「運命の人」は1997年11月発売のシングルです。カップリングは「仲良し」。
アルバムは「フェイクファー」(1998年3月発売)に収録されています。
歌詞が難解で有名な曲です。
出だしの「バスの揺れ方で人生の意味が 解った日曜日」からして、
聞いているこっちは意味がちっとも解りませんでー(わかりまサンデー......)。
ネットで少し調べると、YAHOO!知恵袋にこんな情報がありました。
「このシングル発売当時、草野さんが大阪のFM802の番組に出演した時に、ちょうどその部分の歌詞について語ったことがあります。
草野さんはよく休みの日に散歩に出かけるそうで、その時にはよくバスを利用してたそうです。そのバスには、子供からお年寄りまで色んな年代の乗客が乗っているので、バスに揺られながら色んな人生が見えた気がしたっていう経験が、この歌詞に反映されているそうです(ちなみに草野さんいわく、電車は若者が多いというイメージがあるそうで、バスの方が色んな人を見れるのだそうです)。」
これがほんとうだとすれば、ああ、そうかと納得です。
しかし、それでもなお、聞く側に解釈の余地があると信じて続ければ、
芭蕉が「月日は百代の過客にして、行きかう人もまた旅人なり」と言うように、
人生は旅であります。
そう考えれば、自分の乗ったバスに次々に乗ってくる人、
そしてまたバスから降りていく人は、実際の人生で自分とかかわる人々と
重なって見えるような気もします。
それはさておき、
ある日曜日、ふたりでバスでお出かけ。おそらく座れずに立っていたのでしょう。
バスの中の人々を見て、ふと人生について考えさせられていたまさにそのとき、
バスが大きく揺れて、転びそうになる君の手をとっさにつかんで引き寄せる。
そしてそこで君のことを運命の人だと強く感じます。
でも、僕はそんな優しいだけの男じゃないからね。
もちろん、ギンギラギンの肉欲も持ってますよ。
あえて「偉大な獣」と心の中で宣言しているのは、まだ君と僕の関係は
この段階ではステディではないようです。
ひらたく言えば まだやってない のではないかなと。
「愛はコンビニでも買える」、意味深ですが、これがほんとうだとしたら
コンビニはお客さんでごった返しているはずです。
ここでいう愛はラブ、転じてセックス関連商品、ここでは男子の大好きなエロ本だと思います。
少し大人のふりしてそのたぐいの本を買ってきて、「おおっ、すっげえ」とか
「これ、チョーえぐいんだけど」とか言いながら、(同じく童貞の)友達と楽しく鑑賞。
ハンドジョブも決して悪いことじゃないけど、心のドアを思いっ切り開けて
「君」との仲を深めようよ。
「晴れて望み通り投げたボールが向こう岸に届いた」
これは今までは、「つき合ってください」、「はい」っていうことかと何となく思っていましたが、
ひらたく言って やっちゃった ということかもしれません。
とにかく「君」との関係が大きく進展したようです。
まあ、いずれにしろ、その後の「いつも もらいあくび~もっと輝く明日!!」も難しいところです。
もらいあくび → 他人のあくびを見て、つられて自分もあくびをしてしまうこと。
あくびが伝染するぐらいいつも近くにいるということか、
強いシンパシーをお互いに感じているということでしょうか。
あくびをすれば涙が出る。
特に夕暮れ時は、あくびで流した涙でも悲しいことがあったような気にさせられるし、
実際に生きていけば悲しいことやつらいことは必ず起こる。
でも、ふたりで力をあわせて明るく生きていこう。
冒頭にバスを持ってきたことから、サビの「走る」、「君を乗せて行く」という表現になっていますが、
これはふたりでいつまでも一緒に生きていきたいということを言っていると思います。
そのために僕は、無理と思えるようなことでも果敢にチャレンジするし、
万が一その結果がだめだったとしても、君の前だけは精いっぱいかっこつけて、
いつもいい男でいたいと心に決めてます。
I need You. つい楽なやり方へ逃げてしまいそうになるけれど、
泥臭くても自分の足で確実な方法を探すよ。
I need You. しくじることもきっとある。そんなときは君が横にいて僕を支えてほしい。
ふたりで幸せを見つけよう。
だから神様、どうか運命の人とこれからの人生を歩んでいけますように。
この歌もサビがすぐれてキャッチーで、一度聞いただけでも
人の心をガツッととらえて離しません。
子供のころ乗っていた山交のボンネットバスです。これならいいタイミングで揺れてくれそうです。
おしまい