クローン病アラ還のつぶやき

還暦過ぎちゃいました。クローン病になって30年過ぎちゃいました。
人生の半分クローン病なんだねー

往生しましたーその2

2009-01-30 16:36:50 | Weblog
病院では父は頑張って自分で心臓を動かし始めました
家ですでに呼吸器は肺に入れられているのできちんとした呼吸でした
その日は集中治療室に・・・
入っていくと血圧が50くらいで・・・
でも母と私が「頑張って」と言いながら足をこすったりしていたら
段々あがってきて・・・

翌朝27日は安定したので9時から2時までは面会できずに・・・
一応親戚には電話しました
その日は私一人で控え室に泊りました
翌28日2時からは叔母たちが来てくれました
父は意識は戻らず・・・
「お父さん明日は甥っ子たちが来てくれるからね」
と言って帰ってきました

翌29日・・・
朝病院から電話で「容態が不安定なので今度電話があったら
すぐ来れるようにしてください」とありました
父方の従兄弟たちが皆一緒に来てくれて
2時前に病院へ・・・
担当のお医者様から皆に説明がありました
「たぶん推測でしかないけれど痰が絡んで息がつまり倒れて心配停止状態に・・・その後は今の状態を保っていますが・・・」
と言うことでした
その話の途中に先生の携帯に電話があり「不安定だから皆で一緒に行きましょう」
で、皆で病室に入ったら
父の血圧はやはり50脈拍20・・・
嘘でしょ?
従兄弟たちはお見舞いに来てくれたのにその状態に呆然・・・
結局は私たちが見守る中父はゆっくりと息を引き取りました・・・

息はさせられていたので
心臓が動かなくなったと言ったほうが正しいですねーーー

母は病院の長い廊下が辛いので家にいましたが
すぐに夫に迎えに行って貰い・・・
本当は10分前にはもう心臓は止まっていたのに
母のために宣言を待ってくれました
2008年12月29日14時54分死亡・・・
母は「また生まれ変わったら一緒になろうね」って

従兄弟達もそれぞれ別れの言葉を・・・
そして家まで戻ってきて葬儀屋さんと諸々まで
全員で付き合ってくれました
父は従兄弟たちが大好きだったので
この従兄弟たちに見送ってほしかったのでしょう

私もさびしく母私夫の3人で見送るよりずっと良かった

往生しました

2009-01-30 16:12:04 | Weblog
父が亡くなりました

辛そうに呼吸はしていたけれど
介護ベッドを入れても寝たきりにならないように
一生懸命起きて歩いていたのに

12月26日は私の会社の最終日
午後からは会社で打ち上げなので
早めに(といっても7時くらいに)家に着きました
父は食事をベッドでしようと思っていたのに
私が帰ったものだから
居間で一緒に食べると言ってくれて
いつものように一緒に食べて
私は眠くてコタツで寝てしまい
気がついたら11時に・・・
父とは会話らしい会話もなく
「もう寝て良いぞ」
「でもベッドまで手を引かないと」
「大丈夫だから」
と言われ、いつものように戻りました

その後は母に手を引かれトイレに行ったそうです
大の方で30分以上は入っていたらしく
出てきたときはいつもの苦しそうな息だったらしいです
コタツまでつれてきてコタツの上に座ると母に
「もう寝て良いぞ」
「でもベッドまで」
「大丈夫だから・・・まだ苦しくて息が整うまでここにいるから」
ということで母も寝たそうです

でもなんとなく苦しみ方、声の叫び方が違っていたので
見に行ってみるとコタツから倒れメガネで額を傷つけて血が流れていたそうで・・・

携帯に連絡があって急いで行ってみると父は突っ伏したままーー
急いで抱き上げると
苦しそうに目をつぶったまま、ぅはーっ、ぅはーっと
息をしていました

病院には行きたくないと心から望んでいたので
一応父に「救急車呼んでいい?」と聞いたのですが
答えはなく意識不明状態でした

救急車とドクターカーが来てくれました
救急車の音が聞こえてくるころには
父の呼吸が少なくなってしまって・・・
抱きかかえながら「お父さん息して!」って言ったけれど
玄関を入ってくるときには呼吸がなくなってしまって・・・
心配停止状態を4人の方で心臓マッサージ
ドクターは点滴などをしてくれて・・・
でも2回心停止状態になり2回蘇生しました

病院は近くの大きな総合病院に・・・
救急車の方が電話してくれて1つ目は断られたのかもしれないけれど
その病院は事情を説明して生きるかどうかなのに
受け入れてくれました