113. 楽園とは①
私は初めは我が子と家族の幸せだけを願って、イメージトレーニングに励んでいました。でもちょうどその頃、いわゆる陰謀論と言われる話を聞くことがありました。
今では世の中にたくさん溢れていますが、十数年前に初めて聞いた時は本当にびっくり仰天しました。
それは「将来水不足になる」とか、「食べ物にはわざと体に良くない物が混ぜられている」とか、「貨幣制度は奴隷制度に利用されている」とか。
正直、「ギャー、知ってしまった!」という気持ちでした。
でも知ったからには自分と家族を守るために知らなくてはならない!と思い直して、関連した本などを読んでみました。
すると一部の方々がそういう動きを阻止しようと活動されているということでした。人々が誤った方向にミスリードされないように、悪者の企みを暴露しているというのです。
私は震え上がって何冊も本を読んだりお話しを聞いたりしました。とにかく我が子と家族を守りたい一心で、知りたかったのです。
すると色んなものに反応し始めました。
114.楽園とは②
陰謀論を知って、どうすれば自分や家族を守れるのかと探していくと、色んなものに反応し始めました。
テレビの映画紹介で映画のタイトルを聞いただけで内容もわからないのに号泣したり、そういう話をしてくれる人やお話し会に出会うのです。
ちなみに号泣した映画の内容は、やはり世界がディストピアになるといったものでした。しかもその原作はインスピレーションで短期間で書き上げられたと言われています。
そして私が号泣すると、だっこしている0才の子供がぶら下がっていた伊勢神宮のお守りをつかんで、狂ったように振り回したのです。そのお守りはあるお話し会で、たまたま出合った方がくださったものでした。
恥ずかしながら、その時私は伊勢神宮がどこにあるかも知りませんでした。ただ、3度目の作る時期に入ってからは大きな作品を作るようになり、しばらくして不思議な流れで伊勢神宮へお参りに行くことになりました。
その辺りから色んなことが重なって神様のご存在をはっきりと知ることになるのですが、それはまた別の機会にお話しさせてください。
とにかくこの世が不穏な社会になるのだとしたら、この子が幸せになるにはどうしたらいいんだろうと考えるようになりました。
本当の幸せとは何だろう?そう考え続けていました。
「乳飲み子を抱えた私にできることは、この世が明るい世の中になるように願うことしかない。それならせっかく学んだ願望達成の方法を使わない手はない。」
「この子を含むこの子の世代の世の中が明るい豊かな世界になりますように。」
途方にくれた私は、より一層イメージトレーニングに励むようになったのです。
115.楽園とは③
陰謀論を知って、この世にはまだまだ隠されたいろんな事があると知りました。大事な事ほど隠されていて、私達は表面のほんのわずかな世界の中で一喜一憂しながら生きている。
その生き方も実はコントロールされている事すら気づかずに・・
でも、イメージトレーニングのセミナーに行って見えない世界、いわゆる精神世界、陰の世界があるとわかってきました。
イメージトレーニングは願望達成がそもそもの目的でしたが、それは幸せになるために求めたものです。
ですから見えない敵、私達を影から支配する勢力に対抗して幸せになるには、この裏ルートを使うしかない、と大真面目に決意したのでした。
めっちゃ盛り上がりました!「子供を含む子供の住む世の中が明るいものになりますように」と願うようになると、言葉を受け取るようになり、チラチラといろんなことを垣間見るようになりました。
家族のためと言いながら、私が楽しかったのです・・・
その頃はとにかく不思議なことに飢えていました。不思議中毒ですね。
何でも不思議なことに結びつけ、いつも心ここにあらず。
家族のためという大義名分を掲げて、日常をほったらかしていました。
社宅では、さぞ奇妙な人に見えていたでしょう。
途中転勤したり、体調を壊して寝込んだり、また転勤したり。ちっとも真相にはたどり着けず、やがてしんどくなりました。
何で普通に暮らせないんだろう・・・
今の家に引っ越してきた頃、もう止めようと思いました。所詮無理な話だったのです。
不思議なお誘いなどもお断りして、時々神様のお仕事をしながら、数年ブラブラしていました。よく空を見上げていました。
その頃、『福音書』というメッセージが来ました。(『始まりの詩③』に詳しく書いています。)
また別の日には金の古い龍さんがメッセージを告げながら飛んでいるのも見ました。それは皇居のお堀に住む龍さんでした。神の国を共に支える者を広く集っていました。
