櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

「マーク・マンダースの不在」展のこと

2021-06-13 | アート・音楽・その他

「マーク・マンダースの不在」という展示(東京都現代美術館)を観ました。不在、という言葉に惹かれたのです。

パフュームの仕掛けで人気のライゾマ展と隣り合わせの開催。混んでいましたが、この二つをハシゴで観ていると場内の反応の違いが実に興味深かったです。マンダースの展示は、静かな会場なのに、よく耳をそばだてると声を抑えているけれど驚きの言葉を交わしている人があちこちにいて、多くの人がとても静かにアグレッシブになっているのがわかりました。

何よりも「作業の量感」と「肉体の痕跡」と「徹底的な思索」が圧倒的な力で迫ってきました。やはり芸術というものの核を実感させられます。家にいては見れないもの、映像の世界では感じ取れないもの、が確かに目の前に在るのです。

そして、存在的な素晴らしさに加えて、これは何なのか、これを通じて私は何を受け止めているのか、ということについて、非常に考えさせられ、読書をしたような充実がありました。

作品をただ見るだけでも充分魅力的なのですが、その題名を読んだり、素材や手法を調べたりすると、また新しい発見があったり、ただ見るだけではわからない意味世界の広がりが出てくるのです。

また、個々の作品に圧倒的な力がありながら、それらを並列にしない展示方法が面白く、物語や哲学書を読んでいるような楽しみ方が出来るよう工夫されているのは、この作者の凄いところだと思いました。

物によって語られる言葉、というものを、まさに聴いた感じがあります。話し言葉や書き言葉でも可能な世界を物に象徴させているのは沢山ありますが、それとは全く異なる知的な実験だと思います。多々、共感しました。

 

 

 

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NEWS

公演活動を再開します

櫻井郁也ダンスソロ2021『血ノ言葉』

SAKURAI IKUYA DANCE SOLO 2021 "UR-SPEAK"

7/17〜18 東京・六本木 ストライプハウスギャラリー地下

 ⬇︎ ⬇︎ ⬇︎ くわしいご案内・チケット予約 ⬇︎ ⬇︎ ⬇︎

Stage info. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

 

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ただいまの開講状況はコチラです。

 

 

 


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ノイマイヤーのゴーストライト(ハンブルクバレエ団)

2021-04-20 | アート・音楽・その他

ノイマイヤー振付ハンブルクバレエ団による『ゴーストライト』が放送されたのはラッキーでした。去年の10月にコロナ禍のドイツで上演されたあとネット配信され、この3月に東京公演が予定されていたので楽しみにしていたのですが、やはりコロナのせいで中止になっていたのです。

ゴーストライトというのは、ヨーロッパの劇場で上演されるものが無い空っぽのステージに灯される裸電球のことだそうですが、近年ではその習慣も消えつつあった、だけれど、コロナ禍によって苦境に立つ舞台芸術の復活を願って、いままた灯されるようになったという、それを題にしたとのこと。

文字通り、一つの裸電球が置かれ灯された舞台に、簡素なダンス着を身につけた男女が入れ替わり立ち代わり出てきて踊るなか、シューベルトのピアノ曲が次々に演奏される。衣装も空間も非常にシンプルなのですが、それゆえにこそデリケートで、そして、踊る姿をただただ見つめていることが出来る、これが、僕にはとても感情移入しやすいものでした。

振付にはノイマイヤー自身の過去作の断片が取り入れられ、さまざまな身振りや関係性が現れては消え、消えてはまた蘇る。記憶の走馬灯のようでもあり、あるいは、夢の欠片のようでもありました。踊りによって踊り以外の何かしらを表現しようとするものも多いが、これはその逆さまで、人が踊るのはなぜなのか、どんな心が身を踊らすのか、そのようなことだけが淡々とながれてゆくように見えるのです。

近づき、遠ざかり、絡み合い、離れあう、人と人、体と体。そのあいだから、どうにも言葉にまとめ難いような細やかな情緒の揺らぎが、空間に空気に時間に、こぼれてゆく。その有様が、僕にはとても近づきやすく、ずっと眺めていたくなるような景色でした。

ちらりと映った客席には少人数ながら観客の姿が見え、その人たちによって終演時に投げかけられた力いっぱいの拍手も、やはりメッセージのようであり、それも作品の一つのようで、感じ入るものがありました。

これは、静かに燃え続ける火のような作品、いま、このような状況の中でこそ、踊り続ける意味があると思うことができる、説得力に満ちた名舞台だと思いました。

 

 

 

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断片4/13(マ・ティーダさんの、、、)

