「ポケットの中には、ビスケットが一つ♪
・・・たたいてみるたびビスケットは増える♪」
子供の頃に聞いた童謡です。このポケットの中身がただのビスケットなら、たたいて増えるのが美味しいビスケットならいいのですが・・・
数年前、ある時イメージでユリのようなラッパ状の花のつぼみが開花する様子が見えました。どんどん開花して満開を通り越してそのまま反り繰り返って、中身が外見のような姿になりました。その花は地球上にびっしりと覆うように生えていました。無数の花々が次々に開花していき、中身が外にあらわれていくのです。
その時来た言葉が『リバース・ザ・バース』でした。その言葉で、その花は地球に住む人々の事なのだと思いました。そして中身が外にひっくり返るのは、本来の自分につながる、覚醒の事だと思いました。それはいったいいつなんだろう・・・待ち遠しい!!早くその時を迎えたい!
そのイメージを見た時は、地球人の覚醒だと思っていたのですが、今はもう少し違うように捉えています。
花の開花はその人の本性が現れる、あるいは元々持っている想いを抑えきれないということを暗示しているのだと思いました。「ひっくり返ることで本来の自分として生まれる」ということをとっさに言葉にしたのかもしれません。英語に疎い私はこんなめちゃくちゃな表現になったのでしょうね。
もう本性を隠せない、そんなエネルギーが地球を覆い、人々は否応無くぽろっと本音を出してしまう時が来てしまったのではないかと思うのです。ここ数年、いろんなことが明るみに出てきているように思います。世の中の動きや、身の回りの知人レベルまで。そして自分自身への違和感も。
そこはかとなく感じ続けていた違和感に我慢できなくなり、「もう体裁もかなぐり捨てて、スッキリしたい!!」そんな衝動に駆られてしまうのではないでしょうか。それが近頃は個人でなく、全体的に起きている気がします。
でも、決して悪いことではありません。自分の本音に向き合うのはしんどいこともありますが、よくない本音があると認めれば、手放すことも出来るのです。また他人の嫌な本音を知ってしまうことは、その人との関係を見直すチャンスとも言えますね。「薄々わかってはいたけれど···」という場合などは、ようやく決着が着くのですから。
そして「中身が外側に現れる」というのは、本質への回帰とも言えるのです。「もうこれから先の時代はこんな風に本来の自分で生きる」、あるいはその人の本質が見えてしまう、ということになるのではないでしょうか。
それはそれですごいことになりそうで、ワクワクします!誰かが作った物差しに振り回されることなく、自分の心に従って生きることをみんなが選び始めるからです。その時ポケットをひっくり返すように自分の心をひっくり返したら、何が出てくるのでしょうか?
リバーシブルのバックっていつの間にか内側はうっすら汚れていて、裏返すのがはばかられることがありませんか?私だけですかね・・・
誰にでも心があり、愛があります。この愛が果たしてエゴなのか、高次の愛なのか・・・そこが大きく行動を左右します。そして結果が変わります。このひっくり返るというのは、自分を形作っている心や愛がさらけ出されてしまうことなのではないでしょうか。
かつてある先生から「与えられる愛は奪う愛でもある」と言われ、高次の愛について考えるようになりました。あれから約4年・・・今この時のための準備の期間だったとも思えるのですが、私の「奪う愛」はどうなったのでしょうか。
もう隠すことはできません。ポケットをひっくり返して出てくるのは、エゴか甘いビスケットか・・・いざ、リバース・ザ・バース!!