Chiakiの徒然日記

小学校時代のノート

小学校の3年に進級して間もなく、担任の先生から使用するノートの指定があった。
特に混乱はなかったように記憶しているので、「現在使っているノートを使い切ったら」等の猶予はあったかもしれない。
そのノートは文具店では購入できず、先生がまとめて購入しておき、必要に応じて子どもたちが「先生から買う」という形だった。
これは少なくとも私にはありがたかった。
何しろ、校区内に文具店は1店だけ(私の知る範囲では)。
学校の正門前の信号を渡るとすぐなのだが、学校の規則として寄り道禁止。
必然的に一度家に帰って、標準服から私服へ着替えて出直さなければならなかった。
私の家は正門ではなく裏門から出た方が近い。
近いといっても、子どもの足で学校の裏門まで20分近くは掛かっていたから、改めて出直すというのも辛かった。

先生が用意してくれているノートは常に教室に置いてあったので、ノートを使い切ったらすぐに出してもらえた。
親からお金を貰ってくるのを忘れた子は「ツケ」で買っていた(笑)
小学生が「ツケ」!?と今になれば「え~!?」と思うシーンもないではなかったが、踏み倒す人はいなかった。

指定されたノートは国語と算数。
社会と理科はノートは必要なかったので、この2種類のみ。
算数が方眼のノートだった。算数を指定するために、国語もついでに指定していたんじゃないかな。
3年生にもなれば、掛け算や割り算の筆算を習う。
位をちゃんと合わせるための方眼だったんじゃないかな、と今になって感じる。
先生の側としても、位がずれているなど誤りを指摘しやすいという利点があったんじゃないかな。

この先生は家庭学習にも力を入れていて、毎週月曜日に宿題とは別に「課題」を1週間分出していた。
この「課題」はムリしてやる必要はない。
出来なければ出来ないでOK。ただの目安というか目標なので、出来ないからと言って叱られることはなかった。
出来たら褒めてもらえたけど(笑)
出来ないことに対して叱るのではなく、出来たことに対して褒めるというスタンスの先生だったので、
「もっと褒められたい」という意識が働き、勉強も楽しく進めることができた。

やってはいけないことをしてしまったときの叱られ方は凄く、恐怖すら感じることもあった。
だが、親たちの絶大な信頼が寄せられていた先生だし、叱られる方が悪いのだから、やり方としては間違っていなかったと今も思う。
ま、あのやり方を今導入したら「体罰だ!」と叫ばれるだろうけどね…。
私はそこまで叱られることはなかったけど(笑)
主に男子がやられることが多かった。さすがやんちゃ坊主たち。わはは。

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コメント一覧

Chiaki K
それはすごい
りのーで様

教科書を投げ捨てるって凄い先生ですね。
さすがに教科書を投げる先生はいませんでしたけど、チョークを投げる先生はいました(笑)

岸田さんと誠さんのやり取りもいいですね。
お互いに相手のことを思いやっていたというのも心が温まります。
りのーで
 家の学校でも授業に集中してないと生徒が持ってる教科書をいきなり投げ捨てたり、生徒の手を引っ張って廊下に立たせる先生いたっけ。

 wikiに書いてある岸田森さんと誠直哉さんのやりとり
 上京したてで訛りが強かった誠さんに対して無言でリテイクし何度もやり直させた。
 岸田さんは内心「いつ殴られるかと冷や冷やしていた」
 誠さんは「あの指導があったから今の俺がある」
いいなあ、このエピソード。
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