えんじゃけん

幼少を振り返る

今はコロナや自然災害、明らかに自分が子供の頃と比べて生きづらい世の中になったなと思う。
幼少の頃、みんながマスクをして生活してすることを誰が予想していただろうか?
医療が進歩し、感染症で亡くなることが随分少なくなり、自分たちが感染症に怯えながら生きるなんて経験はほぼなかったのだが、ここにきて、未知なるウィルスによって、いつ感染し、いつ重症化し、いつ命をも失うかも知れないという局面に立たされている。
どんどん進化していくこのコロナウィルスに対し、以前だれかが言っていたが、元の世界に戻ることを期待するのではなく、このコロナウィルスとうまく付き合っていくには、どうすればいいのかをもっと考えて行くべきなのかも知れない。
今、政府への不満がものすごくあげられ、マスコミも政府を責め続けているが、いくら対策を立てようとも、それを上回るコロナウィルスの変異、そして自然災害、人の力ではどうにもできない様なことが立て続けに起きすぎている。もう、国もいっぱいいっぱいである。
「どんなに気を付けていても感染してしまう」
という声も聞く。ワクチンを受けても感染してしまう人もいるとも聞く。なんだか自分自身も感染しないという自信があまりない。今年の初めの辺りは、ワクチンはまだ、安心とは言い切れないので、受けたくないと思っていたが、それもでももし、コロナに侵され、命を失ってしまう事を考えれば、感染しても重症化しにくいワクチンを今は受けたいと思う様になった。やはり、死ぬのは嫌である。

そして、再び、幼少の頃を思い出す。
夏だって、ここまで暑くなかった。そして、子ども1人で遊んでいても近所の人たちが
温かく見守っていてくれた。全く知らない人の家にもよく遊びに行ってお菓子をもらったり、お話をしたりしていたものだ。そこらにある草を集めたり、虫を捕まえたりして遊んでいた。遊ぶための公園ではない空き地というものが存在していた。とにかく安心に取り巻かれ、生活をしていた様に思う。
夏といえば、母と自転車で近くの山の上にある市民プールへ汗を流しながら漕いで泳ぎに行ったものだ。その泳いだあとの菓子パンやカップヌードルがやけに美味しかったのを覚えている。後は、車でフェリーに乗って、田舎に行ってのお墓参り。すごく長旅でいつも朝早くに起きて行くのも楽しみだったな。フェリーの待ち時間も長いのだが、売店でいつも父が普段は買ってこない女の子向けの怖い話(?)が乗っている分厚いコミックを買ってきてくれるのも、楽しみであった。御先祖様に毎年お礼をするのが結構好きだった。自分の家の墓に行くまで、「転んではいけないよ」と言われ、すごく緊張しながら坂道を歩いたのを覚えている。なんでも、こけたら痛いと思い、その負の感情を察知して霊が寄ってきてしまうのだそうだ。また、自分の墓の周りに、草むらがあり、その草むらから石が覗いていて、「あれ、何?」と聴くと、「無縁仏だから近寄ったらいけない」と言われたのもやけに覚えている。優しくしても、霊が寄って来てしまうというのである。
また、その帰りのラジオから地球温暖化の話が流れてきて、「ゆくゆくは気温が40度近くになる」といった話をしていて、「それはないだろう」と子ども心ながら思ったものの、実際、今、40度近い日もあり現実となっている。あの頃の気温は35度も滅多にいかないくらいだったのではないだろうか?体温より外気が高いなんてあり得ないと思っていた気がするから。

しかし、どんな状況になろうともとにかくは生きていくのには変わりない。昔を懐かしんでも、昔が戻ってくるわけではない。もちろん、思い出として持っているのはいいと思うが、昔はこうだったのに、と、今を比べて文句を言っていても、不幸せになるだけの様な気がする。今だから、できること。今だから、まだできること。きっとあるはずである。この先、今できていることも更にできなくなる可能性だってあるわけである。だから、できなくなってしまった事に注目して嘆いてばかりいるのではなく、今、できていることに感謝しつつ、命を全うできるといいなと思う。
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