東方閃電はどこに由来するのか

「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。」(マタイによる福音書 24:27)

全能神への信仰は主イエスへの裏切りではないのか。これは背教ではないのか。

2019-06-30 18:21:56 | 信仰と生活

全能神への信仰は主イエスへの裏切りではないのか。これは背教ではないのか。


聖書参照箇所

「勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。」(ヨハネの黙示録3章12節)

「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、『わたしはアルファであり、オメガである』。」(ヨハネの黙示録1章8節)

「そして、神のみまえで座についている二十四人の長老は、ひれ伏し、神を拝して言った、『今いまし、昔いませる、全能者にして主なる神よ。大いなる御力をふるって支配なさったことを、感謝します。』」(ヨハネの黙示録11章16〜17節)

神の御言葉による答え:

現在なされている働きは恵みの時代の働きを推し進めた。すなわち、六千年経営(救いの)計画全体における働きは前進した。恵みの時代は終わったが、神の働きはさらに前進している。なぜわたしは今の段階の働きは恵みの時代と律法の時代を基礎にしていると繰り返し言うのだろうか。これは、今日の働きは恵みの時代に行われた働きの延長であり、律法の時代に行われた働きを向上させたものであることを意味する。三つの段階は密接に相互関連しており、一つはその次の段階に繋がっている。なぜわたしは今の段階の働きはイエスによってなされた働きの上に築き上げられるとも言うのだろうか。この段階がイエスによってなされた働きの上に築き上げられなければ、キリストの磔刑、つまり過去に行われた贖いの働きはこの段階でなお実行されなければならない。だが、これは無意味なことであろう。従って、働きは完全に終わったのではなく、時代が前進し、働きは以前に比べていっそう高まったということである。今の段階の働きは律法の時代、および、イエスの働きの堅固な支えを基礎に置いて築かれるということができるだろう。働きは段階ごとに築かれ、今の段階は新しい始まりではない。三つの働きの段階の組み合わせのみを六千年にわたる経営(救いの)計画とみなすことができる。…イエスとわたしは同じ霊から来ている。わたしたちの肉体には何の関連性もないが、わたしたちの霊は一つである。わたしたちがすることやわたしたちが担う働きは同じではないが、わたしたちは本質的に同じである。…

『言葉は肉において現れる』の「二度の受肉が受肉の意義を完成させる」より

ヤーウェ、イエス、メシアはすべてわたしの霊を表すが、これらの名前は単にわたしの経営(救いの)計画の異なる時代を示すものであり、わたしの全体を表すものではない。地上の人々がわたしを呼ぶ名前のどれも、わたしの性質全体、わたしであるすべてを明確に示すことはできない。それらは単に異なる時代にわたしが呼ばれる異なる名前にすぎない。だから最後の時代――終わりの日の時代――が来た時、わたしの名前はまた変わるのである。わたしはヤーウェやイエスとは呼ばれないし、ましてやメシアとは呼ばれないが、強力なる全能の神自身と呼ばれ、この名前の下でわたしは時代全体を終らせるだろう。わたしはかつてヤーウェとして知られていた。わたしはメシアとも呼ばれ、また、人々はかつてわたしを救い主イエスとも呼んだ。わたしを愛し、尊敬したからである。しかし、今日わたしは人々が過去に知っていたヤーウェでもイエスでもない。わたしは終わりの日に戻ってきた神、時代を終らせる神である。わたしは、わたしの全性質を余すところなく顕し、権威、名誉、栄光に満ちて地の果てに立ち上がる神自身である。人々は一度もわたしと関わったことがなく、わたしを知ったことがなく、ずっとわたしの性質に無知であった。天地創造から今日に至るまで、わたしを見たことがある者はひとりとしていなかった。これは終りの日に人の前に現れるが、人々の間に隠れている神なのである。神は真実で現実的に、照りつける太陽や燃え立つ火のように、力に満たされ、権威にあふれて人々のあいだに存在する。わたしの言葉によって裁きを受けない人や物は一人として、一つとしてない。燃える火によって浄化されない人や物は一人として、一つとしてない。最終的には、あらゆる諸国はわたしの言葉のために祝福され、わたしの言葉のために粉々に砕かれもする。このようにして、終わりの日にすべての人は、わたしが戻ってきた救い主であり、人類のすべてを征服する全能神であり、かつては人のための罪の捧げものであったが、終わりの日にはすべてを焼き尽くす太陽の炎にもなり、またすべてのものを露わにする義の太陽でもあることを理解するだろう。それが終わりの日のわたしの働きである。わたしはこの名前を名乗り、この性質を持ち、すべての人がわたしが義の神であり、照りつける太陽、燃え立つ火であることが理解できるようにする。そうするのはすべての人が唯一の真の神であるわたしを崇め、わたしの本当の顔を見ることができるようにである。わたしはイスラエル人たちの神であるだけではなく、贖い主であるだけでもなく、天、地、海の至る所にあるすべての創造物の神である。

