昨日、ある人に誘われた。「今日花見がなくなったから、良かったら帰り、食事しない?」
何か相談ごとか、それとも私の愚痴を聞いてくれようとしたのか。しかし、いずれでもなかった。前から食事をしようとは言っていたが、何故に今頃になって…?と不思議だった。
話しているうち、だんだんお誘いの目的がわかった。たぶん。宗教の勧誘。驚いたね~。(うちの店長からすると、洗脳の話がでたとき、私もだいぶ入れ込んでるという印象らしいが…)
私より先に入社しているし、もう8年以上の知り合いだ。何で今頃? きっと、ワシントンDCから帰った私に、「楽しかった?」と聞いてきたとき、「…実は私クリスチャンで、その仲間で行ったの。」と告白^^;したからかも知れない。そう言えば、普通の人は、ああそう、と軽く流す感じだけど、彼女はちょっと目を丸くしてたような。意外でもあったんでしょうね。(私ってかる~い人間にしか見えない)
母の話とか信仰を持つにいたった経緯とかを話していたら、彼女も、信仰を持っていると。組織というか団体というか、その名前を言わないのでどこだかわからないのだが、「何妙法蓮華経」を唱えるというから日蓮宗だろう。互いに信仰を持っているという話で終わりかと思いきや、母にぜひ会いたいと言う。娘である私はクリスチャンであるが、母は、普通の日本人と同じく神棚と仏壇をまつる人。そんな母に、仏教的に自分が知ってるものの方が、どんなにいいかを伝えたいと言う。(伝えて安心させたいと)
何でも…死んだ人は、自分の力では仏になれない。供養してくれる人がいないと。人間は自分を供養してほしいから子孫を残す。普通は高い金を出して戒名をもらって、ってやるけど、これは月500円で「過去帳」というのに書いてもらうことができる。過去帳は日めくりだから、月に一度、供養したい人を拝んでもらえる。自分たちは毎朝ご先祖のためにお経を唱える。
「子供ができなかった人はどうするの?(供養してもらえないの?)」
「…そのために、自分が先祖を供養すれば、徳をつめる。」
輪廻転生の話になって。人は何度も何度も生まれ変わり、結局同じ人生を生きるそう。(ちょっと記憶があやふやだが、「何とかいい徳をつもうとして、つめる人もいるが、何回生まれ変わっても同じ人生を繰り返す人もいる」とか…)
「え?こんな人生をずーーっと永遠に繰り返すの?何回も何回も?私が聞いた仏教でいう輪廻転生は、その人の生き方によって、次は魚に生まれてきたり犬に生まれてきたり人に生まれてきたりって。」「ううん、人間は人間に生まれ変わるの」
供養について、私はこう言った。
聖書では偶像崇拝を戒めている。(仏像やお札は人間が作ったものでしょ?) 今は私の家族は誰もイエス様を信じていない。でも、聖書に「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」って書いてある。だから、やがて天国で、父とも再会できると信じているし、今の家族とも、天国で一緒になれると信じている。だから供養とか特別しなくていい。
今日母にその話をした。でも母は宗教の話が大嫌い。
母と一致したこと。
私も母も、私たちに勧めてくれるその人を見てしまう。どんなにいい信仰だと言われても、結果がその人?と思うと、、、、、拝む気になれない。母は、私をキリスト集会に導いたIご夫婦を知っている。一緒に御代田にも行ったし。(一泊で) 私も特に同い年の姉妹の雰囲気、人柄から、集ってみようかな、覗いてみようかな、という気になった。母も彼女の印象については同感だ。
しかし、母の周囲であれやこれや薦める人たちを見ていて、母は「いいことを言っても、あれでは・・・」といつも思ったということ。
私は私で、食事した彼女とは結構仲がいいし、話も合うし、いい人だと思うが、しかし、数年見ていて、愚痴の多い思い煩いの多い人だなと思うし、私より喜んでいないのが見てわかる。正直言って、私の方がよっぽど喜んでる。人間的に見ればまあまあ申し分ない人だけど、信仰的に見れば暗くてちっとも幸せそうじゃない。
母いわく、「そういう人は話がうまいだろう?」 確かにそうだった。言い負かされそうになって怖かったくらい。理屈では言い返せないとわかっていたから(私はそんなに深く聖書も神様もわかっていない)、ただただ、自分の信仰、聖書の記述、を言うだけ。
最後には母に会いたいとは言わなくなって、ほっとした。いい人なんだけど…。
*******************************************
どきどきで夢中な時間が過ぎた。その一方で、自分も「勧誘」してるとあちこちで思われてないだろうかと、ちょっぴり心配になった・・・・・。
信仰はお互い自由だ。自分の信仰について語り合うことも。でも必要以上に《しつこく》薦めるのは・・・・・・ねずみ講とかを思い出してしまうのだ。
