グランハート

日常で精神世界を探究しています。精神世界とは誰もが持っている心の世界です。日々の気づきや学びについて書いております。  

グランハート(99~103)『過去世とは 後編』

2022-08-31 20:52:15 | エッセイ

99.過去世とは⑤

過去世が影響しているのではないかというのを目の当たりにすることが何度もありました。特に子供が乳飲み子の頃は本当に興味深いことがたくさんありました。何でもついつい不思議に結びつけて、あれこれ考察することが息抜きでした。これがほどほどで済めば良かったのですが・・

また子育てをしていると、日々子供達の「初めて」に遭遇する機会があり、他のお子さん達の様子に驚くこともありました。

確か2才の頃、初めてのお試しプール教室に連れていった時のことです。
両腕に小さな浮き輪を着けて、初めは顔をつける練習から始まって、プールサイドでばた足を習い、やがてビート板でばた足で泳ぐという風にテンポ良く進んでいくのですが、一人だけ大人顔負けの見事なクロールで泳ぐお子さんがいたのです。きっと日頃から親御さんが海やプールに連れて行かれてるんだろうと思い、たまたまその子のお母さんが隣にいらしたので声をかけました。するとそのお母さんはとてもびっくりしていらしたのです。
なんと、そのプール教室で泳ぐのが初めてだと・・

また幼稚園の頃、空手教室でのことです。幼稚園児クラスに、誰かの妹さんで一番年下のとても小さな女の子がいました。準備運動の追いかけっこでは皆が手加減するほど小さな子でした。
でも後ろから毎回見学していると、型ではその子が一番素晴らしいのです。周りの子は型を覚えることすらおぼつかなくて、先生を見ながら何とか手足を動かしているという風でした。私も一緒に覚えようとするのですがちんぷんかんぷんでした。でもその女の子だけは、腰を落として立派に型を演じるのです。
何だかとても不思議で、私は自分の子よりもその子の型を見ていました。
またその場突きや回し蹴りも実に立派で、先生の防具に当てるときも、力は軽いものの見事なフォームで、先生もびっくりしておられました。

また幼稚園の体操教室で、縄跳びをすることがありました。
縄を前に回すのがやっとで、床の縄を飛び越える子。あるいはようやく縄を回す手と、飛び越えるタイミングがわかってきてゆっくりと動作がつながっていく子。無駄に大きく飛びながらゆっくりと数回連続してできる子。
個人差はありますが、みんな縄跳びを始めて間もない頃です。
そんな中、一人だけボクサーのようにスタスタ跳ぶお子さんがいました。
頑張るでもなく、無表情で無駄のない動きで、まるでストイックなボクサーです。そのお子さんは全然引っ掛からず、縄を回すのに疲れて跳ぶのをやめました。保護者は大爆笑でした。それほど幼稚園児らしくない見事な縄跳びだったのです。

素質とはまたひと味違う、熟練の技を垣間見た、印象的な出来事でした。

 

100.過去世とは⑥

私が見た自分の過去世は大抵悲惨でした。

いい過去世はなかったのかと、セミナーの先生に質問してみました。
「いい過去世を見たいならそう指定すれば見れる」と言われました。
「でも幸せだったり穏やかな過去世はちゃんと終えているから悔いがないからあまり見ない」と言う風な答えだっと記憶しています。

逆に言えば、強い後悔や執着、恐怖などが色濃く残った場合、次に生まれてきた時に何らかの形で影響するということになるのでしょうか。

過去世が浮き上がってくる時には、それが今の問題のヒントになったり、何かが解決、解消したり、知りたいことが明らかになったりするのだそうです。だから必要があって見るとも言えるのです。

そして「それが本当に過去世かどうかはわからなくとも、問題が解決したらいいでしょ。」とのことでした。

確かにそうした過去世を見たときには「ああ、なるほど!」と合点がいって、気が済んだりします。その時には本当に楽になります。
特にトレーニングをしなくても、誰でも夢という形で見たり、何だか懐かしいと感じたりしていると思います。

そして楽になってくると次第に、おそらく過去にできなかったであろう事をやり遂げたいと思うようになりました。

それが『使命』と呼ばれるものなのでしょうか。

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101.過去世とは⑦

インスピレーションで物を作るようになって、止めてはまた作り、また止めて、三回目に作るようになった頃から、神様の御存在を信じざる得ないようになりました。それが『光源を見よ』という言葉に繋がっていきます。(3~5『幸せになりたい』)