2021-04-13 | アート・音楽・その他

ミャンマーの外科医・作家でいられる、マ・ティーダさんが国際交流基金の招聘で来日された2018年の記録がテレビで再放送され、見て、感銘を受けました。

彼女はミャンマーの民主主義のために闘ってきた方ですが、著書を読みたいと思っても日本語訳のものが見つからないでいたから、直接のインタビューを含むこの記録は、非常にありがたかったのです。

「ビルマ語にはまだ民主主義の訳語がない。まだ現実に向き合う準備ができてない、、、」「彼らはいつも 自分たち民衆の力を過小評価し いつも救世主を求め、、、」という言葉の数々はショッキングでしたが、その言葉の奥には、民主主義社会であるはずの国に生まれ育ち自由であり続けているはずの僕ら日本人にも当てはまるものがあるかもしれないと、思いました。自由と自立と他者への寛容さについても、思い直させられました。

彼女は、刑務所で監禁されているときに毎日20時間近くの瞑想を実践したそうで、ある日、看守長から、君は自由だなあと言われたのだそうです。そして、看守の人には身体や法的な自由があっても、思想や日々の活動では自由がない、囚人である私は体も法的にも自由はないが、自分の考えを表す自由な意思は持ち続けている、と認識することが出来たというのです。すごいことだと思いました。

自由は心にこそある、そのような考えに立ったとき、果たして、私は自由であり得ているだろうか、何かに心を囚われていたり、自らの頑なさやこだわりによって、せっかくの心を不自由にしてはいないだろうか、そのようなことを思わずにいられませんでした。

もしかすると、彼女によって話されている様々な事柄は、僕が個人的に考え試みているダンスの基本作業にも、(心の動きと体の動きの関わりからは、自由や自我のことが、くっきりと現れるのですが、、、)どこか関わるようなことなのではないかと、強く思いました。

「私は自立していたい、自立という言葉は素敵です、人生は記憶の瞬間の集積です、今を生きることが私の指標です、、、」と語る彼女はとても魅力的でした。

 

 

 

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断片4/10(人間の自己絶滅は、、、)

2021-04-10 | アート・音楽・その他

 

新しい社会について真剣に考える時期が突然に来た、そう思えてならない。

地球規模で、だれもが同じことに困り、同じことを解決しようとしている。人と人は、いかに助け合うことが出来るか。というミッションを世界中が共有してゆくことになると思う。

危機の時代には友愛精神が試されるにちがいない。そして、おなじくらいに、危機の時代は全体主義を生みやすい。

ひじょうにびみょうな状況を、僕らは漂っているのかもしれない。

ウイルス状況のなかで、国民の声を、世界の声を、人間の声を、政治家はどのような思いで聴いているのだろうか。(2020.4/12)

 

上は、ちょうど一年前の4月に(最初に緊急事態が発出された頃に)書いた記事の一部です。

そのままの思いが延々と続いている今なのですが、ちょうど同じ頃に公表された、哲学のマルクス・ガブリエルの小論文にもまた、気がかりな提示があり、いまだ、引っかかっています。

それは、ごく短い文章なのですが、気候変動のことに言及しながら、私たちの時代に対する批評とコロナ収束後の私たちの世界構築へのヒントを、示そうとしていたのではないか、とも思えるのです。

例えば、このような一言があります。

 

人間の自己絶滅はコロナによって、わずかのあいだ食い止められている。コロナ以前の世界秩序は、普通ではなく、致死的なものであった。(引用元 LINK

 

かなり挑発的な言葉の使い方ですが、僕は不自然を感じません。コロナによる困窮も混迷も、本当に、こりごりですが、前のままに戻ってゆくべきかどうか、ということについては、思いあぐねる点がとても多いのです。

この一年のなかで、途方にくれつつ、この東京で虹を見たり流星を見たり、庭に蜻蛉や蛙さえ見た経験もあり、つまり、僕らが、人が、活動を少し減少すると自然の生態系はもとへ蠢き始めるのかしら、と思えるような風景が、やはりいくつかあったし、コロナが無ければ社会がおおむね良かったかというと、それはそれで擬問はある。さらに、危機回避を共有せざるを得ない社会のなかで、同調圧力の発生などを含め、全体主義的な雰囲気をいかに招き寄せないようにするかという点に関しても歴史から学ぶべきことが多く、いま、なかなか複雑な思いをしてしまうのも確かなのです。

上掲の一文の中で、自己絶滅、という言葉が強烈ですが、あながち否定はできないなと思いつつ、この若い哲学者の一言を、時々、読み返します。

本当はどんな世界が幸せなのか。どんな暮らし方が、人間らしいのか。

コロナ収束のその時までに、やはり考えなければ、この今の苦しさは無駄になるかもしれない。

新しい社会について真剣に考える時期の、ただなかにある、のかもしれないと、いま、いまの今、思います。

 

