グランハート

日常で精神世界を探究しています。精神世界とは誰もが持っている心の世界です。日々の気づきや学びについて書いております。  

今日も今日とてもハッピー祭り!6『人の業というものは』

2024-09-27 14:18:50 | 日記

日々いろんなことがあって、翻弄されます。特に人間関係はしんどいですね・・・

でも今年に入ってから、なんだか今までと違う気がしました。トラブルはあるものの、すっきりと解決することが多い気がします。以前より自分の気持ちが楽な気がするのです。

 

つい近頃も、近所で揉め事がありました。親しいと思っていた知人の意外な言動を見て、大ショックを受けました。「こんな人だったなんて・・」

でも、ハッとしました。「私は本当にこの人を知っていたのだろうか?」と。立ち話が楽しい程度の関係で、その人のことをわかったつもりでいました。それは私の罪でもありました。


人間関係でも何でも、交通事故のように責任の割合があると思います。今回も決して10対0ではありません。私にもこうなる責任の一端はあったのです。

見たいところだけを見ていたのではないか。

あるいは自分の境遇に重ね合わせて感情移入しすぎていたのか。

その人の見た目等から、勝手に人物像を作り上げてしまっていたのではないか。


つまり私の色眼鏡を通してその人を見ていた、ということだったのですね。

この色眼鏡というのは自分の常識だったり、思い癖、思い込み、好みなどなど。自分にあるとも気づかず、言動のベースとなっているものです。

ここを手放すべく、励んできたのですが、まだまだありました・・


そこで、神様に聞いてみました。

――― 今回のことは何だったのですか?
『人の業(ごう)というものを知れ。』

―――人の業とは何ですか?
『人の子が人の子である所以である。人はどちらにでも転びうるのだ。時に自然の理に逆らう時もある。どうしてだと思うだろう。それは業を抱えておるからだ。』

―――業とはなんですか?
『業とは、業とは神の理に背くものなり。』

―――神の子が、神の子である人が、神の理に逆らう業というものを持っているのですか?
『それが人が人である所以である。業を手放し、神の道へと歩み行け。』

―――手放すにはどうしたらいいですか?
『気づくことである。業を持ち、業を使っておることに気が付くことだ。さすれば業を手放すことができる。気づかねば持ち続ける。やがては身を滅ぼすだろう。』

 

ここで神様がおっしゃる『業』というのは、感情のことだと思います。例えば「欲しいから盗る」「腹が立ったから叩く」というのはわかりやすいですね。感情に任せて道理から外れています。

また一見わかりにくいのですが、感情に流されて、そうしない方がいいとわかっていても、してしまうというのもあります。例えば「かわいそうだからかばう」「可愛いから甘やかす」というものです。


以前お世話になったから、多少の迷惑には目をつぶるというのも、けっこうありませんか?福子さんはぴしゃりとおっしゃいます。「私も前はそうだったからわかるけどね。でもそれはそれ、これはこれ。」・・・そうなんですよね・・・

こうして不本意なお付き合いを続けてしまい、しんどくなっていくことを、もう思い切ってやめたい!・・・とはいえ、なかなかフン切れ無いのも事実。

そもそも、気づけなければやめられません。だからショックはありましたが、こんなことが無いと気づけないので、今回のもめ事はラッキーだったとも言えるのです。


そう、まずは気づくことが第一歩です。だからもめ事というのは、自分の中の業というものに気づいて、手放して、軽やかに生きるチャンスなのです♪

ショックが大きいと、生皮を剥がれるような痛みを伴います。でも脱皮だととらえると成長とも言えますね。脱皮カモーン!!!


ここで大ショックだったと被害者意識に浸るのか、痛い目を見て学んだと捉えるのかが、人生の分かれ道!!そう、今回のことは、問いでもあるのです。

被害者意識で、すねて生きるのか?
学びと捉えて、経験値を上げるのか?


以前の私だったら、被害者意識で引きこもり。でも今は福子さんやその周りの皆さんのおかげで、何かうまくいかなくても「気づいてラッキー♪」と思えるようになりました。

今回も終わってみると、本当に大事な学びとなりました。学べて良かったとすら思っています。トラブルの大ショックから考えると、なんだか不思議ですね。


若い頃に本で読んだ『現象自体に善悪はない。それを決めるのは人間だ』というのは本当だったんですね。

そう考えると、『天国も地獄も同じ場所。どう生きるかで天国にも地獄にもなる。』というのもわかる気がします。

昔から、いろんな言葉で人生の先輩方が教えてくださっていたんですね。感謝。

福子さんの表現をお借りすると『みんな心の羽を広げて自由に飛べるんだよ』ということです。これが福子さんの絵やグッズを扱う会社『心羽(しんば)』の意味です!