それを見ても、もう以前のように心は踊りませんでした。
結局何も変わらない。私達は一部の巨大な権力者たちが造ったベルトコンベアーに乗っていることしかできないのだ。
そんなうらぶれた時期でした。
116.楽園とは④
✳️病気の描写があります。苦手な方はこの回は飛ばしてくださいませ。
『そろそろ帰ってこい』と、龍さんに言われました。でも心は動きませんでした。
そんなある日、5年前と同じところに違和感を感じて病院に行きました。待合室で「5年も待ってくれたからもういいんじゃないか」と思いました。
その異常が初めてわかったのは5年前。二度目の転勤の直後、まだ子供が幼稚園に入園したばかりの頃でした。幸いその時の検査の結果は良く、治療も手術もせずに済みました。
それから5年。その間に謎の不調も重なって、寝込む日が続いたりする時期でした。二度目の転勤の場所では半分は寝込んでいました。三度目の転勤で今の場所に来てだいぶん楽になりましたが、作る気にはなれず家族を見送った後はぼーっと過ごしていました。
「このまま止めてしまおう。普通の生活に戻ろう。」そんなふうに思っていた時に、以前の異常と同じところに違和感を感じるようになり、病院に行きました。
再び病院に行った時には、子供ももう9歳になっていました。「5年も待ってくれたんだから。」正直もういいと思いました。
するとピンクの龍さんが『死んでもいいなら、死ぬ気で働け。滅私。』と言われました。『滅私』を調べると「滅私奉公」という言葉が出てきました。「私を滅し、公に奉ずること。私心を捨てて公のために尽くすこと。」という意味です。
その後、福子さんと出会い、光のお仕事として作ることを再開し、更にその数年後、新先生と出会うことになるのですが。
待合室で龍さんに気合いを入れられた時には暗闇にいるようで、自分の進む道についてまだ何もわかっていませんでした。
おかげさまで病気はよくなり、しばらく続いていた謎の不調も近頃解決して、今は健やかに過ごしております。
今となってはこうしたことも、いろんなことを考えさせられるいい体験だったと思えるようになりました。
117.楽園とは⑤
光のお仕事として再開して数年後のある日、こうして作れていることが奇跡のようで、ただただありがたく。
ふと自分のしていることは何だろうかと思った時に『奉仕』という言葉が来ました。意味は「無私の労働を行うこと」とありました。
その時、数年前に『滅私』と言われたのを思い出しました。『滅私』と言われた時には「私心」があったということです。
そもそも自分や家族の幸せのために願望達成を目指してやってきたのですから、まさにその通りです。「個人なんて私心の塊だ。自分の欲のためにやっているんだから、私心があって何が悪い?」くらいに思っていました。
でも福子さんと出会い、光のお仕事が始まって、『光至の光』に触れて、私の胸にも小さな明かりが灯ったのだと思います。
再び作ることが楽しくて楽しくて!
そして新先生と出会い、宇宙の仕組みや真理について色々学ぶようになり、焦りや不安が和らいでいきました。『真理に照らす』とはこんなにも安心なことなのだと知りました。
先の見えない世の中を、明かりを灯して行くべき道を歩んでいくが如し。
一方、ただやみくもに能力を求めるのは本当に危ういものだということがわかりました。暗闇の中を手探りでさ迷うようなものなのです。
一歩間違えばまっ逆さま。
私も暗闇のほんの入り口を覗いてしまったのかもしれません。
ここに至る全てのご縁に大感謝です!
今でも無欲なわけではありません。ただ自分の喜びが変わってきたように思います。
そして自分の喜びが他の人々の喜びに通じたならば、その私心というのは、ささやかではあっても『神仏の思いの現れ』と言えるのではないかと思うのです。
見回すとそういう方々があちらこちらにいらっしゃいます。あいさつ一つ、微笑み一つがそうなのです。そういう小さな現れが、やがては世の中を楽園に変える。一つ一つは小さな花でも辺り一面をピンクに変えるレンゲ草のように。
数年前に、神様に言われた言葉です。
『楽園を作るのだ。それが渡ると人々の心にもまた楽園が作られる。そうして意識から溢れだし、楽園は築かれる。』
意味は『幸せは伝搬する。』ということだ思います。自分がまず幸せになったとき、それは周囲を幸せにして、そうした人々が集まればそこが楽園であるということです。
だから幸せになるためには、「まずは自分の心を整えることが何より大切だということ」なんだと思います。
20年間、幸せを探してきた私の結論です。