99.過去世とは⑤
過去世が影響しているのではないかというのを目の当たりにすることが何度もありました。特に子供が乳飲み子の頃は本当に興味深いことがたくさんありました。何でもついつい不思議に結びつけて、あれこれ考察することが息抜きでした。これがほどほどで済めば良かったのですが・・
また子育てをしていると、日々子供達の「初めて」に遭遇する機会があり、他のお子さん達の様子に驚くこともありました。
確か2才の頃、初めてのお試しプール教室に連れていった時のことです。
両腕に小さな浮き輪を着けて、初めは顔をつける練習から始まって、プールサイドでばた足を習い、やがてビート板でばた足で泳ぐという風にテンポ良く進んでいくのですが、一人だけ大人顔負けの見事なクロールで泳ぐお子さんがいたのです。きっと日頃から親御さんが海やプールに連れて行かれてるんだろうと思い、たまたまその子のお母さんが隣にいらしたので声をかけました。するとそのお母さんはとてもびっくりしていらしたのです。
なんと、そのプール教室で泳ぐのが初めてだと・・
また幼稚園の頃、空手教室でのことです。幼稚園児クラスに、誰かの妹さんで一番年下のとても小さな女の子がいました。準備運動の追いかけっこでは皆が手加減するほど小さな子でした。
でも後ろから毎回見学していると、型ではその子が一番素晴らしいのです。周りの子は型を覚えることすらおぼつかなくて、先生を見ながら何とか手足を動かしているという風でした。私も一緒に覚えようとするのですがちんぷんかんぷんでした。でもその女の子だけは、腰を落として立派に型を演じるのです。
何だかとても不思議で、私は自分の子よりもその子の型を見ていました。
またその場突きや回し蹴りも実に立派で、先生の防具に当てるときも、力は軽いものの見事なフォームで、先生もびっくりしておられました。
また幼稚園の体操教室で、縄跳びをすることがありました。
縄を前に回すのがやっとで、床の縄を飛び越える子。あるいはようやく縄を回す手と、飛び越えるタイミングがわかってきてゆっくりと動作がつながっていく子。無駄に大きく飛びながらゆっくりと数回連続してできる子。
個人差はありますが、みんな縄跳びを始めて間もない頃です。
そんな中、一人だけボクサーのようにスタスタ跳ぶお子さんがいました。
頑張るでもなく、無表情で無駄のない動きで、まるでストイックなボクサーです。そのお子さんは全然引っ掛からず、縄を回すのに疲れて跳ぶのをやめました。保護者は大爆笑でした。それほど幼稚園児らしくない見事な縄跳びだったのです。
素質とはまたひと味違う、熟練の技を垣間見た、印象的な出来事でした。
100.過去世とは⑥
私が見た自分の過去世は大抵悲惨でした。
いい過去世はなかったのかと、セミナーの先生に質問してみました。
「いい過去世を見たいならそう指定すれば見れる」と言われました。
「でも幸せだったり穏やかな過去世はちゃんと終えているから悔いがないからあまり見ない」と言う風な答えだっと記憶しています。
逆に言えば、強い後悔や執着、恐怖などが色濃く残った場合、次に生まれてきた時に何らかの形で影響するということになるのでしょうか。
過去世が浮き上がってくる時には、それが今の問題のヒントになったり、何かが解決、解消したり、知りたいことが明らかになったりするのだそうです。だから必要があって見るとも言えるのです。
そして「それが本当に過去世かどうかはわからなくとも、問題が解決したらいいでしょ。」とのことでした。
確かにそうした過去世を見たときには「ああ、なるほど!」と合点がいって、気が済んだりします。その時には本当に楽になります。
特にトレーニングをしなくても、誰でも夢という形で見たり、何だか懐かしいと感じたりしていると思います。
そして楽になってくると次第に、おそらく過去にできなかったであろう事をやり遂げたいと思うようになりました。
それが『使命』と呼ばれるものなのでしょうか。
101.過去世とは⑦
インスピレーションで物を作るようになって、止めてはまた作り、また止めて、三回目に作るようになった頃から、神様の御存在を信じざる得ないようになりました。それが『光源を見よ』という言葉に繋がっていきます。(3~5『幸せになりたい』)
イメージトレーニングのセミナーに行き始めた頃は、願望達成しか頭にありませんでした。でも子供ができて、子供の住む世の中が明るい世界になりますようにと願うようになったのが、三回目が始まった後です。
三回目が始まった頃、初めて伊勢神宮に行きました。とても不思議な旅でした。そうして御神気に触れたことなとも影響していると思うのですが、子供の幸せのためとはいえ、『世の中が明るくなりますように』という大それた願いを抱くようになったのです。
我が子の幸せという欲と好奇心も手伝って、十数年どうすれば世の中が明るくなるのかと探してきました。その間、転勤や病気など、途中休むこともありましたが、私のライフワークとなりました。
そしてとうとう最近、何代もの過去世から持ち越した『成し遂げたい事』にたどり着きました。