イメージトレーニングのセミナーに行き始めた頃は、願望達成しか頭にありませんでした。でも子供ができて、子供の住む世の中が明るい世界になりますようにと願うようになったのが、三回目が始まった後です。

三回目が始まった頃、初めて伊勢神宮に行きました。とても不思議な旅でした。そうして御神気に触れたことなとも影響していると思うのですが、子供の幸せのためとはいえ、『世の中が明るくなりますように』という大それた願いを抱くようになったのです。

我が子の幸せという欲と好奇心も手伝って、十数年どうすれば世の中が明るくなるのかと探してきました。その間、転勤や病気など、途中休むこともありましたが、私のライフワークとなりました。

そしてとうとう最近、何代もの過去世から持ち越した『成し遂げたい事』にたどり着きました。

同時に過去世からの影響を嫌と言うほど目の当たりにしたのです。

 

102.過去世とは⑧

私は普通に健康に過ごしてきました。でも産後体調を崩したり、転勤先で寝込んだり、病気が見つかったりと、30代の終わり頃からしんどい時期がしばらく続きました。

咳が止まらくて胸を痛めたり、心臓が何かで突き上げられるように痛くなったり、目が震えて乗り物酔いのように気分が悪くなったり。その度に検査を受けるのですが、特に異常はなくて。体調の良い時と悪い時と波があるものの、原因のわからないものは繰り返してしまい、自分でもすっかり体の弱いイメージがついてしまいました。

ここ数年は良くてなっていましたが、たまに頭が絞られたように痛くなり、気分が悪くて寝込む日がありました。また今年の初夏は手足の裏が焼けるように熱くてびっくりしました。
更年期障害もそろそろあるのかもしれませんね。

でもそうした体調の悪さが、過去世の影響だったとしたら。

ある時ふと、「過去世の悪いことをしていた仲間から見ると、私は裏切り者に見えるのかな?」とハッとしました。そうだ、そうかもしれない。邪魔されている。
そう確信した時、猛烈に腹が立ちました。自分の悲惨な過去世をいくつも見ましたし、今世でも閉じこもる癖がありましたので、今こうして皆様と光を目指していくことがどれだけ私にとって貴重なことか。

怖がるどころか文句を言いました。
「自分が闇にいたいのなら、立ち去れ。足を引っ張るな!いつまで闇にとどまるのか。一緒に光を目指そう。それが嫌ならどっか行け。」

すると、私を攻撃していた存在が姿を現しました。それはかつて過去世で私が暗躍していた頃の同族でした。
私が今世で「世の中が明るくなりますように」と願うようになったのが腹立たしいとのことでした。裏切り者のように感じて、また妬ましくて攻撃していたと言うのです。

でも光を一緒に目指せるならばと、一部の人達が姿を表してくれたのです。二日くらい色々と話しました。
攻撃を止めるどころか、今度は守ってくれるというのです。
私が寝込まずに学びを続けたら一緒に学んでいけるからだそうです。
いや、一体どれだけ色んなところから攻撃されているのか・・

はー・・・なんだかおとぎ話のようですよね。私も正直ポカンとしていました。「ホントかな?」新先生にもお聞きしてみるとその通りだとおっしゃってくださいました。

そして本当に攻撃が止んだのか、初夏から悩まされていた気分の悪さがピタリと止まったのです。
そのお陰で少しずつ色々なことが出来るようになりました。

 

103.過去世とは⑨

十数年前、イメージトレーニングのセミナーで過去世を見るクラスから始まって、ようやくモヤモヤしていた事がほぼすっきりしました。気が済みました。

そしてすっきりするとどうなるか?

本当にやりたいことがわかるのです。頭で考えたものではなく、心からやり遂げたいと思うこと。これが『使命』なのでしょうか。

結局スピリチュアルのいろんな技法は、自分の中の使命を見いだすためのものではないかと思うのです。

『使命』って何だかすごい言葉ですね。『命を使う』まさに、残りの人生を費やしてでもやり遂げたいこと。
まずそれを見出だすことに人生の前半を費やしてきました。そして残りの人生をその事に費やす。

人によってその時期は前後するとは思います。過去世も含むとすれば、なおさらです。私も早いというわけではありませんが、それは人それぞれのプロセスなんですね。

私の場合はこうでした。先ずどうしようもない不満と疑問がありました。精神世界をぶらぶらしながら様々なやり方でまず目の前の、更には身の回りの問題を解決し、楽になる。
すると、使命に気付くのです。その時にはいろいろな問題はすでに解決しているので、使命を実行する余力があるという仕組みです。

