転 覧 記

ほぼ展覧会レポ。たまに読書記録。

「テオ・ヤンセン展」 @日本科学未来館 ~テオ・ヤンセン トークイベント~

2011年02月07日 19時58分49秒 | 展覧会 講演メモ
前回に引き続き「テオ・ヤンセン展」のご紹介。


※画像はクリックで拡大します


今回は、2月6日(日)に日本科学未来館で開催されたの
トークイベント&デモのレポートです。

イベントは次の3部構成でした。
・司会進行役の方とテオさんのQ&A、
・最新のビーチアニマル「アニマリス・シアメシス」の動作デモ
・会場からのQ&A

順番は前後しますが、まず大迫力のデモからご覧あれ。


#動画の公開に問題がある場合はご指摘ください。

続いてQ&A。
メモから起こしていますので正確ではありません。

Q 「Strand Beest」という名前の由来は?
A 20年前に書いていた新聞コラムのタイトルから名づけました

Q Strand Beest を作ろうと思った理由は?
A 特にこれといった理由はありません。
  ただ私が死んだ後も、Beest たちは生き続けるという確証が得られれば
  私は穏やかに生をまっとうできると思います・

Q 移動手段を「足」にした理由は?
A 皆さんも砂の上を自転車で走って足を取られた経験はないでしょうか
  砂浜のようにやわらかい地面を移動する場合は、車輪より足のほうが有利なのです。

  また何故そもそも移動しなければならないか?というと、生命は危機から逃れる能力を必要とするからです。
  Strand Beest にとっての危険とは、浜辺に打ち寄せる水と、砂に足がうずまってしまうことです。
  彼らはその危険から逃れる必要があるのです。

Q ペットボトルはどのような役割があるのでしょうか
A 風が吹くと、ペットボトルに空気をため込むことができます。
  従来の Strand Beest は風を受けて動きましたが、この最新型のStrand Beest は
  風がないときでも、ペットボトルにため込んだ空気の圧力で動けるのが特徴です。
  これは、我々が食べ物を食べてエネルギーを体内に蓄えて動くのに似ています。
  Strand Beest はペットボトルという「胃」に空気エネルギーをためて動くのです。

Q Strand Beast と他の生命体との違いは?
A まず、その機構の歴史です。
  我々の生命のしくみは数十億年の進化を経てつくられました
  一方で、Strand Beest はまだ20年ほどしか経っていません。

  また、我々との関係性も違います。それは異なる「愛」とでもいいましょうか。
  私は人間にもStrand Beest にも愛を感じますが、その愛が違う種類のものです。
  私は Strand Beest をこどものように感じることもあります。

Q これから Strand Beest はどのように変わっていくのでしょうか
A 神経やその集合である脳のような機能を持たせたいと考えています。
  脳を持つということは、記憶を持ち判断できるということです。
  具体的には、自分の歩数をカウントしたり、経験をペットボトルに記憶したりすることで
  自律的に危機からのがれることが出来るようにしたいと考えています。

(ここから、ご来場者の質問)

Q Strand Beest を乗り物として使う可能性は?
A 通常の移動手段としては、車輪を使った機械のほうが圧倒的に効率的です。
  しかし、先ほども申し上げましたが、やわらかい地面の上では「足」での移動が有利でしょう。
  このため、田畑での移動が必要な農業への応用などは可能性としてあるかもしれません。

Q オランダから日本までどうやって運んだのですか?
A このStrand Beest は6つのパーツと2つの羽根で出来ています。
  これらをバラして、船で運んできました。オランダから日本まで船で約6週間かかりました。


トーク・イベントの内容は以上です。楽しいお話を有難うございました。


さて、Q&Aの中にもありましたが、果たして Strand Beest は「生命」と呼べるのか?

会場には「生命」の定義を説明したパネルもありますので、
そのひとつひとつを Strand Beest にあてはめて確かめながら
「生命」って一体なんなんだろう?とあらためて想いを馳せてみてはいかがでしょうか。


「歌川国芳 奇と笑いの木版画」展 @府中市美術館 講演その1

2010年03月30日 00時20分30秒 | 展覧会 講演メモ
府中の公園でも桜の花が咲き始めてました。
写真は府中市美の遠景。



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今回の国芳展ですが、代表作そろい踏み&珍しい作品多数で、
実は何気にすごい展覧会です。

慶応大准教授の内藤正人さんの講演が聴けるということで、今週の日曜に行ってきました。
立ち見が出るほどの大盛況。

大変面白いお話が聴けましたので、メモ書きから抜粋してご紹介します。

(掲載に問題がある場合はご指摘ください。エントリを削除します)


