「ツァラート(思い皮膚病)を罪と読み取る」
レビ記 13:20 JCB
「祭司は調べて、できものが皮膚の下まで及んで見えたり、患部の毛が白くなっていたりしたら、「汚れている」と宣言する。できものの痕がツァラアトにかかったからだ。」
レビ記 13:20 JCB
観察
レビ記における病気の隔離における規定
適用
伝染病と考えられていた思い皮膚病の患者を隔離する規定を定めたものであるが、これをどう読み取るか。
ツァラートを罪と置き換えて読むことを聖霊さまに教えられた。
教会における罪を処理して行くことは大切なこと。
処罰ではなく、悔い改めには愛を持って。
隠された罪は本人と教会を滅ぼす糸口となる。なぜならサタンの足場を作ることであるからだ。
本当に悔い改めた経験がある人なら、簡単に人を裁くことはないだろう。
教会(集う人々)を清く保つのは個人個人が神の臨在であるからだ。
教会に罪がはびこる時、噂話、居ない人を断罪して、本人に忠告することをしない愛のない行動をとる。山火事が広がらないように、火元を隔離するしない時もある。
レビ記 13:9-13 JCB
「ツァラアトの疑いのある患者は、必ず祭司のところに連れて来る。祭司は皮膚に白い腫れものがあるか、患部の毛は白いか、腫れものがひどくただれているかなどを調べる。
そのような症状がはっきり見えたら、慢性のツァラアトである。祭司は患者に「汚れている」と宣言しなければならない。その人は明らかに汚れているので、検査を続けるために隔離される必要はない。 ツァラアトが足の先から頭の先まで全身に広がっているのがわかったら、 祭司はその人に、「きよい」と宣言する。全身が白くなっているので治ったのである。」
レビ記 13:9-13 JCB
祈り
1人ひとりが神の宮です。その宮を清く保つことが、日々新たになる聖霊の洗いの更新ですから、心を保つことを、念頭に置く群でありますように。信仰の完成者であるキリストから目を離さないひとりでありますように!アーメン
物乞いするには恥ずかしい