こんな世の中にしてはいけない! 2012年08月10日 | 日記 もし私たちが、自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちを清めてくださいます。 正直者が馬鹿を見るような世の中であったとしても、 キリスト教会だけは、そのようにしてはいけません。
2011年カトリック新聞復活祭特別号:人生の復活を遂げた進藤牧師 2012年08月01日 | 信仰メモ あえて私が牧師生命をかけて自分自身の失敗について語ったかを書きたい。 信仰を持っても覚せい剤を止められない。そんな人たち、その家族らの集まる講演会において語ったのだ。 神学生だった頃も伝道に燃えていた。すっかり覚せい剤の依存は癒されていたと思っていたが、覚せい剤の巣みたいなところに行き伝道したのだがミイラ取りがミイラになってしまった。 落ち込んだ私は1週間、祈っても応えられない地獄を経験。 この経験で、真の悔い改めに導かれ、本当の地獄とは神と交流できなくなることを悟った。 あれから8年。 私の悔い改めの実がたわわになっている。 決して、えばれた事ではないが、だからこそ、覚せい剤の怖さを広める活動を学校などで行なっている。 村上密牧師のブログでかかれた主張は当然です。 なんの反論もありません。ただ、学生時代に覚せい剤をしてしまった事実は学校側はしりません。私がいわなかったからです。按手礼をいただいたのは卒業後2年してからです。そのときも私は黙っていました。嬉しさのあまり、そのことを忘れていたのかもしれません。私が本当にずるかったのです。 私が悪いのであって、JTJ神学校にはなんの落ち度もありません。 村上牧師には、もういちど、こうして悔い改めの記事を書くことになって感謝しています。 その記事において、神学校にも多大な迷惑をかけました。深くお詫びします。 この件について、牧師按手剥奪をも覚悟して、正直に、後からですが、按手をしてくださった中野牧師にお話しました。 すると、問題なし!悔い改めの実がしっかり見えます。との回答をいただいてますます、燃えました。 神と人とに誠実に正しくありたいと思い、講演会でお話をして、カトリック新聞にも掲載を許可しました。 それは、一人でも依存で苦しむ人に、私と同じ地獄を経験してもらいたくないからです。 そして、いつでも、どこでも、だれでも人生をやり直せると言いたいのです。 悔い改めは、人間にはすぐにはわからない。しかし、その人の生活態度の変化で判断できるものです。 【新改訳改訂第3版】 ヤコブ 5:16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。