二十世紀を読む (中公文庫)丸谷 才一,山崎 正和中央公論新社このアイテムの詳細を見る |
本書は丸谷才一と山崎正和の対談集のひとつである。再読してみる。
その中に注目すべき章がある。それは「近代日本と日蓮主義」である。
寺内大吉著の「化城の昭和史」を紹介しながら、昭和史における日蓮宗の役割を論じている。寺内氏は一枚の写真に大きな疑問を抱いた。それは満州国の建国会議のときの写真。中央に本庄繁関東軍司令官を挟んで左右に2人ずつ清朝の遺臣が並び、後列には板垣征四郎、石原莞爾、片倉衷の面々が並ぶ。会場の右端に「南無法蓮華経」と大書した垂れ幕が下がっている。満州国と日蓮宗とはどんな関係にあるのか?それに端を発して著者は2冊の本を書くにいたる。
ここで丸谷氏は北一輝、西田税(にしだ・みつぎ)、2・26事件の反乱将校の磯部浅一、村中孝次、香田清貞、安藤輝三など、5・15事件の三上卓、塚野道雄、山岸宏も熱烈な日蓮信者であったと指摘する。満州事変の首謀者の石原莞爾も日蓮宗の一派である国柱会(田中智学)の信者であった。八紘一宇(大東亜共栄圏を正当化する標語)というスローガンは田中智学の造語だという。
次に、この国柱会と宮沢賢治の関係を述べる。賢治は熱烈な国柱会の信者であり、最愛の妹を国柱会で弔っている。あの有名な「雨ニモマケズ」の詩の最後は南無法蓮華経が七行反復して書かれている。その真ん中は特大の字で太く大書きされている。それに「国柱会発行の法華経を千部友人に配ってほしい」と遺言している。賢治と日蓮宗の関係を抜きに賢治の文学を語ることは片手落ちになるだろう。
国柱会が隆盛となった時代はインテリ層の増加があると山崎氏は見る。インテリ層特有の誇りと不安に応えるものとして受け入れられた。
山崎氏は仏教のあり方を次のように整理する。日本に最初入ったときは国家鎮護の教えであった。鎌倉時代になって初めて個人の救済の問題がでてきた。その方法に3通りある。第1は自力。禅宗がそれ。国家との関係で言えば、武将と結びつく。武将個人を通じて天下を間接に治める。第2は他力。浄土宗や浄土真宗がそれである。国家に対しては無関心である。第3の方法が日蓮宗。日蓮宗は意思的、英雄主義的である。国家との関係では、国家を日蓮宗にしてしまえば、1人1人を日蓮宗にしなくともよい。国家宗教主義。国家権力と結びつこうとする。
非常に興味深いのは、山崎氏が日本人の精神的座標軸を提供していることだ。まず、親鸞的なものと日蓮的なものに分ける。次に、農民武士的なものと個人的なものとに分ける。すると、第1象限は親鸞的なものと農民武士的なものができる。ここは日本人の大多数が入る。官僚的な人材である。第2象限は親鸞的なものと個人的なものが重なる象限である。ここには逆説的無常観の人々が入る。吉田兼好、森鴎外、太平記の作者など。第3象限は日蓮的なものと個人的なものが重なる象限である。ここには千利休、本阿弥光悦、高山樗牛、河上肇が入る。最後は、日蓮的なものと農民武士的なものが重なる象限である。ここには、北一輝、西田税、尾崎秀実が入る。さて、自分はどこに入るだろうか?