福子さんと出会ってから丸9年。福子さんの考え方や生き方に触れて、いろんなご縁や気付きをいただきました。今では引きこもりを脱してこうしてブログを書いています。(福子さんについてはコチラ  福子さんと私。|Cosmos☆はな|note

 

自分の書いた記事を遠くの方々や知らない方々に読んでいただけるなんて、私にとっては奇跡です。時代や環境のおかげもありますが、背中を押してもらって心の羽で飛んだのだと思います。

以前と比べて状況は変わらないのに、心はめっちゃ自由です!この解放感を、ぜひ多くの方々にも味わっていただきたいです♪

事情は人それぞれ違うと思いますが、今いる場所で身動きが取れなくても、自分の心だけは自由に解放しましょう!その時から、きっと何かが変わり始めているはずです!


福子さんにご縁のある方は、みんな心羽エンジェルです。こうして今ブログを読んでくださっている皆様もですよ♪

心の羽で飛び立って、目の前の環境や状況を俯瞰して眺めてみましょう。きっと自分の気付きにつながるはずです!同じ目線では気づきにくいのですよね。

でも気づけば、手放していけるかも。何か見つかるかも?そうやってだんだん気持ちが軽くなっていきます!

何かしら行き詰まっている方は、ぜひお試しください。そして高らかに言うのです!

「今日も今日とてハッピー祭り!!」

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今日も今日とてハッピー祭り!3『この世の地獄というものは』

2024-09-12 11:49:57 | 日記

台風シーズンの到来ですね。大型台風の予報などもあり、いつも以上に準備をしております。出来る準備をして、あとはできるだけ避けていようと思います。皆様も、合言葉は「安全第一!」


近頃、特に思うのですが、動物的な人が多くないですか?数年前から目に付くようになりました。身の回りだけでなく、よく炎上したニュースなども目にするので多く感じるのかもしれませんね。そうした人を見て、なんだか不思議に思うのです。「皆から丸見えなのになあ」と。

私はいい人ではありませんが、人から見られて恥ずかしいので、あくまで自分の身を護るために発言を控えたり、言動に気を付けます。そういうものではありませんか?

若い頃、勤め先の上司に「人間は犬や猫じゃないんだから、大した差はない。でもそのちょっとの差が大事なんだろうが」と怒られたのがすごくショックでした。だんだん意味がわかるようになってありがたく、今でも心に残る言葉です。

時代なのか、SNSの発達で思いを述べることが手軽になったせいなのか、なぜありのままの自分を、本当に文字通りありのままにぶちまけてしまうのでしょうか・・私にはとてもできません。それは恥ずかしいし、何か大切なものを失ってしまう気がするからです。あくまで保身のために、です。

だから人目もはばからず、大声で文句を言ったり、ケンカをしたり、泣きわめいたり、自分が恥をかいて後ろ指をさされそうなことを、平気でやってしまう人が不思議で仕方ありませんでした。


確かに自分のキャパを超える事態に直面することは何度かありましたが、私の反応は体の力が抜ける系でした。取り乱したり、腹が立つこともありますが、それくらいならまだ人目をはばかる気持ちがあります。我を忘れるというほどではありません。でも過去の本当に想像を絶することには脱力してしまいました。不甲斐なし。

また、近頃うっかりやらかしてしまうことが増えてきて、老いを感じることがあります。だからお年寄りが道をふさいだり、ぶつかりながら歩いたり、そうしたことをわざとやっているわけではないことがわかる年にはなってきました。

ただでさえ人はそうなっていくのに、それとは別に自ら自分の評判や信用を下げる言動をする人、見かけたことはありませんか?すごい人かと思ったけど、その実力を上回る傍若無人な言動で「あの人はああいう人だから」と陰でささやかれてしまう人・・・

本当に残念で、そして不思議でした。立派な方が晩節を汚すということもありますが、老いとはまた別の何か・・頑張って成功した方が自分の力だと思いあがって転落するような場合とも違う別の何か・・・精神世界では魂が幼いといういい方をしたりしますが、それともまた違うような・・・