ふー。いろんなことを経て、ようやくここまでたどり着きました。スピリチュアルを本格的に始めてかれこれ20年です。でも幼い頃の不思議大好きからすると50年、更に過去世を含めると一体何百年か・・

過ちを犯したり、苦しかった過去世も過去も、全てここにたどり着く道のりだったのだとしたら。
もう時間や善悪、幸不幸の概念も変わってきます。悲惨だった過去世も報われて、とても気が晴れました。

結局、過去世とは繰り返してきた負の連鎖から抜け出すためのヒントだったのかな~と思うのです。そのために見るのではないでしょうか。

人によって様々な現実があると思います。簡単に「大丈夫」とは言えませんが、ぜひ少し視点を変えてみてください。もしネガティブな自分に気づいたら、ほんの少しでもその思いを手放してみてください。
そして今まで自分はどうだったかに向き合えたなら、きっとこれからどうしたいかが見い出せるのだと思います。

長くなりましたが、お付き合いいただき、ありがとうございます。
私自身、今回のことはいい一区切りとなりました。身の回りを片付けて、お盆明けから新たなテーマに取り組んでいきたいと思います。

暑さに気をつけて、どうぞご自愛くださいませ。

 


グランハート(95~98)『過去世とは 前編』

2022-08-30 20:14:59 | エッセイ

95.過去世とは①

何だかビーズで形を作るようになって、自分が何をしているのかわからなくて

イメージトレーニングの上級コースで、前世を見るというのがありました。初めは出来ているのか、頭で作っているのかわかりませんでした。
何度か受講して、時々先輩と練習したりしているうちに、普段も見るようになりました。

商店街を歩いていて、目の前をトラックが横切ったのです。もちろんトラックは徐行しているし、私も止まってトラックが通りすぎるのを待っていました。その瞬間、体が硬直して、強い衝撃を感じました。ああ、私はそうして死んだことがあるんだなと思いました。

夢うつつの時に見たのは、土蔵の中に幽閉されている様子でした。湿った固い土の地面のヒヤリとした感触がリアルにしました。幽閉されている間に戦争で自分以外が全滅して呆然としていました。

また、主人とは前世でいろんな関係で何度も死に別れていたし、高い木の上からまっ逆さまに飛び降りたりもしていたようです。とにかく色々見ました。

それが実際にあったかどうかはわかりませんが、とにかくリアルなイメージを見るようになりました。そしてその度に何かしらの強迫観念や、ある人々に対する感情の意味がわかって解決していくのです。本当に興味深くて。

セミナーの先生は「このイメージが前世かどうかはわからないとしても、何かしらの問題が解消すればいいじゃないですか。」とおっしゃっていました。確かにそうですね。

後々、子供が生まれた時にも本当に助かりました。
理由はよくわからないけれど不安や悲しみ、強い拒絶を感じる場合は大人の場合、忘れている過去の経験が残っていたりもしますが、赤ちゃんにはまだないですよね。大人でも、過去ではなく、過去世に起因があることもあったりして。
そうした場合、「大丈夫、もう終わったことだよ。もう大丈夫。」と自分や赤ちゃんに言ってあげてみてください。私もダメ元でやってみたら、自分や子供に本当に効果がありました。興味深いですね。

まだセミナーに行き初めて一年目の頃、ある日教会の鐘のような音がして、「お姉さまのために、お姉さまのために。」と泣きながらネックレスを作り上げました。セミナーで出会った方宛でした。ご本人にも確認が取れて、受け取っていただきました。

それが物を作る始まりでした。

 

96.過去世とは②

そもそも、作り始める時にはすでに材料は全て揃っていました。
社宅の近所に、個人でも買える手芸用品の卸屋さんがありました。とても古い店構えで装飾もなく、お店というよりも会社といった感じでした。

そこで見ておりますと、何とも綺麗な不透明のガラスビーズが小袋に入って80円で売っていました。こんなに綺麗なのに80円!?あまりの美しさに、使いもしないのにいくつも買ってしまいました。そのお店に行く度についつい買い込んでしまうのです。

後々わかったのですが、それはガラスのキャッツアイというビーズのB級品でした。とても穴が大きくて、大きさも不揃いでした。だからとても安かったのです。小売りの手芸屋さんに売っているA級品は一粒何十円もして、穴はテグスが一本通る位です。私は何重にもテグスを通すので、A級品では作れません。また安いので惜し気もなく使えるため、B級品だからこそ思いっきり作ることに専念出来たのでした。本当にありがたいです。

