東方閃電はどこに由来するのか

「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。」(マタイによる福音書 24:27)

クリスチャン映画「天国への危険な道」抜粋シーン(5)パリサイ人が神に敵対するのは何故か

2019-11-30 15:58:43 | クリスチャン映画

 

クリスチャン映画「天国への危険な道」抜粋シーン(5)パリサイ人が神に敵対するのは何故か
宗教界のパリサイ人は皆、聖書に精通していて、長年主に仕えてきた者達です。しかし彼らは受肉された神の出現とその働きを求め学ぶどころか、逆に激しく批判し、非難し、反抗します。本当に信じ難いことです!宗教界のパリサイ人が神を非難し拒絶するのは何故でしょう。神は次のように仰っています。「荘厳な教会で聖書を読む者たちは毎日聖書を暗唱するが、一人として神の働きの目的を理解しない。一人として神を知ることができない。さらに、一人として神の心と一致していない。」「人が神に逆らう理由は、一方では、人の堕落した性質に起因しており、もう一方では神を知らないこと、神の働きの原則や人に対する神の意志についての理解に欠けることが原因である。これらの二つの要因が人間の神への反抗の歴史を成している。」(『言葉は肉において現れる』より)

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クリスチャンの証し「共産主義の妄言」抜粋シーン(6)山東省招遠事件の真相を知っていますか

2019-11-07 21:33:38 | クリスチャン映画

クリスチャンの証し「共産主義の妄言」抜粋シーン(6)山東省招遠事件の真相を知っていますか
中国と世界中に衝撃が走った山東省招遠事件のことは多くの人が知っています。この事件では多くの疑惑が生じました。人々はまた事件の背後の事実と真相を本当に知りたがっています。この短いビデオが皆様の質問に答え、疑念を取り除くことでしょう。

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クリスチャン映画「心の鎖を解き放つ」人間は本当に自分の運命を支配しているのだろうか 日本語

2019-10-07 11:10:54 | クリスチャン映画

クリスチャン映画「心の鎖を解き放つ」人間は本当に自分の運命を支配しているのだろうか 日本語
陳智は貧しい農家に生まれました。学校で教わった「知識で運命は変えられる」「運命は自分で切り開くもの」という考え方をモットーにしていました。一生懸命働きさえすれば、他から抜きん出ることができて、功績と名声を手に入れられると信じていたのです。大学を卒業すると、陳智は高給の外国貿易の仕事に就きました。しかし当時の境遇には全く満足していなかったのです。他から抜きん出るという理想を実現させるべく、彼は仕事を辞めて自分で貿易会社を興します。しかし好業績は長くは続きませんでした。経営がうまくいっておらず、顧客も減り、事業は衰退していったのです。ついには経営不能に陥りました。しかし会社が倒産しても、陳智は失敗を認めようとはしませんでした。自分の知識と能力を持って辛抱していれば、きっと再起できると信じていたのです。それから陳智はインターネットでデジタルマーケティングのウエブサイトを立ち上げ、インターネットで事業を始めました。とことろが数年間猛烈に働いたのですが、また事業は失敗に終わりました。陳智は恐ろしい苦難と絶望に落ち込みました。
2016年に陳智はアメリカに移住しました。そこで彼は妻の助けを通じて全能神の働きを受け入れました。全能神の言葉を読んだ陳智はやがて人類の運命は神様が握っていて、人は自らの能力に頼って運命を変えることは出来ないのだということを悟ります。また人の人生の中で出くわす苦難の理由も悟り、如何にサタンが人類を堕落させたかという事も知ります。更に意義のある人生を生きるには人は神様の前に出て裁きを受け、神様の言葉の刑罰を受けて清められて神様の言葉に頼って生きるようになって初めて神様の称賛を得るに値するようになるのだと悟ります。陳智は全能神の言葉からいくつかの真理を悟り、人生の正しい見方を得て。自らの人生を神様に預け、神様の支配と手配にゆだねることを知り、「自らの運命を自らの手中に」という心の中のくびきから解放され、それ以来、明るく正しい人生を歩むようになりました。

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ゴスペル キリスト教映画「神への信仰」抜粋シーン(4)聖書を信じることは主を信じることに相当するか

2019-07-08 18:38:28 | クリスチャン映画

 

ゴスペル   キリスト教映画「神への信仰」抜粋シーン(4)聖書を信じることは主を信じることに相当するか  

宗教界の人々の大半は、聖書がキリスト教の聖典であり、聖書を手離さずに大切に扱い、主についての自身の信仰をすべて聖書のみに基づけ、また聖書から離れてしまえば信者とは言えないことを信じています。それでは、主への信仰と聖書への信仰は全く同一なものでしょうか?聖書と主の関係とは一体何でしょうか?「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。」(ヨハネによる福音書5章39-40節)という言葉をもって、ある時に主イエスはパリサイ人たちを諫められました。聖書はあくまで神についての証であり、永遠の命を含んではいません。神だけが真理であり、道でありまた命なのです。ではどうすれば、主の御心に叶った方法で聖書を見ることができるでしょうか?

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「救い」真の救いとは何か

2019-06-22 19:23:57 | クリスチャン映画

 

クリスチャン映画「救い」真の救いとは何か 
救いとは何でしょうか?主イエスを信じる者は、誠実に主に祈って罪を告白し悔い改めれば、罪は赦され、救われ、主が再臨するとすぐに天国へ引き上げられると信じています。 しかし、救いとは本当にそんな簡単なものなのでしょうか?
この映画の主人公であるシュウ ジチァンは、長年神を信じ、熱心に神のために努力し、本分を尽くすために、あらゆることを犠牲にしてきました。そのため中国共産党に逮捕され、拷問されます。刑務所から釈放された後は、本分を尽くすことを続け、実践的な経験を積み、その説教や働きは兄弟姉妹の実際の問題を解決します。その後、妻も逮捕されますが、不平を言ったり諦めたりくじけることはありません。このことで兄弟姉妹から賛辞を受け賞賛されます。シュウ ジチァンは真理の現実を知っているので間違いなく神の国に入れると信じています。しかしすぐに予期せぬ試練が起こります。中国共産党の警察による拷問を受け、妻が亡くなるのです。シュウジチァンはひどく取り乱し、神についての観念や誤解、不満をもつようになり、神への反抗や裏切りさえ考えるようになります…。しかし後になって、神を裏切っていることに気付くと、反省し、自分のように試練を受け、不平を言ったり神を誤解したり裏切ったりする人々が、真に救われるのだろうかと考えるようになります。このような者は本当に神の国に入る資格があるのでしょうか?

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