 

 

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ロバート・ウィルソンのメサイア

2021-04-08 | アート・音楽・その他

かなり前になりますが、ロバート・ウィルソン演出の『メサイア(モーツァルト編曲版)』を映像で見た、その印象が、なかなか消えません。

ウィルソン独特の美術とドラマ構築によって、ヘンデルの荘重な宗教音楽が全く新しい次元を獲得し、一見すると非日常的な様式美さえ漂わせるのに、いつしか人間的な喜怒哀楽に落とし込まれ、リアルな出来事のように迫ってくる、それは魔術的な感じなのでした。そして、モーツァルトの編曲により、楽曲がきらきらとした光を帯びているのが、とてもよくわかりました。

演劇やダンスの挿入、重々しい存在感が一種のオペラのように流動し、人物の内面性がくっきりと感じられるように演出されている、その鮮やかさに目が覚めました。

演出という作業によって、この音楽から、神秘的なものが軽やかさとリズムに還元されるのは、実に爽快でした。

聖書、象徴、音楽、身体。それらが独特のスピード感で解体されては消えてゆく。歌手、ダンサー、コーラス、オーケストラ、それらすべてが精密で正確で、舞台という構造物とパフォーマンスという解体行為を共存させ、音そのものの生命をあらわにしてゆく。

いかにも荘厳な聖書劇の音楽なのに、ウィルソンの演出によって、美しく楽しげで、チャーミングなものが、次々に溢れ出てくるのです。

僕は録画で見ただけなのだから、本当のすべてが見えてるはずがありませんから、ナマの本番は、もっともっと、いろんなものに溢れているに違いない、僕は想像しているだけなのだ、そんな思いもありました。

ロバート・ウィルソンが演出する舞台をナマで観たのは『ヴォイツェック』が最後なのだけれど、そのときの驚異的な体験は脳みそに雷を注射されたみたいでした。

ウィルソンの舞台特有の造形感覚、人工的な時空、陶酔、グロテスクなまでの冷却感、、、。

それらが、人間の人間たる匂いをまざまざと感じさせるのだから、すごいことです。

新しいメサイア、ほんとうは劇場に行って感じたかったです。

 

 

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断片3/30:終わらないかもしれない時間(テレンス・マリックの映画から)

2021-03-30 | アート・音楽・その他

終わらないかもしれない、というような感じの時間が、映画にもやはりあるのかなあと思ったのは、昨年末、テレンス・マリック監督の『Song to song』を観たあとのことでした。

初めて観た『シン・レッドライン』でこの人の映画を好きになり、ほとんど観てきましたが、この『Song to song』は、僕にとって最も奇跡的な映画と思えた『ライフ・オブ・ツリー』に並んで位置するような作品と感じました。

この監督の映画は「わかりにくい」と言われることが多いみたいですが、それは、もしかすると映画というものに期待される時間とは異なる時間が、この監督の映画には流れているからかもしれないと、僕は思います。そして、この時間感覚が、好きです。

映画には時間がともないます。ダンスにも、演劇にも、音楽にも、それぞれ時間がともない、その時間にどんな個性が宿っているか、僕はとても楽しみにしています。

時間には、非常に多様性があると思うのですが、とりわけ映画においては、なぜか、多くの場合それは結末に向かって速度を増していきます。そして、結末なる時点には、カタルシスや切断や問いかけが周到に用意されていることが多々あり、まるで観客の期待や満足に応えようとするように、終わって、いきます。

しかし、テレンス・マリックの映画には、そのような時間とはどこか異なった、独特の時間の流れや速度があるように思えてなりません。中断したり反復したりするドラマは、浅い睡眠のなかで見る夢のような断片的で儚い時間のようでもあり、デジャヴのようでもあり、ふとした錯覚のようでもあり、いったい、どこに向かってゆくのか、いったい、どのように終わりを置くのか、曖昧です。

見えるものが断片的であったり、断片的ゆえに意味が不明瞭であったり、ストーリーが把握しづらい、ということが、僕には、かえって、非常に現実に近いものを体験しているように感じるのです。

現実の時間というのは、必ずしも合理的ではなく、実際、おそらく僕が垣間見ることができる世界は、ごく断片的なものだけなのではないかと思います。

終わらないかもしれない、ということは、いつ突然に終わるかわからない、ということでもあり、それも現実と重なります。

僕は自分の人生を把握して生きているわけではないし、予測することも困難で、それゆえ、いまこの淡々と通りすぎてゆく瞬間瞬間が愛おしく思えるのですが、その感覚に、この人の映画は、ちょっと、触れるのです。