大きな物も作るようになって、こんなに使うならもっと買っておこうと思いました。
そこでいつもレジをしながらお話するおじいさん(社長)に注文をお願いしました。すると担当者を呼んでくださって、その方によれば、カゴに並べて安く売っている物は半端物を大袋にまとめたものを仕入れて、バラして詰めて売っているので、いつ何が入ってくるかわからないとのことでした。

ならば今ある物だけでも買っておこうと売り場を見ると、先日残っていたはずのビーズが全くありませんでした。尋ねるとそんなはずはないと、社長と担当の方が売り場や倉庫も探してくださったのですが、結局取り扱った形跡がないということでした。
社長とも顔見知りになるほど何度も買ったのに、です。社長も確かに私が何度も買ったことは覚えているとおっしゃいました。私と社長と担当の方の三人はポカンとしたのでした。本当に不思議な出来事でした。

でもそのおかげで、しばらくメインで使うことになるキャッツアイは揃っていたというわけです。

97.過去世とは③

「お姉さまのために」と泣きながらネックレスをつくって以来、印象的な方にお会いするとアクセサリーが思い浮かぶようになりました。親しいか親しくないかは関係なくて、どういう区別があるのかはわかりませんでした。そして見えるだけの時もあれば、作るときもありました。

毎日作るようになって、何時間もひたすらに作る時期がありました。朝、主人を見送った後から作り初めて、お腹が空いたなあと思うともう昼過ぎ、なんだか見えにくいなあと思うともう夕方、という具合でした。

しかも私は不器用なのですが、ビーズは何も見ずに何となく出来ていくのです。自動操縦と言うほどてはないですが、初めは何かを手繰り寄せるように作っていました。
「違う」ということだけがわかります。何時間もかけて作り、「違う」と感じて何時間もかけてほどく日もありました。

イメージトレーニングのセミナーや気功教室でも、周りにそういう現れ方をした方がいなかったので、独りでとにかく作っていました。

後々わかったことですが、作り始めたのには過去世が関係あったようです。
私が見た女性はフランスのデザイナーでした。壁がエメラルドグリーンのオシャレなマンションに住んでいました。デザイナーとしては成功していましたが、彼女は不美人でした。黒い癖毛を短くまとめて、大柄で顔は丸くごつごつしていました。彼女は自分の容姿を憎んでいました。独り身でした。どんなに美しい物を生み出そうと心は晴れませんでした。むしろ思い通りにならない自分の容姿がどんどん悲しくなっていくのです。

彼女のそうした悲しみを、セミナーの先輩が浄化してくださって、手放す事が出来ました。すると一日中作り続けるというのがピタリと止まったのです。作らずにはいられなかったのが、道具箱を触りもしないのです。本当にピタリと止みました。

そして再び作り始めるのはその一年後です。

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98.過去世とは④

独身の頃、とても器用な友人がビーズ細工をしていました。一緒に買い物に行くと、友人の行くビーズ売り場のビーズが何とも綺麗で、また子供の頃を思い出して懐かしくてついつい買っていました。しかも宝石等に比べると安いので、大人買いしてみたり。

教わって作ってもみたのですが、不器用な私はヨレヨレのブレスレットがやっとでした。でもキラキラしたビーズを眺めるだけでワクワクする、本当にその程度だったのです。

そして結婚して引っ越した社宅の近くのお店で再びビーズを買うようになって。
自分でも作りもしないのにこんなに買い込んで、呆れていました。でも、見ると買わずにはいられないのです。そして「お姉さまのために」と作るようになって。

過去世の影響って本当にあるんだと思いました。皆さんも何かどうしてもやってしまう、急に始まってしまった、ということはありませんか?困るのなら手放せばいいし、それがライフワークになるかもしれません。不思議ですよね・・

一度目の作る時期が終わった一年後、悟りの会で知り合った方が持病を悪化されたとお聞きした日の帰り道、自分の中から思いが湧き出して「必要とする者がいるのに、なぜ作らぬ!」と怒られている感じがして、泣きながらベビーカーを押して帰り、ビーズ細工を再び始めました。雪の結晶のようなストラップでした。それは彼女の腎臓を洗うのだと、何となく思いました。