数年前、人の仕組みをイメージとして受け取りました。イメージの中で、人はスノードームそのものでした。つまり、透明な容器と中身です。

磨き上げた器に、澄み切った透明な水とピカピカの宝物。これが理想のスノードームです。外の小さな明かりを反射してキラキラと輝き、外に強い光を放ちます。

人で言うと、小さな喜びを存分に楽しんで、周囲の人々にも分かち合うということだと思います。

これが私なりに理解した人の仕組みです。身近で最高のスノードームといえば、福子さんです。福子さんといると、ドラッグストアでさえテーマパークの様に楽しいのです。

オンでもオフでもない。ただそこにいるだけで輝いていらっしゃるのですね。何十年も懸命に前向きに生きてこられた、それこそが福子さんのとびきりの明るさの仕組みなのでした。

 

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明るい所でも輝くのが、本当の明るさなのだと思います!

 

この人の仕組みを受け取った時、私も自分なりに輝けることがわかって救われた気がしました。今からでも器を磨き、汚れた水をちょっとでもきれいにし、ガラクタを手放すこと。

日常でいうと、不本意な何かが起きた時にはまず自分を省みて、気づきや学びに変換していくこと。そうしていくうちに、ネガティブな渦に巻き込まれることが減っていきました。そして近頃は、トラブルが過ぎた頃には清々しい気分になっていることが多い気がします。日々の中で、根気よく、ちょっとずつ。ぜひ、お試しください!


逆に悪口や不平不満を言ったり、傍若無人に振る舞うのは自分の心にせっせと泥や汚物を詰めていることになるのではないでしょうか。このスノードームは丸見えなので、自分はこういう人間だということを周りに発表しているようなものです。

泥や汚物の詰まったスノードームを晒しているなんてゾッとしませんか?もう悪口や不平不満を言うなんて、できません。何度も言いますが、このスノードーム、外から丸見えなんですよ!

ちょっとでもきれいにしたいと思うのが人情ってものではないでしょうか?だって、丸見え!丸見えなんです!!なんでわざわざ中にガラクタや汚物を入れるんですか?



本当にここ数年不思議でした。でもその答えが見つかりました!!三木大雲さんの天国と地獄のお話の中にその答えがありました。「愚かは畜生」だそうです。この愚かとは無知であり、善悪がわかっていないことだそうです。そのため、人間が動物化しているのだそうです。


三木大雲さんは怪談説法で有名な、日蓮宗のお坊様です。近頃、三木大雲さんのお話が大好きで、特にお経のお話がとても興味深いです。

「常にお経に立ち返る」とご本人もおっしゃるように、お経を考え方の拠り所にしていらっしゃるので、いつも変わらぬ安心感があります。ご興味があれば、ぜひYouTubeをご覧くださいませ!

 

その中でこの世における天国と地獄のお話があるのですが、これがとてもわかりやすかったです。この世の中でも人の成長具合で、生きながらその人に応じた地獄や天国で暮らしているというのです。

あちゃー。身につまされるお話も聞きながら、天国に行けるよう日々成長していきたいと思うありがたいお話でした。あまりお説法というものを聞く機会がありませんので、動画を楽しみにしています。皆様もよかったらぜひ!

毎日がハッピー祭り!!

https://www.youtube.com/watch?v=9ZYvXyBTfLw

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今日も今日とてハッピー祭り!2『人付き合いというものは』

2024-09-10 19:27:43 | 日記

私には兄が一人います。4つ違いで、仲はよくありません。小さな頃は仲のよさそうな写真が残っていますが、かわいがられた記憶はありません。私からすると、横暴な兄でした。

おまけに自分以外のためにお金を使うのを無駄と考える人で、子供の頃、父の日や母の日などを一緒にしようとすると、「お前がするから、俺もせないかん」と怒られたりしました。


学生の頃、世の中には優しいお兄ちゃんがいると知ってびっくりしました。二十歳の頃でした。私の記憶では、「こき使われる」「お手伝いはしない(母がさせない)」「チャンネル権は常に兄のもの」といった感じで、兄というのは多かれ少なかれそういうものだと思っていましたので、サークルの先輩が「今日帰って妹とゲームする」と嬉しそうに言うのを聞いて衝撃を受けたのをよく覚えています。