何か相談ごとか、それとも私の愚痴を聞いてくれようとしたのか。しかし、いずれでもなかった。前から食事をしようとは言っていたが、何故に今頃になって…?と不思議だった。
話しているうち、だんだんお誘いの目的がわかった。たぶん。宗教の勧誘。驚いたね~。(うちの店長からすると、洗脳の話がでたとき、私もだいぶ入れ込んでるという印象らしいが…)
私より先に入社しているし、もう8年以上の知り合いだ。何で今頃? きっと、ワシントンDCから帰った私に、「楽しかった?」と聞いてきたとき、「…実は私クリスチャンで、その仲間で行ったの。」と告白^^;したからかも知れない。そう言えば、普通の人は、ああそう、と軽く流す感じだけど、彼女はちょっと目を丸くしてたような。意外でもあったんでしょうね。(私ってかる~い人間にしか見えない)
母の話とか信仰を持つにいたった経緯とかを話していたら、彼女も、信仰を持っていると。組織というか団体というか、その名前を言わないのでどこだかわからないのだが、「何妙法蓮華経」を唱えるというから日蓮宗だろう。互いに信仰を持っているという話で終わりかと思いきや、母にぜひ会いたいと言う。娘である私はクリスチャンであるが、母は、普通の日本人と同じく神棚と仏壇をまつる人。そんな母に、仏教的に自分が知ってるものの方が、どんなにいいかを伝えたいと言う。(伝えて安心させたいと)
何でも…死んだ人は、自分の力では仏になれない。供養してくれる人がいないと。人間は自分を供養してほしいから子孫を残す。普通は高い金を出して戒名をもらって、ってやるけど、これは月500円で「過去帳」というのに書いてもらうことができる。過去帳は日めくりだから、月に一度、供養したい人を拝んでもらえる。自分たちは毎朝ご先祖のためにお経を唱える。
「子供ができなかった人はどうするの?(供養してもらえないの?)」
「…そのために、自分が先祖を供養すれば、徳をつめる。」
輪廻転生の話になって。人は何度も何度も生まれ変わり、結局同じ人生を生きるそう。(ちょっと記憶があやふやだが、「何とかいい徳をつもうとして、つめる人もいるが、何回生まれ変わっても同じ人生を繰り返す人もいる」とか…)
「え?こんな人生をずーーっと永遠に繰り返すの?何回も何回も?私が聞いた仏教でいう輪廻転生は、その人の生き方によって、次は魚に生まれてきたり犬に生まれてきたり人に生まれてきたりって。」「ううん、人間は人間に生まれ変わるの」
供養について、私はこう言った。
聖書では偶像崇拝を戒めている。(仏像やお札は人間が作ったものでしょ?) 今は私の家族は誰もイエス様を信じていない。でも、聖書に「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」って書いてある。だから、やがて天国で、父とも再会できると信じているし、今の家族とも、天国で一緒になれると信じている。だから供養とか特別しなくていい。
今日母にその話をした。でも母は宗教の話が大嫌い。
母と一致したこと。
私も母も、私たちに勧めてくれるその人を見てしまう。どんなにいい信仰だと言われても、結果がその人?と思うと、、、、、拝む気になれない。母は、私をキリスト集会に導いたIご夫婦を知っている。一緒に御代田にも行ったし。(一泊で) 私も特に同い年の姉妹の雰囲気、人柄から、集ってみようかな、覗いてみようかな、という気になった。母も彼女の印象については同感だ。
しかし、母の周囲であれやこれや薦める人たちを見ていて、母は「いいことを言っても、あれでは・・・」といつも思ったということ。
私は私で、食事した彼女とは結構仲がいいし、話も合うし、いい人だと思うが、しかし、数年見ていて、愚痴の多い思い煩いの多い人だなと思うし、私より喜んでいないのが見てわかる。正直言って、私の方がよっぽど喜んでる。人間的に見ればまあまあ申し分ない人だけど、信仰的に見れば暗くてちっとも幸せそうじゃない。
母いわく、「そういう人は話がうまいだろう?」 確かにそうだった。言い負かされそうになって怖かったくらい。理屈では言い返せないとわかっていたから(私はそんなに深く聖書も神様もわかっていない)、ただただ、自分の信仰、聖書の記述、を言うだけ。
最後には母に会いたいとは言わなくなって、ほっとした。いい人なんだけど…。
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どきどきで夢中な時間が過ぎた。その一方で、自分も「勧誘」してるとあちこちで思われてないだろうかと、ちょっぴり心配になった・・・・・。
信仰はお互い自由だ。自分の信仰について語り合うことも。でも必要以上に《しつこく》薦めるのは・・・・・・ねずみ講とかを思い出してしまうのだ。
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