くろさん亭、おかわり

食いしん坊の終戦記念日

今日は8月15日。

ジオン公国建国記念日。

ではなくって。

日本では終戦記念日、です。

              

私も戦争を知らない世代ですが、母たちから聞いた話をここで伝えたいと思います。

母方の祖父は終戦を満州で迎えました。

母たちは開戦前に日本へ帰っていましたので、祖父が終戦後帰ってくるかどうかわからなかったとか。

そんなある日。

ひょっこりと、本当にひょっこりと祖父が帰ってきたそうです。

          

         
着の身着のままの薄汚れた姿であった、とか。

でも、家族のために持ち帰ったものが軍支給のカンパンとどこかで手に入れた落花生。

それらは、祖父が自分が食べるものもロクに取らずに持ち帰ったものでした。
        
               
 
祖母、母の姉、弟、そして母。

祖父を囲んで積もる話をしていたそうです。

話が盛り上がる中。

まだ幼かった叔父は話に飽いたのか

ひとりモクモクカンパンと落花生を食べ、水を飲みはじめたそう。

女性たちはそれに気づかず、話し込んでいたら。

突然、異様な音が・・・。

戦時下、食べ物も少なく、小さくなっていた叔父の胃は

突然のごちそうを処理しきれなかったのでした。

あ~あ。

(母曰く、「あんなことになるんだったら、私が食べるんだった」とのこと)

ちなみに。

後年、叔父は大酒飲みとなりましたが、おつまみに落花生だけは食べません(笑)

(やっぱり、トラウマになったのかも・・)

大した話ではありませんが、本当にあった、庶民の終戦のドタバタ話の段でございます。

庶民の終戦、まだまだいろんなことがあったようですが、それはまたの機会にでも。

コメント一覧

くろさん
みきたろうさんへ
満州、まだよかったころのハナシはよく聞きました。
オンドルや水餃子、ロシア人が売りに来るパンのはなし。

死ぬための薬を小さい子供にも持たせる時代は、やっぱり間違っていると思います。

今の平和が続きますように・・。、
みきたろう
母親がまだちいさいころ
満洲から家族でにげかえってきた時の話は
よく聞きました
凄く恐かったそうです 少し遅れたらロシア兵につかまる…とか 死ぬ為の薬を持たされたとか
伯父さんほんとに良かったですね 大変だったと
思います
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事