そんな風に、さすがに20歳を過ぎると、兄という人間が一般的に優しくないのだということがわかってきました。

今となっては自分にも責任の一端はあったと思います。いやいやでも従う私の性格が、兄や母をのさばらせたのです。また私の方もちゃっかりと兄が買う漫画を見せてもらったりもしていたので、兄からすれば駄賃を渡していたつもりだったかもしれません。

反発も感じつつ、兄の横暴と母の過干渉を「そういうものだ」と思っていました。私は他人と合わせるのが苦手で、家庭内で過ごすことが多く、私の方も受け入れてしまっていたように思います。変な言い方ですが、ある意味相性が良かったんですね。これが「共依存」なのかもしれません。


27歳で親の反対を押し切って、やりたい仕事に方向転換した時にようやく精神的に自立出来ました。本当に気が楽になって、人の目を気にすることなく自分の人生を歩き始めたのを実感しました。雨が降ろうが寒かろうが、楽しいと感じる毎日でした。

その決断が今に通じていると思います。ギリギリセーフでした。今振り返ってもあれが大きな人生のターニングポイントだったと思います。

 

こんな私がたった一つ、兄に感謝していることがあります。それは兄のおかげで、私に対して横暴な人間に敏感なこと。

私はおとなしく見えるのか、男女にかかわらず、変な人に目を付けられることがあります。すると「ああ、私を子分にしたいんだろうなあ」と、ピンとくるのです。

心の内側まで入ってこられると、はっきりと断れないところがあるのは自覚しているので、徹底的にスルーします。家でも兄や母に振り回されているのに、外でまでそんな目にあってたまるかと。



以前、こんなお話を本で読みました。
心理学的には女王様と奴隷とは、一見女王様が強そうに見えるけれど、実は奴隷が許可を与えているのだと。ということは、奴隷が許可を出さなければ女王様は手を出せないのです!

目からうろこでした!!!私は自分が奴隷気質なのはわかっています。奴隷というか、羊です。そこでじっとして、どこかへ行くという発想はありません。門が開いていても出ていかないタイプ。なんの不満もなく、そこで食べ、そこで過ごし、そこで寝る。

これは朗報でした。だからこそ、主を慎重に選ばなければならないのです。自分が羊であることを自覚し、そんな私ができるだけ心地よい所で暮らせるように意識すること。その意識で付き合う相手を選びさえすれば、大丈夫!



そうして周りを観察すると、意外と大丈夫そうな人がやられ放題な事に気づきます。おそらく今まで人に害されたことが無い人が、無防備なのだろうと思います。どう対処していいかわからず、気づけばグイグイとねじ込まれている様に見えるのです。

おそらく威張りたい相手も人を選んでいます。「この人だったら言い返さないだろう」「この人だったら言いなりになるだろう」と、相手を値踏みしているのです。反撃されないとふんで、しつこくからかったり、自分の行きたい所に連れまわしたりするのです。


福子さんもこうおっしゃいます。「ナメられたら、いかんよ。私だったら言い返すと思うよ。そんな相手には嫌われてもいいさ。」本当にその通りだと思います。

言えるなら、言うのがいいと思います。そうしたジャブをかましておくと、相手も用心するというもの。いつも威張る側の人は、案外打たれ弱かったりもするのです。

でも職場やクラスのグループなどでは角を立てるのは難しいかもしれませんね。程度にもよりますが、選べるものなら集団自体を選び直す必要があるかもしれません。家族であるなら精神的に、可能なら物理的にも距離をとることが必要になります。

そこまでしなくても・・と思っていませんか?そう思うあなただから、付け込まれているということを自覚してくださいね。私もそうだったからわかります。「自分が言うことを聞いていれば、丸く収まる。」初めはたったそんなことなのです。

私もそういう感じでした。そうなると相手はどんどんかぶせてくるのです。「でもいいか、家族だから、妹だから」と続けていると、自分のことがどんどん後回しになって、自分がどうしたいかがわからなくなりました。

これは、私が兄や母のせいで自分の時間を無駄にしたと訴えているのではありません。なんで自分はいろいろ断らなかったんだろうかという反省です。これは私の罪なのです。

だから今は、生かされていることに感謝しながら、自分の人生を最優先にする!という気持ちでいます。できるかぎり、後悔の残らない時間やエネルギーの使い方をしようと思っています。

 

通り魔や泥棒を家に入れますか?」と問われたら、そんなバカな事するわけない、と思いますよね。でもその人たちは目には見えないけど、あなたの心を傷つけ、愛や時間を奪っています。