同時に過去世からの影響を嫌と言うほど目の当たりにしたのです。
102.過去世とは⑧
私は普通に健康に過ごしてきました。でも産後体調を崩したり、転勤先で寝込んだり、病気が見つかったりと、30代の終わり頃からしんどい時期がしばらく続きました。
咳が止まらくて胸を痛めたり、心臓が何かで突き上げられるように痛くなったり、目が震えて乗り物酔いのように気分が悪くなったり。その度に検査を受けるのですが、特に異常はなくて。体調の良い時と悪い時と波があるものの、原因のわからないものは繰り返してしまい、自分でもすっかり体の弱いイメージがついてしまいました。
ここ数年は良くてなっていましたが、たまに頭が絞られたように痛くなり、気分が悪くて寝込む日がありました。また今年の初夏は手足の裏が焼けるように熱くてびっくりしました。
更年期障害もそろそろあるのかもしれませんね。
でもそうした体調の悪さが、過去世の影響だったとしたら。
ある時ふと、「過去世の悪いことをしていた仲間から見ると、私は裏切り者に見えるのかな?」とハッとしました。そうだ、そうかもしれない。邪魔されている。
そう確信した時、猛烈に腹が立ちました。自分の悲惨な過去世をいくつも見ましたし、今世でも閉じこもる癖がありましたので、今こうして皆様と光を目指していくことがどれだけ私にとって貴重なことか。
怖がるどころか文句を言いました。
「自分が闇にいたいのなら、立ち去れ。足を引っ張るな!いつまで闇にとどまるのか。一緒に光を目指そう。それが嫌ならどっか行け。」
すると、私を攻撃していた存在が姿を現しました。それはかつて過去世で私が暗躍していた頃の同族でした。
私が今世で「世の中が明るくなりますように」と願うようになったのが腹立たしいとのことでした。裏切り者のように感じて、また妬ましくて攻撃していたと言うのです。
でも光を一緒に目指せるならばと、一部の人達が姿を表してくれたのです。二日くらい色々と話しました。
攻撃を止めるどころか、今度は守ってくれるというのです。
私が寝込まずに学びを続けたら一緒に学んでいけるからだそうです。
いや、一体どれだけ色んなところから攻撃されているのか・・
はー・・・なんだかおとぎ話のようですよね。私も正直ポカンとしていました。「ホントかな?」新先生にもお聞きしてみるとその通りだとおっしゃってくださいました。
そして本当に攻撃が止んだのか、初夏から悩まされていた気分の悪さがピタリと止まったのです。
そのお陰で少しずつ色々なことが出来るようになりました。
103.過去世とは⑨
十数年前、イメージトレーニングのセミナーで過去世を見るクラスから始まって、ようやくモヤモヤしていた事がほぼすっきりしました。気が済みました。
そしてすっきりするとどうなるか?
本当にやりたいことがわかるのです。頭で考えたものではなく、心からやり遂げたいと思うこと。これが『使命』なのでしょうか。
結局スピリチュアルのいろんな技法は、自分の中の使命を見いだすためのものではないかと思うのです。
『使命』って何だかすごい言葉ですね。『命を使う』まさに、残りの人生を費やしてでもやり遂げたいこと。
まずそれを見出だすことに人生の前半を費やしてきました。そして残りの人生をその事に費やす。
人によってその時期は前後するとは思います。過去世も含むとすれば、なおさらです。私も早いというわけではありませんが、それは人それぞれのプロセスなんですね。
私の場合はこうでした。先ずどうしようもない不満と疑問がありました。精神世界をぶらぶらしながら様々なやり方でまず目の前の、更には身の回りの問題を解決し、楽になる。
すると、使命に気付くのです。その時にはいろいろな問題はすでに解決しているので、使命を実行する余力があるという仕組みです。
ふー。いろんなことを経て、ようやくここまでたどり着きました。スピリチュアルを本格的に始めてかれこれ20年です。でも幼い頃の不思議大好きからすると50年、更に過去世を含めると一体何百年か・・
過ちを犯したり、苦しかった過去世も過去も、全てここにたどり着く道のりだったのだとしたら。
もう時間や善悪、幸不幸の概念も変わってきます。悲惨だった過去世も報われて、とても気が晴れました。
結局、過去世とは繰り返してきた負の連鎖から抜け出すためのヒントだったのかな~と思うのです。そのために見るのではないでしょうか。
人によって様々な現実があると思います。簡単に「大丈夫」とは言えませんが、ぜひ少し視点を変えてみてください。もしネガティブな自分に気づいたら、ほんの少しでもその思いを手放してみてください。
そして今まで自分はどうだったかに向き合えたなら、きっとこれからどうしたいかが見い出せるのだと思います。
長くなりましたが、お付き合いいただき、ありがとうございます。
私自身、今回のことはいい一区切りとなりました。身の回りを片付けて、お盆明けから新たなテーマに取り組んでいきたいと思います。
暑さに気をつけて、どうぞご自愛くださいませ。