でもこれが本当にいいことなのか、遊ばれているのかわかりませんでした。怒鳴る神様っているのかしらと訝ってみたり。
中には中途半端な存在が、自分を誇示するためにメッセージを与えることもあると聞いていたので、こうしたことは本当に要注意なのです。実際に怖い体験をしたこともありますし。

そして再び取り憑かれたように、今度は深夜に作るようになってしまいました。夜、一日が一段落してから始めて、あっという間に明け方の4時でした。不思議と終わるのは決まって4時なのです。
その時は乳飲み子を抱えており、やっと外出出来るようになった頃でした。
さすがに体が持たなくて、長くは続きませんでしたが、ついつい悪い癖が・・好奇心に負けたのです。いいえ、私が望んだのです。

不器用な私が、ビーズ細工を作る。この面白さに嵌まってしまったのです・・

 


94 ある鍵の話

2022-08-29 16:28:19 | エッセイ

数年前、100均でとっても可愛い天使のスパンコールを見つけました。見つけた時は物凄い衝撃で、買い占めちゃいました。

そしてカードやお守り袋、巾着袋や手提げ、お手紙等、色んな所に貼り付けました。少なくなると不安になって、100均を渡り歩いては見つける度に買い占めました。

そんな時期がしばらく続きましたが、ようやく気が済んでみると、手元には1パックの中の天使以外のスパンコールがめちゃくちゃたまっていました。

その中に、鍵の形のスパンコールがありました。オモチャのような鍵がいっぱい!

なんか、鍵ってワクワクしませんか?子供の頃、鍵付きの日記帳を手に入れた時は本当にワクワクしました!鍵付きの宝箱、小さな南京錠、ワクワクします!

この鍵のスパンコールを、当時子供さんたちへ作っていたメッセージカードに付けたくなりました。なんていい思いつき!考えただけでワクワクしました。

すると、イメージが湧きました。

皆自分の鍵を持っています。そして目の前に扉があります。自分の持っている鍵で目の前の扉を開けようとするのですが、開く人と開かない人がいるのです。

すると言葉が来ました。

『鍵は自分が持っている。扉を探せ!』

この鍵とは、自分の好きなこと、得意なこと、やりたいことです。

そして目の前にある扉とは、自分が生まれた環境です。親の考え方や生き方、物理的な環境や自分の肉体的な要素、人によっては家業という場合もあるかもしれません。

それが自分の本当の心や資質とは必ずしも合うとは限らないということです。

その事に無理に合わせなければならないと、疲弊したり、合わせられないことに罪悪感を感じてしまったり・・

無理やり合わせていくうちに、道が本当に開けていく場合もあると思いますが、どうしても合わないと、心に暗い影を落とすことになったりします。

そうなると悪循環。せっかく持っているその他の宝物には目が行かなくなってしまったりします。

若い頃の私は何がしたいのかわからなくて、いっそ何か家業があったら良かったのにと思いました。そうすれば早くにその道に入って修行ができたのに、なんて。

確かその時、テレビで歌舞伎の襲名披露のニュースを見たんだと記憶しています。でも、今こうして好きなことをさせていただける生活をしていると、何のしがらみもなくて良かったと思います。勝手なもんですね。

これは与えられた環境が必ずしも悪いと言いたいわけではありません。

特に家業の場合は「蛙の子は蛙」と言うように素質を受け継いでいたり、性分に合うということもあります。その場合は自分の鍵で目の前の扉が開く訳ですから、いち早くスタート出来るわけです!

もちろん自分の鍵で開く扉を探すというのは、人と速さを競うものではありません。

目の前の扉であったとしても、世界の果ての秘境にある扉であったとしても、「見つけられたら幸せ」ということだと思います。

私も何十年もかかって、ようやく自分の鍵に合う扉を見つけて今に至っています。本当にありがたいと思います。

さて、二つ目の鍵に合う扉はどこに・・?

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グランハート(91~93)『公開授業〈9・今〉』

2022-08-28 17:27:14 | エッセイ

91 『公開授業〈9・今〉』①

7月24日に先生が下された言葉を、急遽ご紹介させていただきます。


『魂救済の祈り 』

汝死したり 。汝重き体を脱ぎ捨て、高天原へと、光の世界へと帰るなり。 神々のおわす世界へと帰るなり 。

○○の神よ、

神の導きによりていざないたまえ。

○○の魂の汚れを、諸々の魂の闇を清めたまえ 。

神の気高き光によりて、神の深き慈愛によりて救いたまえ。

天上の神々よ、この地上世界で迷わぬように。光の道を照らしたまえ 。

神の御使いと共に昇りたまえ。

神よ、救いの手を差し伸べたまえ。

魂の安らぎの地へいざないたまえ。

神よ、○○家一同、心より感謝申し上げます。


これが亡くなった方の御霊を神様の元へと還す祈りの言葉だそうです。( ○○のところは自分の望む神様のお名前や、個人のお名前、またその一族の苗字を入れてください。)