そしてそんな人たちと付き合うということは、自分が通り魔や泥棒を家に招き入れているのと同じです。それは自分の罪です。ひどい目にあっても仕方がないかもしれません。

たまには優しいかもしれない。過去には助けられたこともあったかもしれない。でも、今苦しい思いをしているなら、もうその人たちを招き入れてはいけない。

それはまるで魔王を鎮めるために、自分の人生を生贄に差し出しているようなものです。その人といる数時間だけの話ではありません。その人と会う前はもやもやし、会った時はチクチクと刺され、会った後は後で腹が立ち・・・会ってない時間さえもその人に翻弄されているのです。それが毎回となれば、もう人生が食いつぶされていきます。


私は以前は誘われるとなかなか断れませんでした。でもその日が来るのが憂鬱で、体調が崩れドタキャンし、その後は罪悪感にさいなまれ・・・そこである日、勇気を出して断ってみました。

するとその時にはちょっとざわっとするものの、そこで終わるので本当に楽でした。それに相手も次の人を誘えるので、お互いにいいのかもしれないと思いました。それを繰り返すうちに、誘われたくない人からは誘われなくなります。本当に楽になりますので、よかったらお試しください!

その結果、孤独になるかもしれません。私も人付き合いが苦手で、人に合わせるくらいなら一人の方がいいと思って過ごしてきましたが、正直少し寂しかった。でも遠くても本音で付き合える友達が出来た時、寂しくなくなり、本当にこれでいいと思えるようになりました。

今の時代、カケホーダイやYouTubeもありますし。寂しさを紛らわすために身近な職場や近所の人と、無理して付き合う必要はないと思います。なぜなら自分を偽ると、本当の自分を受け入れてくれる相手に出会えないからです。

自分らしく過ごして、その自分を受け入れてくれる方たちと出会うことこそが、真の喜びとはいえないでしょうか?たった一人であったとしても、本音で付き合える人と出会うのは、奇跡だと思うのです!

捨てる神あれば、拾う神あり!20年来の友人とそりが合わなくなって別れた後、福子さんと出会いました♪ その後、福子さんのご縁で少しずつ本音で付き合える方々に出会うことができました。今では本当に穏やかに健やかに暮らしております。

もしも今あまり楽しくないという方は、思い切って自分に向き合いましょう!嫌いな人や嫌な事を紙に書き出してみてください!そしてやりたいこと、憧れの人を書き出してみてください!

まずは自分の中身を全部紙に書き出して、捨てるか拾うかをあなた自身が自分の神となって選んでみてください。それだけで、ちょっとすっきりします。

心の整理が難しければ、まずは物の整理でもいいそうですよ!これもそれを買った過去の自分と向き合うことになります。あるいはそれがもらった物なら、過去の人付き合いや手に入れた経緯に向き合うことになるので、結局は自分と向き合うことになります。

あるいは未来のなりたい自分のイメージを強く持てるなら、それと合わなくなった物や人付き合い、仕事を整理していくという方法もあります。

他にもYouTubeでいろいろな方法を教えてくださっていますので、やりやすいことから、ちょっとでも手を付けて行動しましょう!

そうすればきっと、毎日がハッピー祭り!

 

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今日も今日とてハッピー祭り!1

2024-08-29 09:32:22 | 日記

お盆でしたね。8月は、暑い時期ですがお盆があって、しみじみとします。いかがお過ごしですか?


2024年も8か月が過ぎようとしています。いろんなことがありすぎて目まぐるしかったせいか、早かった気もします。でもその時は濃くてしんどくて・・・本当にいろいろありました。

8月1日になんだか大きな峠を越えて、新たな気分で再出発したのですが、顔の向きを変えた途端にいろんなことに気づきました。今まで集めたパズルのピースがつながって、完成図が見えた気がしました。

「あれ・・?みろくの世って、みんなが神意識で生きる世界のことなのでは・・・!!!」

 

そうなんです!!仕組みはとてもシンプルでした。過去の記事や過去記事をまとめた電子書籍でくわしくお話ししていますが、簡単にまとめてみますね。

まず、私達の魂は神様がご自分の意識を細分化して作ってくださったものだとします。これを『分け御魂(わけみたま)』というそうです。ここを受け入れられると、本当に楽になります。

でも神の子であるはずの私達がちっとも神様のようではないのは、わかる気がしました。そう!植物の種と同じです。この分け御魂の周りにネガティブなものがこびりついていて、魂の栄養である愛と光が届かず休眠状態であるからだと思います。

種のままではヒマワリの美しさは感じられませんよね。でもその小さな種がヒマワリになると思うと愛しく感じられるように、私達の中にも神様の種があると思うと、とっても嬉しいです!何とかして、休眠状態から目を覚ましたいですよね!

