□本日落語一席。
◆四代目桂米紫「胡椒のくやみ」(衛星劇場『衛星落語招待席』)。
横浜にぎわい座、令和6(2024)年3月11日(第十三回「米紫・吉弥ふたり会」)。
これは初めて聴いた噺だと思われる。少なくとも、自分の鑑演記録にはまったく出てこない。
なんでもすぐ笑ってしまう男が、弔いの挨拶に行く際に笑ってしまうとふつごうだというので、胡椒を口に含んで挨拶をすればよいと教えられてそうする噺。
最後は、あまりに胡椒を口にし過ぎてむせてしまい、水を一杯もらって挨拶をし直し、「……お亡くなりになって、……良い気持」という落げである。ちょっとブラックな落ちか。
『増補 落語事典』にも川戸貞吉『落語大百科』にも項目があり、さほどレアというわけでもないような気がするけれど、あまり掛けられていないというのはどういうことだろう。
胡椒が昔のようなものでなくなっているというのは理由として大きいだろうか。それでも、「茶の湯」の椋の皮のように、噺のなかで仕込んでおけばなんとかなりそうだが……。ちなみに、今回の米紫は別に胡椒の仕込みは入れてなかった。
川戸は、前掲書で八代目春風亭柳枝を絶賛していた。東京でもさかんに演られていたことのようだが、今では聴かれない。なんだか不思議な落語だ。
◆四代目桂米紫「胡椒のくやみ」(衛星劇場『衛星落語招待席』)。
横浜にぎわい座、令和6(2024)年3月11日(第十三回「米紫・吉弥ふたり会」)。
これは初めて聴いた噺だと思われる。少なくとも、自分の鑑演記録にはまったく出てこない。
なんでもすぐ笑ってしまう男が、弔いの挨拶に行く際に笑ってしまうとふつごうだというので、胡椒を口に含んで挨拶をすればよいと教えられてそうする噺。
最後は、あまりに胡椒を口にし過ぎてむせてしまい、水を一杯もらって挨拶をし直し、「……お亡くなりになって、……良い気持」という落げである。ちょっとブラックな落ちか。
『増補 落語事典』にも川戸貞吉『落語大百科』にも項目があり、さほどレアというわけでもないような気がするけれど、あまり掛けられていないというのはどういうことだろう。
胡椒が昔のようなものでなくなっているというのは理由として大きいだろうか。それでも、「茶の湯」の椋の皮のように、噺のなかで仕込んでおけばなんとかなりそうだが……。ちなみに、今回の米紫は別に胡椒の仕込みは入れてなかった。
川戸は、前掲書で八代目春風亭柳枝を絶賛していた。東京でもさかんに演られていたことのようだが、今では聴かれない。なんだか不思議な落語だ。