私は魂が神仏の愛の光でできており、肉体を持った時が地球での誕生であり、肉体を離れる時が死であるに過ぎないと学んではいるものの、いざ自分の親が亡くなった時にどうするのかということをまだ決めてはいませんでした。

納骨堂がお寺にあり、家にはお仏壇があるので、仏教でお葬式をすることになるということはぼんやりとは頭にあっても、その手順やもろもろの手続きなどは、今はまだ 禁句のような気がしておりました 。

けれど親も高齢になり、その時は着々と近づいております。ただ私が目を背けているだけなのです。

三次元的な儀礼は親族の手前、行うと思いますが、それも本当は場所や費用などを確認しておく必要があるというアドバイスを頂きました。本当にありがたいアドバイスです。

でも本来の御霊の救済とは、三次元的な儀礼ではなく、御霊が元の場所、つまりは神様の愛の光へと戻っていくことだそうです。

そのためには、遺族が愛を込めて上記の祈りを神様に捧げ、御霊を神様の元へお見送りすることが大切だということです。

大事な方を亡くされた時には、是非この祈りを捧げて差し上げて下さい。

私もこれを機に、できる準備をして心穏やかにその日を迎えたいと思います。


92 『公開授業〈9・今〉』②

続いて、肉体を持つものにとっての 「死」というものの本質を教えてくださる言葉です。


『死を越えて』

死は全てのものに訪れるでしょう。死とは身近なものなのです。

この地上世界で肉体を持つことは、色々な形で死はあることを意味することです。ですから、死ということは肉体を持つ以上、隣り合わせであると言えましょう。

色々な形で、ドラマで、映画で、死を怖いもののように見せています。それがあなた方の心の中に「死とは怖いものだ」と、知らずに埋め込まれているのです。

本来、死とは怖いものではないのです。

次なるステップの始まりであるのです。

自殺というものがありますが、これはその人にとって良いものではないのです。

この地上世界に生まれたということは、その人自体が学ぶべきものがあるからであるのです。

あなたがたがこの世界に生まれることで、あなたの中にあなたの持ち時間を与えられているのです 。その持ち時間を生かし、自由に選ぶことを許されているのです。

何故許されているか。この地球という星は魂の本質を学ぶ場だからです。

ですから「自殺したい」「死ねば楽になる」という考えは、危ういものであると言えましょう。

自殺まで来る場合、その人の心の状態は苦しみのど真ん中であり、自分自身を自分自身の心の力で思いで強く縛り続けている姿である。 すなわち自分自身を自分自身で強く呪い続けているものである。

そこで命を絶つことは、非常に危険な行為であるということです。あなた自身が作った迷いと苦しみの中で闇に包まれ、自らが誤りに気づかない限り、苦しみと迷いの中を生と死を繰り返す結果となるのです。

ですから自殺は止めることをお勧めします。

死とはあなたの心と魂にとって、密接な関係があるのです。死は、あなたの肉体から心と魂が別れを告げることでもあるのです。

あなたが苦しみ、欲、恐れが強ければ強いほど心は重くなっていくからこそ、闇に飲まれるのです 。闇に飲まれた世界を地獄というのです。

ですからこの真逆をすれば、あなたはその苦しみ多き世界から抜けることができるのです。

苦しみ多き人は知らず知らずのうちに闇を信じているのです。ですから私はあなたがたに『神を信じなさい、光を信じなさい。そして自分の心と魂を信じることにより苦しみから恐れから抜け出すことができ、肉体の死は次なるステップへ進む過程にすぎないということです。その死の先に神の国があり、そして未来へのステップがある。』と言えましょう。

人々よ、死を恐れるな。死は万人共通である。 この地上世界から、新たな世界へと進む分岐点でもある。あなたは1日のうちに眠ることで「仮の死」を体現しているのである。ただ呼吸が止まれば死である。全てのものには死は訪れ、その地上世界から去っていくだけである。

死を恐れるのは、あなたの心にこの変化していく地上世界への強い執着を持っているからである。その執着を手放すことで、死の恐れを超えることはできる。

これから多くの方たちが死を迎えることになるだろう。

その前にあなた自身の心と魂に触れていただきたい。そして自分自身の魂を愛していただきたい。そして心を整え、調和していただきたい。

死を見つめることで、その地上世界を生きる意義に気づくことが、あなたの人生の大きな課題であるのです。

これからの新しい時代を開くには、あなた方自身の内にあることに気づいてください。

あなたがたがそれに気づくことで、明るい未来は開かれていくのです。

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93 『公開授業〈9・今〉』③

いかがでしょうか?