そのためには、まずはネガティブな思いを手放します。そうすれば愛と光が差し込んで、分け御霊がだんだん活性化されていきます。

すると目の前の問題に前向きに取り組むことが出来るようになります。失敗は気付きや学びとなり、成功は更なる発展の礎となるため、次第に魂が磨かれていきます。

そしたらきっとある日、神様の芽が出るのです!!ここまでは過去記事で詳しくお話ししていましたが、それが神意識だと思います。

8月1日の朝にふと、「神意識で生きる人々の暮らす世の中が、みろくの世なんだ!」と思いました。

以前から「本当の幸せは、幸せな人達の中で暮らすことだ!」とお話ししていましたが、それが『みろくの世』なのではないでしょうか?

だとすれば、私達一人一人の意識の有り様で、世の中が変わるのです!少なくとも、自分は救われますね。

自分と自分の周りだけでも幸せになれば。そうなれば、雨の降る地面のように、そこらじゅうが幸せの大地になるのです!

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雨粒は離れているのに、その波紋は重なり合って大地をおおっています。
こんなふうに一人一人の幸せがやがては大地をおおい、そこはみろくの世に!?

 

いいこと思い付いた!こういう時は神様からのメッセージです!!
日々の出来事で気づいたことや神様から学んだこと、また福子さんや心羽ファミリーからのアドバイスや共に学んだことを皆様とも共有したいと思いました。

そしてみんなで毎日をハッピー祭りにしよう!と思い立ちました!そうすればそのうち、この世はみろくの世になっている気がします!

不定期連載ですが、よかったら皆様もご参加ください!!

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この記事をアップする日、お空に鳳凰が!?

 

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朝からカンカン照りなのに、お顔は虹色です!!・・あら?鶴??

 

 


新たな気分でハッピー祭り!

2024-08-20 22:53:42 | 日記

暑中お見舞い申し上げます。皆様、いかがおすごしですか?
雨も少なく、連日カンカン照りで、畑にも毎日水やりに行かなくてはならず。昔の人々にとって雨乞いは切実だったのだろうとつくづく思います。

でも悪い事ばかりでもなく、気づいたら、畑仕事のおかげでけっこう元気に過ごしていました。何事もありがたい面があるんですね。

 

8月1日以降、なんだかスッキリしました!!実は、強引に顔の向きを変えただけ。それだけで気持ちが変わり、入ってくる情報も変わって毎日がハッピー祭り!!皆様も、ぜひお試しくださいませ!


5月からいろいろなことが重なって、思うようにいかないことが多い日々でした。本来は高齢の義父と同居している私が、今まで自由に動けていたことがありがたいことだったんだなあ、とようやく気づきました。感謝。

さらにいろんな事情で翻弄されることがあり、その度に自分と向き合い、周りの方々に教わりながら、迎えた7月末日。

「さあ、今までの因果は今日で終わり!明日からは新たな出発だ!」と思って次の日を迎えると、なんだか気分的に開かれていて、身も心も軽くなっていました。

そしてふと、昨日まではわからなかったことの答えが心に浮かびました。「えーーー!?そうだったの!?」

 

わからなかったことがわかる瞬間って、不思議ですよね。まるでそれまで目隠しをされていたかのような。点と点がつながって線になる。そして全体像が見えてくる。そんな遊びが子供の頃にありましたね。

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犬かと思ったら、ね・・こ・・?

 

 

 

過去記事でも書きましたが、私は時々神様とお話しします。(私にとっては神様ですが、判断は皆様にお任せしますね。)
ここでは一部をご紹介させていただきます。



2018年12月1日
『よう聞きなされ、聞きなされ。太平の世の真の世。おついたち参りの風の吹く。清き流れに身を任せ、今日のみぎりに明かしの世。さあ、行きなされ、行きなされ。』


『これから新たな始まりぞ。行きつく先はみろくの世。そなたの仕事をやりなされ。後は流れに身を任せ、はては夜明けか暁か。
されども灯(あかり)のともる場所。神の御許(みもと)に行きなされ。さあ、行きなされ、行きなされ。』



