えんじゃけん

『贋作・罪と罰』まであと少し。

今日はとっても寒い日だった。
雪までは降らないけど、雨が降って寒かった。

本屋に立ち寄るとTOP STAGEに松さんのインタビューがあったので、
立ち読みをしてきた。
次回、出演する『贋作・罪と罰』で松さんが演じる
英(はなぶさ)役に対しての想いが書かれていた。
自分の信念のために人を殺めてしまう役だ。

『贋作・罪と罰』は今週の火曜日から始まる。
初日はいけないが、来週には行くだろう。
舞台を重ねるごとに変化していくだろうということが、
その雑誌を読んでいて感じられた。
東京公演の後にある大阪公演にも行きたかったなぁ。

ここからは芝居からは話が外れるんだけど、
『道徳心』というものがあるけれども、この道徳心はどこから
生まれたものなんだろうか。
人間の本心から?・・・社会という仕組みから?
人食いという文化を持つ種族がいたように、
日本の道徳心が世界に通用するとも限らない。
ということは、社会という仕組みが道徳を生んだといえるのだろう。
そうなると、道徳と呼ばれているものが本当に正しいのかどうかは
分からないのではないか?とも思える。

しかし、どこまでも自由にすれば、社会は崩れるだろう。
何もかも疑うときりもないだろう。
社会の中に生きるには、ある程度のルールが必要で、
それを守る必要もある。
しかし、そのルールが時代に合わなくなるときもある。
そんなときはルールを見直していかなければならないのだろう。

人を殺すこと。
命を奪うこと。
人はいろんな命を奪って生きている。
牛や豚や魚や野菜や・・・。
でも、それは生きるためだから、あまり罪の意識は持っていない。
もし、人を殺すことも生きるための手段で正当だといえる理由があれば・・・
人は人を殺すんではないか?と私は思う。
生きていくために。

罪とは、道徳・法律などの社会規範に反する行為。
罰とは、罪を犯したために受ける制裁。

罪は社会があるゆえあるもの。
そして罰は罪があるゆえあるもの。

もし、社会が歪んでいれば、道徳や法律も歪むだろう。
そして、そんな時代に歪んだ道徳や法律をもとに
罪を犯したものが罰を受けることは、本当に理不尽な話だと思う。
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