「ビギナー」は2010年9月発売のシングルで、「シロクマ」と両A面となっています。
アルバムは「とげまる」(2010年10月発売)で、その1曲目に収録されています。
いきなりの力強いビートのイントロから、一転して問いかけるような歌い方で
曲は始まります。それも「未来からの 無邪気なメッセージ 少なくなったなあ」と。
一体何のことかと考え込んでしまいましたが、インタビューなどを読むと、
子供のころに読んだ手塚治虫などの漫画には、発達した科学技術による
輝くような未来が描かれていたけれども、近ごろはそういった楽観的に
明るい未来を礼讃するようなもの少なくなったな、というようなことらしいです。
私が小学生のときは1960年代後半、昭和でいえば40年代前半です。
アポロ11号の月面着陸が1969年7月、万国博覧会が大阪で開かれたのは
1970年(昭和45年)でした。
確かに21世紀の未来空想図では超高層ビルの間を車が飛び交ったり、
テレビ電話がどこの家にもあったりということが「無邪気に」描かれていて、
そういう未来がやってくるといいなと、私なんかも楽しく空想していました。
未来に対する明るい夢が持てなくなった上に、あのころのほうが
人に対して思いやりの心を持っていたのではないだろうかと。
ラブソングではなくて、同じ時代を生きる人々に向けての訴えかけ、
僕はこうやって初心者の気持ちになってみんなに思いを届けるよという
決意表明のような歌かなと思いました。
ある程度年齢を重ねて、身の回りのことだけではなくて、
社会全体を俯瞰して見ることに意識が向いた上での結果なのでしょうか。
「だけど追いかける 君に届くまで」
この「だけど」は、「少なくなったなあ」「記憶に遠く」なった、
だけど僕は未来に対して明るい希望を持ち続ける、
人と人がもっと優しくなれるはずだということを信じ続けるということ。
暗いことばかりの世の中だけど、
みんなの心がぱっと明るくなるようないいことが、
何気ないところにまだまだあるはず。
「同じこと叫ぶ 理想家の覚悟」って、選挙運動でマイクを握りしめて
声を張り上げる立候補者をイメージしてしまいましたが、
世間から冷たい視線を浴びてもへこたれず、
自分の考えを繰り返し、繰り返しみんなに伝えていけば
かないそうもないただの理想と思われていたものが、
いつかは必ず少しずつでも実現していくはずだと。
思うようにならなくて気持ちが沈むときもある。
そんなとき「テクマクマヤコン テクマクマヤコン」とか
「ラミパス ラミパス ルルルルル」、
あるいは「マハリクマハリタ!」という呪文を唱えて
ピンチから脱出できたらいいのになって空想すれば、
心が安らぐこともある。
初心者のようなぎこちない走り方だけど、
見通しのよくない未来をじっと見据えて走り続ける。
まるで政治家でも目指そうかというような勢いの歌詞ですね。
私たちの子供のころの未来図といえば、やはり小松崎茂さんでしょう。
おしまい