2019年4月22日  22:40~
『これから始まるみろくの世。己は何のわたらひや。よう聞け、世を知れ、来来来(らいらいらい)。これからこの先遥かなる、御代に八千代にわたらひて、清くはためく真の世。そなたは何のわたらひや。

まっこと己に聞きやんせ。行きはよいよい、行ったきり。果て無き道を歩きなむ。己のわたらひ掲げつつ、愛しき光抱きつつ。さあ行きやんせ、行きやんせ』

『己開いて行きやんせ。己開いて桃開き。互いにわかる世の仕組み。さあ行きやんせ、行きやんせ。』

2019年7月16日  11:30~
『これよりくるぞ。とてつもない厄災と、それを吹き消す衝撃と。
心して備えよ。
いよいよ始まる合切(がっさい)のつじつま合わせ、張り合わせ。
汝の心に聞きやんせ。そなたはなんぞ、わたらひや。
あまねく人の平らかに。さりとてこたびの合切は、避けては通れぬ一里塚。
光の方へ行きやんせ。明るい方へ行きやんせ。はあよいよい』


※「わたらひ」の辞書的な意味は「世渡りすること。暮らし向き。また、そのための仕事。生業。」だそうです。これから激動の中、どう生きていくかを問われているのだと思います。お役目も含めて、ということでしょうか。

 


こうしたやりとりがポツリポツリと、長年に渡ってあるのですが、聞いてもピンと来ないことも多く、とりあえずメモしています。

その中でも、「アセンションとは『意識の移行』のための前段階である」とようやく自分なりに納得して、それに関する神様とのやりとりを記事にしました。これは自慢話ではありません!人の仕組みだと思います。

 

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ブログの過去記事が埋もれていくので、大事なお話だけ電子書籍にまとめています。キンドルの読み放題でも読めますので、よかったらぜひ!

※『光の一滴』は上中下の予定です。(R6.8月現在は上のみ。)

 

よく出てくる『光の方へ』という言葉。それはなんとなく「良き行いをしましょう」というようなものだと思っていました。そして『みろくの世』というのも漠然と「平和で幸せな世界」だと思っていました。

でも、それは私が未熟で意味を汲み取れていなかっただけでした。神様は、はっきりと伝えてくださっていたのに・・

結論からお伝えします。私達みんなが神意識で生きれば、そこが『みろくの世』であるのだと思います!



8月1日に心がスッキリした私は、2月より始まった形の流れから作り始めた形の続きにとりかかり始めました。すると、神様が人に降りてくる様子が形に現れました。なるほど・・・


その様子は枝分かれして降りてきていました。その際、上では白い神様が降りてくるにつれて、色とりどりに多様に変化しながら細分化していました。そのため、縁結びや道開きなど、特化した御神徳を持った神様が生じるのではないでしょうか。


虹の仕組みに似ていると思いました。太陽の光は白いのですが、これはさまざまな色の光が混ざった結果、白く見えているそうです。太陽の白い光が水滴の中に入るときに分解されて、光がさまざまな色に分かれるのだそうです。

神様も人に近くなるにつれ細分化され、個性豊かな色とりどりの神様となって現れ、多くの人々に親しまれているのではないでしょうか。
そう思うと、神様がより近くに感じられませんか!

 

それを見た時、神様が降りてきてくださるとすれば、私達はそれを伝って昇って行けるのではないかと思いました!すると今まで点と点がつながるように、バラバラに受け取っていたメッセージがつながって、ようやく全容が見えてきたのです。


それが本当かどうかは自分で試すしかありません。

そのやり方で本当に神様の芽が出て、神意識で生きることができるのか?

それは周りにいい影響を及ぼすのか?

そして元々の願い「我が子の住む世の中が明るい世となりますように。」というのが実現するのか?

 

みなさん、ご一緒に試してみませんか?鍵は分け御魂です!

分け御魂を輝かせるためには、妬み嫉みなどネガティブな思いを手放し、目の前の課題に前向きに取り組むことです。

その時、自分の波長と同じ系統の神様と同通します。そして新たな課題をクリアする度に成長し、その時々に合う神様と同通して統合していきます。
それが逆にたどって昇っていくことだと思います。


そして神意識で生きる人々の住む世こそが、みろくの世だと思うのです。
楽しみですね!!

これからもいろいろなことが起きるかもしれませんが、この仕組みを知って、健やかにすごしましょう。
まだまだ暑いので、どうぞご自愛くださいませ。

 

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