へりくだりっていうのは、
神の命令をすべてまもる!ということ。
謙遜というのは、
過ちを自分で認めることのできること。
「極端な信仰は虐待」
風邪を引き礼拝を休むと牧師に心配かけまいとして、連絡してきたのに「礼拝に出れば治る」と、もし牧師が言うなら、信仰という名の虐待だろう。
精神的病には霊的な影響はあることは認めるが、統合失調症は脳の病気である。その方を悪霊に取り憑かれたというなら、信仰という名の虐待だろう。
もちろん、多くの霊的な影響による病気があることを認めての上である。
際にやってみなければ体験できない、神の恵みである十分の一献金も、経済的な理由で、今はできない人に対して「信仰が足りない」というのも信仰という名の虐待だろう。
人生をキリストとともに変えて行く作業は伴走なのだ。
自戒を込めて書く。
そして全ての霊的指導者を私は尊敬し愛する。
私にとって私を嫌う指導者がいたとしても、その方も人々を愛し導き霊的に養うことで尽力されているから