進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

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ヨハネの福音書 講解説教その1「創造者なる神イエス」レジメ

2019年05月21日 | 説教メモ

ヨハネの福音書 講解説教その1「創造者なる神イエス」レジメ


1.著者は使徒ヨハネでAD80-95
2.書かれた理由は使徒ヨハネがエペソにいた頃に異端が横行していた。エホバの証人と同じようにキリストの神聖を疑うものである。(エホバの証人のキリストの神聖は父なる神エホバより劣るもの)この異端対策として、アジアの監督(今で言う牧師)たちからの依頼であった。

3.目的はキリストの神聖、神の子としての主イエス、三位一体、信じるため&命を得るため(20:31)

〈特徴〉
他の福音書であるマタイ、マルコ、ルカによる福音書(は共観福音書と呼ばれる)が、そこに書いていない奇跡をあえて書いている。

〈全福音書が書く同じ記事〉
1.バプテスマを受ける主イエス
2.5000人の給食
3.エルサレム入城
4.最後の晩餐
5.主イエスの逮捕
6.十字架と復活
7.主イエスの埋葬
8.空の墓

本文
ヨハネの福音書1:1-5
1.初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。2.この方は、初めに神とともにおられた。3.すべてのものはこの方によって造られた。造られたもので、この方に寄らずにできたものは1つもない。4.この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。5.光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝てなかった。

〈三位一体の神の天地創造その1〉
創世記1:1-4
初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。闇が大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。神は光を見て良しとされた。神は光と闇とを区別された。

〈三位一体の神の天地創造その2〉
箴言8:22-31
主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。大昔から、初めから!大地の始まりから、わたしは立てられた。深淵もまだなく、水のみなぎる源もなかったとき、わたしはすでに生まれていた。山が立てられる前に、丘より先に、わたしはすでに生まれていた。神がまだ地の野原も、この世の最初のチリも造られなかったときに。神が天を堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき、わたしはそこにいた。 神が上の方に大空を固め、深淵の源を堅く定め、海にその境界を置き、水がその境を越えないようにし、地の基を定められたとき、わたしは神のかたわらで、これを組み立る者であった。わたしは毎日喜び、いつもみ前で楽しみ、神の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ。

 

例 使徒3章 新しい創造

再創造の中に生きること!

主イエス・キリストの十字架と復活!


「キリストに信頼するのは失望に終わらない」詩篇56:8

2019年05月16日 | デボーションシェリング 2016年から

「キリストに信頼するのは失望に終わらない」

昨夜のアーサーホーランド先生の説教の中で一番響いたのは、タイトルのみことばだった。
その日の私のデボーションの祈りの中で出たみことばとリンクしていた。

それは「あらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる」
今朝の通読、デボーションで響いたみことばは

詩篇56:8
あなたは、私のさすらいを記しておられます。
どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。

観察と適用
表題ではペリシテ人がガテでダビデを捕らえた時に。とある。

とてつもない死を覚悟するときの歌なのである。
そんな時にだけ神様助けて!と叫んだ訳ではなく、あらゆる苦難の時も、嬉しい時にも神を賛美しているのが詩篇であり、信仰である。

キリストに信頼するの人生は、失望や絶望でピリオドを打たない。

祈り
私の今の苦しみ、戦いも全てあなたの記録に記されています。そしてそれは私の通過点であり、火で精錬される金よりも尊いキリストの人格に近づく訓練だと信じて歩みます。私を造り変えてください。アーメン


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2019年05月04日 | 講演会&説教

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