◆イントロ

寛政9年(1797年)生まれ、文久元年(1861年)没

初代豊国や柴田是真に師事、北斎に私淑。
同時代のライバルは国貞(三代豊国)、広重。
門下に月岡芳年、河鍋暁斎

1797年は面白い年で、広重の生年であり、蔦屋重三郎の没年でもある。
浮世絵の時代の節目となった年といえる。
(注:重三郎は歌麿や写楽をプロデュースした版元。ちなみに写楽は豊国に追い落とされました)

最初、泣かず飛ばずだった広重や国芳に対し、国芳の同門だった国貞は、超売れっ子。
役者絵・美人画を初めとして、合巻(見開き絵にかな交じりの文章を加えた小説)でも人気を博していた。

その後、広重は独自の「名所絵」を、国芳は「武者絵」という新ジャンルを確立することで評判を得るようになった。

国芳は晩年、中風(脳梗塞)にかかり工房の弟子達に代筆をさせていた。

◆人となり

門下の芳年や暁斎が国芳の肖像を描いており、ずいぶん慕われていたようだ。
暁斎の絵などは、幼いころ通った、猫があたりかまわずごろごろしている工房を懐かしむような絵。
(国芳は大の猫好きだった)

死絵(訃報を知らせる似絵)も何種類も描かれたようで、当時の人気ぶりがしのばれる。

口調は強い江戸訛りで、火消仲間たちとも親交が深く、豪放な性格。
一方、自身を絵の中に登場させるときはいつも後姿。
山王祭りに門下の者総出で参加した様子を描いた絵でも、やはり後姿。
シャイなところまで、根っからの江戸っ子。

参考図版:
『火消千組の図』 国芳

◆美人画くらべ 国貞・広重・国芳

国貞は脂粉が漂うような艶っぽい女性を描く。
これに対して広重の描いたのは、背筋をしゃんと伸ばした凛とした佇まいの女性。
武家の出の広重らしい美人像。
国芳はというと、なかなかコレも捨てがたく、張りのある溌剌とした女性を描いた。

ただやはり、当時の江戸で人気を博したのは国貞の美人画。
物語性を感じさせるシチュエーション・雰囲気づくりなども国貞がアタマひとつ抜けていた。

参考図版:
『星の霜当世風俗・行燈』 国貞
『あふみや紋彦』 国芳

◆武者絵の生みの親

国芳が一躍脚光を浴びるようになったのは、
「水滸伝」に登場する108人の侠客たちを描いたシリーズ版画を売り出したときのこと。

明代に書かれ「中国四大奇書」のひとつに数えられるこの物語は、
戯作者たちが翻訳・翻案して読本に仕立てて出版しており、ブームの下地はできていた。

このような伝承上の人物をエキセントリックかつダイナミックに描いた例はかつてなく
「役者絵」よりも刺激的な「武者絵」は、当時の人々には驚きをもって迎えられたに違いない。

役者絵が「型の美」を描いたものであったとするなら、武者絵はまさしく「型破り」であった。
国芳は、若いころに北尾派・勝川派の絵本をかなり勉強しており、
このような勇壮な図案を描く素地ができていた。

この後国芳は、登場人物を日本人に置き換え翻案された「本朝水滸伝」なども手がけた。

参考図版:
『通俗水滸伝豪傑百八人之壱人 短冥次郎阮小吾』 国芳
『花和尚魯知深初名魯達』 国芳


◆名所絵

北斎に私淑(リスペクト)していた国芳は、名所絵(風景画)も数多く手がけた。
しかし名所絵を描いても「人物」をクローズアップして描くあたりは、比較的保守的だったといえる。

(基本的に浮世絵は「人」を描くものであったが、
 北斎が広重画新しかったのは「風景」を主題として前面に押し出したところだった)

ただ、陰影表現や低い水平線など、西洋画の影響が色濃く見える斬新な表現・構図が
国芳の名所絵の特徴。

ただ当時は新しすぎたらしく、あまり売れ行きは良くなかったようだ。
「富士見三十六景」も現在確認されてい作品のは5点のみで、
販売不振のためシリーズのごく初期に打ち切られてしまったと考えられる。

参考図版:
『東都名所 佃島』
『東都首尾の松之図』 国芳
『忠臣蔵十一段目 夜討の図』 国芳
『相州江ノ島の図』 国芳
『東都御厩川岸之図』国芳
『東都富士見三十六景 昌平坂の遠景』

長くなりましたので続きは次回