Chiakiの徒然日記

8月6日という日

今年もこの日がやって来た。
私がこの日付の意味を知ったのは、確か小学校の3年か4年の頃だったと思う。
学級文庫と称して、各家庭から持ち寄られた私物の本の中の1冊に8月6日と9日をテーマにした本があった。
詳しい内容は忘れてしまったが、8月6日と9日におばあちゃんの家に托鉢が回ってきて、
おばあちゃんがその人に小銭を渡す。
不思議に思った主人公がその意味を尋ねると、おばあちゃんが原爆の話をしてくれるというお話だったと思う。

当時は「原子爆弾」なんて言葉も知らなかったし、どういう被害をもたらしたかということもさっぱり理解できなかった。
ただ漫然と「8月6日と9日に何か大変なことが起きた」ということを頭の片隅に止めた程度だった。

そして6年生になって、修学旅行で長崎に行くことになった。
被爆地に足を踏み入れたのはこれが最初。
原爆資料館の凄まじさに度肝を抜かれ、一種のトラウマになってしまった。
今考えると、真面目すぎたんだと思う。
当時の自分に出来る範囲のこと全てを受け入れようと頑張りすぎたのかもしれない。
反動は、2年後、中学2年のときの修学旅行地、広島で現れた。
原爆資料館に入ったはいいが、様々な資料を正視できなかった。
駆け抜けるようにして資料館を後にしたことを覚えている。

そして、さらに数年後。
大学進学と同時に広島に行ったが、広島に住んでいた6年間、1度も資料館に足を運ぶことができなかった。
小学校のときに、もう少しいい加減に資料を見ていたら、また違った結果になっていたかもしれない。

年相応の資料の見方。これが大切だなと痛感している。

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