今回は人の死に焦点を当てて、魂というものを説明してくださっています。

これを聞くと、人間にとっての死とは何かが分かる気がします。すると大切な人が亡くなるということがどういうことかが分かる気がするのです。

大切な方とのお別れは、とてつもなく寂しい寂しいものですよね。
私も祖母の死で体験しました。もう亡くなって20数年経ちますが、 いまだにふと寂しくなります。魂の仕組みについて学ぶ様になったからといって、すぐに割り切れるというものではないようです。

でも今回のこの『魂救済の祈り』を教えて頂いて、祖母について祈ってみました。思い浮かんだ祖母の顔は穏やかでした。山の神社社の側に立っていたのが、そこから消えて、次に見えた姿は金色の空気の所で大人数の中に加わり楽しそうにしておりました。

あれ?これってこちら側の行いや思いがあちら側に作用するということでしょうか?私が寂しかっただけで、本人が幸せに過ごしていればそれでいいのかもしれませんね。

本来のご供養とは御霊に楽になってもらうためのもののはずなのに、いつの間にか私達遺族の寂しさを慰めるためのものになっていたのかもしれません。

寂しさを抱えている方は、ぜひともこの祈りを捧げてみてください。

そしていずれ死を迎える私も、残された時間を生きる意義や、死ぬまでに心を整える意味を改めて考える良い機会になりました。

1日1日味わって、今のご縁の中で生き抜きたいと思います。

ご縁をいただいた皆様、本当にありがとうございます。


グランハート(88~89)『公開授業〈8.今〉』

2022-08-27 09:30:19 | エッセイ

88.公開授業〈8・今〉

新先生が今の社会情勢に対して、7月22日に書き下ろした言葉を急遽ご紹介させていただきます。


『心の力』

人々よ、コロナの7波に入り、成ることも成らず、それを抜けることもできず、手詰まり状態である 。全ての活動が低迷し、衰退へと向かっている 。

あなた方はどこまで迷い、どこまで衰退の道を歩むのか。

1日1日重苦しい空気に包まれ、あなた方の心も1日1日重くなっている。その中で自分の無力感に苛まれている 。それが今のあなた方の姿である。

その中で豊かさを願っていても、 それは幻で終わるであろう。それは幻に過ぎないのである 。

この地球という星を創りし者は 、今のあなた方を見てどう思うであろう。 今のあなた方の浪費社会を見て、その中で迷い続けるあなた方を見て、どう思うであろうか 。

今まで神は本当の真実を伝え続けてきたのである。それを嘲り笑い、誹謗中傷をし、無視をしてきたのはあなた方であろう。その結果がその思いが、今の状態を生み出している 。

傲慢な欲得の世界の中で、いつまで迷っている。コロナという病の中で、いつまでそれを恐れ続けているのか。

恐れは恐れを生み続けていくことを知れ。

テレビニュースの中で「正しく恐れなさい」と言っているが、正しく恐れることはあなたにとって苦しみを生むだけである。非常に愚かな言葉である 。

恐れることに正しさはないと知れ。恐れれば恐れるほど、奈落に落ちていくことになる。それは崩壊への道である 。

正しく明るい思いを持ち続けることが、真に豊かな世界を生み出すのである。

一人一人の心の正しさこそが、神の子としての本質を知り、心に光を満たしてこそ、真の正しさが 力となり、それが愛の絆となり、広がってゆく。

あなた自身の心を信じることが、コロナに対する免疫力を高める早道である。コロナもまた恐れれば恐れるほど広がってゆくであろう。

心の力はあなた方が思っているほど小さなものではない。 心の力はそれに気づけば気づくほど、心の力は強くなるのである。

恐怖心や恐れは逆に心の力を弱めていくことになるのである。

神に与えられた心の力を信じていくことが、あなた方自身を変えていくことになるのである。

 

