。
お葬式を終えてから、ずっと実家にいたので、私も法要に参列しました。
お経をあげて頂いたご住職のお話の中で、『無常』という言葉があり、ずっと私の頭の中に響いてます。
『今』しかないんだから、『明日』にはどうなるか分からないんだから。だから『今』を悔いのないようにしなさいと。
って分かっていても、出来ないのが人間ですよねー、ともおっしゃってましたが…
今の私は悔いだらけだなぁ。
なんだか、まとまりのない文章ですみません。
ちょっと気持ちを整理するために記事に綴ってみましたが、ダラダラしすぎました…