増田カイロプラクティック【読書三昧】

増田カイロプラクティックセンターのスタッフ全員による読書三昧。
ダントツで院長増田裕DCの読書量が多いです…。

スターリン暗殺計画―ドキュメンタル・ミステリィ

2008-02-18 15:15:21 | 増田裕 DC
スターリン暗殺計画―ドキュメンタル・ミステリィ (1978年)桧山 良昭 徳間書店
詳細

高島俊男の書評で購入した。
これは執筆当時(1978年)から40年前の出来事を追いかけるドキュメンタリー風な推理小説である。基本は、ドキュメンタリーである。昭和13年6月13日早朝、ソ連の内務人民医院部の極東地区長官であるリシュコフ大将が満州国に亡命してきた。スターリンによる粛清を恐れての亡命である。このころ、スターリンによる全ロシアで粛清の嵐がたけり狂っていたのである。

筆者は1938年10月に締結されたミュンヘン協定を調べていたところ、英文でほんの12語の日本人によるスターリン暗殺計画の記事を見つけた。このリシュコフ大将の亡命と暗殺計画が関係あるのではと言うのが筆者の疑問である。
そこから、筆者の執拗な生き残っている関係者への取材が続く。

当時の参謀本部の関係者、関東軍、イタリア大使館、ドイツ大使館の関係者に対する執拗なインタビューを続け、ついに、スターリン暗殺計画の輪郭を明らかにする。

もし、これが成功しておれば、第二次大戦の様子も、ソ連の政治も、日本の敗戦の様子もすべて変わっていたことだろう。歴史にイフはないのだが、しかし、可能性はたくさんあったのだ。

暗殺団はリシュコフ大将らロシア人7名である。
第1回目の暗殺計画は日本側単独によるもので、1939年1月24日、トルコの国境より侵入を試みるが失敗。どうやら計画はスパイのためにソ連側に漏れていた。第2回目の計画は当時3国同盟を締結していたドイツ軍の援助を得て、メーデー日に計画を実行しようとしたが、これも失敗した。ドイツ側の実行犯の裁判記録も探し当てた。

筆者はこのスパイも推理している。これはなかなか圧巻である。

リシュコフ大将空の尋問から、極東ソ連軍の実情をかなり知りながら、実際は何ら手を打てなかった。ノモンハンしかり。中国戦線の泥沼にはまり、近代化されたソ連軍の脅威になすすべがなかった。だから、スターリン暗殺の奇策にでたのであろうか。
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