前の記事で、東西ドイツ統一後に廃止された旧東ドイツ原発が、地の利を生かした自然エネルギー関連企業の誘致で再開発を進める正の局面と、ドイツの原発から排出された使用済み核燃料の中間貯蔵施設化されつつある負の局面を持っていることを述べました。2022年までに国内の全原発廃止を決めているドイツでは、それ以降は使用済み核燃料の増加が止まります。このドイツの決断には、昨年3月11日の福島第一原発の事故が決定的な影響を及ぼしました。しかるに事故当事国日本では、今日16日の野田政権による大飯原発再稼動決定や、40年を超える原発の稼動期間延長の余地を残す画策をするなど、菅政権が目指した脱原発の方針を後退させています。
たとえ原発事故が起きなくとも、増え続ける使用済み核燃料の脅威は増し続けます。この問題を解決する夢の技術として考え出された技術が、核燃料サイクルです。これの意図するところは、使用済み核燃料を再処理して取り出したプルトニウムを、高速増殖炉でウランと混ぜて燃やし、使用前より多くのプルトニウムを得ることです。しかし冷却剤として使用する金属ナトリウム(融点約98度)が第一級の危険物であることなど問題が多く、先行した欧米諸国ではフランスを除き高速増殖炉の開発が中止されました。「核燃料サイクル」は、日本の資源と使用済み核燃料問題を一石二鳥で解決してくれる夢のプロジェクトになる筈でした。しかしスタートから60年近くたった今も、実用化に至っていません。技術的困難さに加えて、国と電力会社の亀裂、プルトニウム保有による日本の核武装に対する海外の懸念など様々な要因が関係しました。
17日(日)22:00-23:30、NHK Eテレで放送のETV特集「核燃料サイクル“迷走”の軌跡」では、「核燃料サイクル」の計画からその後の経緯までの内幕を赤裸々に記録した録音テープをもとに、国家プロジェクトとして始まった核燃料サイクルの迷走の過程を描くそうです。以下は番組HPから得られた詳しい情報です。
日本の原発から出た使用済み燃料は1万5千トン。行き場のないまま原発敷地内などに保管されている。ゴミである使用済み燃料の処理方法が無いまま稼働を続ける原発は、トイレの無いマンションと揶揄(やゆ)される。この問題を一挙に解決する方策として模索されてきたのが「核燃料サイクル」だった。その夢のサイクルが、福島原発事故をうけて原子力行政が問い直される中、根本的に見直されようとしている。将来に向け、私たちはいまどのような選択をすべきなのか。それを考える前提として核燃料サイクル60年の足取りを知っておくことは必要だ。
日本では、原発開発が始まった当初から「核燃料サイクル」が目標にされた。使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、再び燃料として利用する「核燃料サイクル」は、資源小国のエネルギー問題と、放射性廃棄物というやっかいなゴミ問題を一石二鳥で解決してくれる夢のプロジェクトとしてスタートした。サイクルの要となる高速増殖炉は、プルトニウムをウランと混ぜて燃やし、使用前よりも多くのプルトニウムを作り出すことができるというもの。これを確立することができれば、理論上、千年はエネルギー問題から解放されると期待されてきた。
この「核燃料サイクル」の計画からその後の経緯までの内幕を、赤裸々に記録した録音テープがある。日本の原子力政策を中枢で担い続けてきた、政・官・財・学の中心人物が、非公式で開いていた「島村原子力政策研究会」の会合を録音したテープだ。国家プロジェクトとして始まった核燃サイクルが様々な紆余曲の中で迷走していった過程が語られている。
日本の核燃サイクルは「トリウム」という軍事利用できない燃料を使ったものが研究された。しかし、実現を急ぐ政界の意向から英米から既成技術を輸入することに方針転換された。英米で開発されていたのはトリウムではなく「プルトニウム」を使った核燃サイクルだった。プルトニウムは核兵器の材料になる。1960年代に中国やインドでの核開発に脅威を感じたアメリカは、70年代に日本の核燃サイクルに待ったをかけてきた。この圧力は日本に「焦り」と「意地」を生じさせ、冷静な開発を困難なものとしていった。
計画開始から半世紀以上が経過した今、まだ核燃サイクルは実用化されていない。そして使用済み燃料の問題は依然として解決していない。「一石二鳥」どころか「二兎(にと)を追う者、一兎(いっと)も得ず」の状態になっている今、核燃サイクルという夢を追ったプロジェクトの経緯を検証し、問題の所在を明らかにする。
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