
たとえそれが魚であっても、生きている状態から切り身になるまでの工程は凄惨だ。最初は生命を絶つこと。つまり魚をシメる。一般的には刃物で魚の急所を切断するが、私はもっぱら氷シメにすることが多い(大型魚の場合は刃物を使わざるを得ないが)。釣れた魚はクーラーの中の氷水に放り込み、クーラーのふたをする。それは魚が絶命する過程を見たくないからだ。(これは卑怯であろう)。次の段階はシメた魚を捌くこと。頭を落として腹を開き内臓を取出す。出てくるものはあまり見たいものではない。この作業も慣れてなければ相当な覚悟が必要になる。これが終わって魚はやっと切り身になる。スーパーに陳列してあるサケやブリの切り身と同じ。ここまでくれば誰もが屈託なく扱える。本当は、シメて、捌いた人にのみ魚を食う権利があるのだと思う。それが生命を絶つ罪過を背負うことに対する報酬だ。魚ならまだしも、牛や豚の場合は想像を絶する。私はステーキも、すき焼きも、豚カツも好きだが、ト殺して捌く勇気はとても無い。いったい誰が精肉になるまでの工程を担っているのか。そんなことは誰も知らない。ブラックボックスにしておくのだ。でなければ食えなくなるだろう。集団的無思考を考えるとき、誰もが一度は自らの手で魚を捌いてそれを食うという経験が必要なのではないかと、漠然と思う。
最近、イルカの集団自殺の本を読んでいたのだが、そのなかに、1990年代の話だが、日本の五島列島でイルカを大量虐殺したと欧米で報道されひどくパッシングされたことが書かれていた。
その事件は、何らかの要因により海岸に上陸して死んでいくイルカを始末している話でしかなかったのだが、欧米では虐殺と報道された。
実際、日本ではイルカは害魚として殺され食べられてきたのだが、今でも、鯨肉として売られているものもあるらしい (@_@) が・・・・・。
話を戻すと、欧米では牛を殺して食っているのに、
イルカを食べた日本人を原始人扱いしたことだ。
牛を食っているやつがイルカを食ってるやつを非難できるのか。
食文化の摩擦でしかないといえばそうだが、まあ、実際、牛よりイルカのほうに愛着があるので、日本人を非難したいところだが、今はやめておこう。
それでなにがいいたいのか自分でもわからなくなってきた。 (^^;
そう、ブラックボックス化により、自分の知らないところで罪を犯し、自分が同罪であることを忘れていることが多すぎる!! といいたい。
ブラックボックスに入れられた牛や豚が、精肉になって出てくるというオートメーション。一般人が目にするのは精肉のみ。
自らの手で家畜などの生き物の命を絶つという行為には、少なからぬ抵抗を感じるものだけど、これも繰り返せば慣れてしまうのかねえ。
m(_ _)m
それと前回の訂正です
「今でも、鯨肉として売られているものもあるらしい (@_@) が・・・・・。」
と書いてしまいましたが、そもそもイルカは鯨種でありゴンドーイルカは小さな鯨のようなものなので味も鯨に似ているようです。
本題に戻ります。
ブラックボックスというのは、タブーにつながるものがありますね。
触れられたくないものをボックス化していく。
罪を感じ後ろめたく思うもの、いまや生殖活動もそうだろうし、宗教における信仰なんてのもブラックボックス化しつつあるような・・・・。
しかし構造はとてもシンプルで、「権力は金持ちに有り、貧乏人は必ず金持ちに支配される」という至極当然の摂理ということですね。