『言葉は肉において現れる』の「救い主はすでに『白い雲』に乗って戻って来た」より

最後まで子羊の足取りに追随する者のみが、最後の祝福を得ることが出来るが、そうした最後まで付き従えないにもかかわらず、自分が全てを得たと考えている巧妙な者は神の姿の証しに立つことが出来ない。そうした人々は全員、自分が地上で最も賢いと信じており、何ら理由なく神の業の継続的な展開を中断させ、そうした「神に対する至高の忠義があり、神に付き従い、神の言葉を遵守する」自分を、神は天に引き上げられると、完全な確信を持っているようである。…最後まで付き従わない者、聖霊の業から遅れる者、旧来の業に固執する者は、神への忠誠を満たせなかったどころか神に反抗する者となり、新たな時代に拒否され、罰を受ける者となっている。それ以上に哀れなことがあるだろうか。多くの者は、旧来の律法を拒否して新たな業を受け容れた者は、良心が無いとさえ信じている。良心に関して話をするだけで聖霊の業を知らない者は、究極的には自らの良心のために見通しを中断される。神の業は教義に準拠しておらず、またそれは神自身の業であるが、神はそれに固執しない。否定されるべき物事が否定され、排除されるべき物事が排除される。しかし、人間は神の経営の業のうち、ほんの一部に固執し、よって自ら神と対立している。それは人間の不合理ではなかろうか。それは人間の無知ではなかろうか。人間が神の祝福を得られないことを畏れて臆病になり、用心し過ぎればし過ぎるほど、より大きな祝福と、最後の祝福を得ることが一層不可能となる。盲目的に律法を遵守している人々は皆、律法に対して最高の忠義を示し、そうした者が律法に対して最高の忠義を示せば示すほど、そうした者は一層神に反抗する反逆者である。現在は律法の時代ではなく神の国の時代であり、現在の業を従来の業と比較することはできず、過去の業を現在の業と比較することは出来ない。神の業は既に変化しているので、人間の実践もまた変化した。現在の実践は、律法を守ることでも、十字架を負うことでも無い。したがって、律法や十字架に対する人間の忠義は、神の承認を得ないであろう。

『言葉は肉において現れる』の「神の業と人間の実践」より

神が為す働きは、時代によって違っている。もしあなたが、ある段階において従順さを見せるが、次の段階では従順さがより少ないか、全くないとしたら、神はあなたを見捨てるだろう。もしあなたが、神がこの段階に昇るとき、彼についていくことができるなら、あなたは次なる段階に昇る時にもついていくことを続けていかなければならない。そのような人のみが、聖霊に対して従順である。

『言葉は肉において現れる』の「真に従順な者は必ず神のものとされる」より

二千年前にユダヤ人たちがイエスを十字架に釘づけにしたあと何が起きたかを思い起こしてみるがよい。ユダヤ人はイスラエルから追放され、諸国に逃亡した。多くは殺され、全ユダヤ民族は前例を見ない破壊を受けた。彼らは神を十字架に釘付けにし―凶悪犯罪を犯し―そして神の性質を侵害した。彼らは自分たちが為したことの代価を払い、その行動の結果に耐えなければならなかった。彼らは神を罪に定め、神を拒絶したので、たどる運命は一つしかなかった。すなわち、神の罰を受けたのである。…

今日、神は自身の働きを行うために世界に戻ってきた。…

神の働きは強く打ち寄せる大波のようなものである。誰も神を引き留めることはできないし、誰も神の歩みを停止させることはできない。神の言葉に注意深く耳を傾け、神を探し求め、渇望する人々だけ神の歩みをたどり、神の約束を受けることができる。そうしない者は圧倒的な災難を被り、当然の罰を受ける。

『言葉は肉において現れる』の「神は全人類の運命を支配する」より

その他のフォーカス

復活祭の真の意味を知っていますか

 


面捜査員たち

2019-06-29 07:18:49 | 漫才

 

キリスト教会漫才2018「覆面捜査員たち」中国共産党がクリスチャンを迫害する新しい手段
無神論政党として国家の実権を握る中国共産党は、宗教の信仰を完全に禁じ、中国を神のいない国にしようと様々な陰謀を企て、罠を仕掛けるなど、卑劣な方法でクリスチャンたちを逮捕・迫害している。今回の掛け合い漫才「覆面捜査員たち」は、そのやり口を暴こうするもので、捜査員が別人になりすまして信者を陥れ、全能神教会の内部に入り込んで逮捕する様子は、まさに「宗教の自由」が机上の空論であることを明らかにしている。