89.公開授業〈8・今〉②

いかがでしょうか。

レインボーイニシエーションでは、一貫して私たちが神の子であり、とてつもない可能性を持っていることを伝え続けて下さっています。私たち自身がそれに気づき、目覚めよと。

私は見えない力を信じてイメージトレーニングのセミナーに行き、鍛錬してきました。それは現実を変えたいと願ったからです。実際の行動を上回る見えない力を使うことができるようになれば、きっと願いは叶うと考えたのです。実際ささやかではありますが、いろんなことが起きました。

けれど新先生と出会って、見えない力とは超能力ではないことを知りました 。鍛錬で身につく超能力とは些細なことなのです。 それはほんのわずかに左右するけれど、小手先でしかありません 。

本当にものすごいのは、根底から覆すこと。それを可能にするのは、心を整えることだというのです。

いろいろな体験からそのことを実感しました。その実体験を通じて私なりに感じたことをこうしてご紹介させていただくのは、これが誰にでも起こりうることだからです。

実際に新先生や福子さんと出会って生まれ直し、本来の輝きを取り戻していく方々を何人も見ています。 皆さん超能力者ではありません 。タネも仕掛けもありません。ただ自分の思いに気づき、縛りやネガティブなものを外して心を軽くしていかれただけなのです。それを地道にやっていくうちに、ご自分でも信じられない変化を遂げていかれた方々です。皆さん本当に輝いていらっしゃいます。

でもきっと話だけではなかなか実感できませんよね。私も体験するまではそうでした。

「信じる」は簡単に「信じられない」に変わります 。でも体験すれば「知っている」に変わります。それはもう一択なので変わることはありません。

是非わずかなことからでも実際に行動して、心が軽くなる体験をしてみて下さい、。きっとびっくりされると思います!

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90.公開授業〈8・今〉③

ところで、皆さんは神社やお寺に交通安全や家内安全合格祈願などのご祈祷を受けに行かれたことがありますか?あるいは初詣で一年の無事を祈っ願ったり、お守りや御札を頂いたりするでしょうか ?

では、お姿を見たこともない、お声を聞いたこともない、いらっしゃるかどうかも分からない神様に、なぜ自分や家族、大切な人のことをお願いするのでしょうか?

それは私達が神様のご存在を心で感じているからだと思います。自分の中では分かっているからです。

そうでなければ何千年もの間、人々が神様を信仰するでしょうか?年末年始にあれだけの人々が寒い中、初詣に参るでしょうか?

また交通安全や合格祈願、病気平癒等のご祈祷やお守りは、多くの効果をもたらしています 。

では安全運転や受験勉強や生活習慣の改善を神様がしてくださっているのでしょうか?

そうではありません。 実際に行動しているのは本人です。

ただし神様の気配を感じた私達の魂が同調して、心が変わるのです。心が変われば行動が変わる。だから結果が変わります。これが「根底から覆すこと」です。悪い原因がなくなれば悪い結果もなくなるというわけです。

悪い結果を変えるよりも、よほど手っ取り早いと思いませんか?それが「心を整える」ということです。

私はどこかの宗教団体に入って日常的に何かを行動しているわけではありません。 その必要はないと思っているからです。

ご先祖様のお墓がお寺にあって、お墓掃除をしたり、お葬式や法事には手を合わせる。初詣には参拝する。そんな普通の日本人です。そうした方々は沢山いらっしゃるのではないでしょうか?

特に宗教団体に入らなくとも、私達の日常には神仏に触れる機会はたくさんあります。

ただ空気を吸ってお日様の光を浴びるだけでも大いなる存在を感じることはできます。本当にありがたいと思います。

私もあちこちの神社にお参りした時期はありましたが、結局神仏との交流は本来そういう日常なのだと思うようになりました 。

目に見えない世界とは特別な世界ではなく、 誰もが持つ心の世界だと思うのです。

日々世の中ではいろんなことが起きています。日常であったり、社会状況であったり、大小様々なことが私たちを取り巻いています。

動揺することはあっても巻き込まれないようにするためには、少し立ち止まって空を見上げて深呼吸してみることです。空気吸い放題! この神仏の愛を感じる心のゆとりを持つことが、恐れを遠ざける第一歩だと思います。

そのためにはニュースは情報として知っておいて、できる準備をしてみましょう。備蓄を少し用意するだけでなんだかホッとします。これが心のゆとりだと思います。本当に普通のことですよね。でもとても効果がありました。

これから2、3年は大変だと言われています。ご縁のある皆様とこの大局を乗り切っていきたいです。