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キリスト教会漫才2019「主の到来の形」


共産主義の妄言

2019-06-28 19:42:08 | 教会生活映画

 

キリスト教会映画「共産主義の妄言」は中国共産党政権がどうキリスト教徒を洗脳するのかを正確に描いた作品です。中国共産党の警察はジャン・ミンダオ他7人のキリスト教徒を逮捕し、残酷で非人道的な拷問をしました。彼らは神に頼って断固として証しをしました。中国共産党の役人や中国社会科学院の教授、また警察学校の教官や心理学者や牧師などが交代で、神を裏切るという宣言書に強制的に署名させようとします。8人のクリスチャンを洗脳しようと無神論、唯物論、科学、中国の伝統文化やあらゆる種類の噂などを吹き込もうとします。この武器のない戦争で、ジャン・ミンダオ達は神に頼り、中国共産党政府との激しい戦いで真理によって戦いました。結局真理は噓を打ち負かし、正義が悪を打ち負かしました。

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クリスチャンの証し「共産主義の妄言」抜粋シーン(1)封建的迷信として宗教信仰を非難する中国共産党の愚行

クリスチャンの証し「共産主義の妄言」抜粋シーン(2) 中国共産党の科学にもとづく神の支配の否定これは恩恵か、禍か


今ここで、私達は集う

2019-06-27 14:08:18 | 教会讃美歌

 

いのちの経験の讃美歌MV「今ここで、私達は集う」
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私達は愛し合う家族 あ・・・あ・・・
今ここで、私達は集う。神を愛する人々の集い
偏見なく、堅く結ばれ、幸福と甘美が私達の心を満たす
後悔と罪悪感を昨日に置いて
私達は今日、互いを理解し、神の愛の中で生きる
共にいて、肉から解き放たれ、私達は皆とても幸せだ
兄弟姉妹よ、愛し合おう、私達は家族だ
偏見なく、堅く結ばれる あ・・・あ・・・
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今ここで、私達は集う。世界中の人々の集い
腐敗させられたが、神に救われた
私達には共通の言葉と同じ心、そして同じ意志がある
引き離されている時も、感情を共有し
そして、私達が得た経験と認識も分かち合っている
今私達は、目の前にある光り輝くいのちの道を歩んでいる
希望と輝きに満ちた、喜ばしい未来
希望と輝きに満ちた、喜ばしい未来 あ・・・あ・・・
|||
今ここで、私達は集う
しかし間もなく私達は離ればなれになるだろう
神の委託と御旨を負い
神の御業のために、私達は互いに離れてゆく
集っている時、私達は笑い、楽しく語り
私達が去る時は、互いに励まし合う
神の愛、それは最後の時まで忠実であるための私達の源
美しい未来のためなら、私達は出来る限りを尽くすだろう
美しい未来のためなら、私達は出来る限りを尽くすだろう
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

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王国の賛美「カナンの良き地の幸せ」


「待ち焦がれて」神は天の御国の降臨の奥義を明かす 完全な映画の

2019-06-26 19:30:21 | 動画

 

2000年前、主イエスは信者達に約束をされました。
「あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(ヨハネによる福音書 14:2-3).その約束が故に、信者たちは何世代にもわたって神の約束が実現することを懇願し、祈り続けてきました。主がお見えになった時に天国へ引き上げられ招かれて、主にお会いできることを願い、祈っているのです。
この映画の主人公である陳向光も例に漏れません。彼は熱心な信者で、福音を広め、主の再臨を迎えるために主の証しをしていました。教師の職を追われ、家族の理解が得られないにもかかわらず、希望を捨てませんでした。ある日集会に出席していたとき、陳向光は中国共産党政府に逮捕され、刑務所に入れられてしまいます。しかし驚くべき神の定めと采配により、全能神教会のクリスチャン趙智明に出会うのです。趙智明は終わりの日の神の出現と働きについて証しをし、主の再臨を欲し祈る中で陳向光が長年抱いて来た観念や想像をかき消してしまいます。出所した陳向光は終わりの日の全能神の働きを学ぶよう兄弟姉妹を導きます。最後には誰もが天国に引き上げられるとは何なのか、王国は実は天国にあるのかそれとも地上に存在するのか、神の再臨をどう迎え入れるべきであるかを理解するのです。

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知らぬが命取り」なぜ愚かな乙女は天国へ入ることができないのか