 

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断片01/19(ドナースマルクの映画)

2021-01-19 | アート・音楽・その他

すこし前に、劇場なるものについてちょっと書きましたが、去年からコロナ禍のせいで劇場や映画館に行く回数が非常に減ってしまいました。今年はどうなることかと、気持ちがざわざわしております。

コロナ禍が始まって以来、仕事で劇場に行く回数が激減したこと以上に、観客として劇場に行ってナマのダンスや演劇や音楽を味わう機会そのものが非常に少なくなったのは精神的に打撃でした。

その反動なのか、さまざまな方法で、まるで学生時代のように、観れるだけの映画を観ました。が、観るたびに少し空虚を感じもしました。

モニター画面の向こうで大きな音と眩しい光による世界が展開すればするほど、かえって、いま目の前にも隣にも「誰もいない」ということを感じてしまい、この現在の状態、人と人の関わりに制限がかかってしまった現実を、かえって思い直してしまうのでした。

映画を観たと言っても、配信のものを自宅受像機で眺めるのと、映画館に行って観るのでは「場」がちがいます。

昨夏あたりはひととき少し映画館も行きやすくなり、大きなスクリーンや良い音響のせいもありますが、それ以上に、やはり、見知らぬ他人同士が同じ空間で同じものを観ている、という共有感や温度から生まれて来る「場の力」が、作品と絡まりながら心に働きかけてくるのを実感しました。

ところで、映像は「不在」と隣り合わせなのではないかということを、虚しさではなく非常に深い感動に結びつけたのは、フランスのマルグリット・デュラスとポーランドのイエジー・ハスではないかと僕は思っているのですが、近年では、そのような方向を感じる経験には、まだ恵まれません。

それでも、胸に迫る経験を与えてくれたのが、現代美術家のゲアハルト・リヒターがモデルと言われる『Werk ohne Autor ある画家の数奇な運命』という映画でした。昨秋に銀座で鑑賞しました。傑作と思います。

この作品の監督はフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクという人で、東独のシュタージを巡って展開された『善き人のソナタ』で有名になった人ですが、この作品では、ものすごく心理的で繊細なセンスが全カットで感じられ、美しい映像の向こう側からは常に死者の声が聞こえてくるようでした。

人間の暗く切実なものが映し出され、ひりひりするような緊張感と危機感が発され続けるのでした。重厚な、3時間を超える映画でした。

ナチスによる退廃芸術展の再現に始まる冒頭シーンは強烈なインパクトで、それを観た幼い子どもが成長して世界的な美術家に成長してゆく物語がシナリオなのですが、その描かれ方が非常にラジカルで、シナリオの根底に横たわっているであろう語り尽くせない恐ろしい人類の悲劇と不安と怒りが深く深く轟いていて、ものすごい重圧で迫ってきました。

ホロコーストに関わるシーンでは、子どもには見せられない、心に穴があくほど凄惨な描写もありますが、それを超えるドラマが、ひたひたと波打ち続ける時の流れは圧巻で、生命の問題と愛の問題と社会の問題が、怖いほどリアルに混在して迫ってくる感じがあり、観ながら、そして、観終えて、この現代に生きるということの意味深さについて、重く重く考えさせられました。

リヒターとヨーゼフ・ボイスとの関係の描写は本当に感動的で、僕自身がボイスの芸術に出会った衝撃や、リヒターの実物を初めて見た日の衝撃を、あらためて思い出しました。

たとえば、新宿のワコー画廊で紹介されたリヒターの作品を目の当たりにして、あらがえぬ引力により、その場を立ち去りがたくなってしまった経験を、たとえば、青山の草月会館でのボイスの姿と声と存在感と会場の異様なざわめきを、思い出しました。

ある芸術作品に初めて出会う、その時の引力の、その時の衝撃が、この映画をみていると、蘇り、同時に、腑に落ちました。

芸術、と呼ばざるを得ないもの(あーと、とか、ひょうげん、と言い換えるのではなく)が生まれてくることへの畏敬と、現代的なメッセージが見事に重なって響き合う映画ではないかと思います。先に上げた『善き人のソナタ』の印象とも合わせて、ドナースマルク監督という人に興味を抱きました。

 

 

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急な事態による臨時休講や臨時変更などがある場合は、当ブログ最初のページにて告知いたします。しばらくは、稽古の前に必ずご確認ください。

・コンテンポラリー/舞踏(メインクラス)

・基礎(からだづくり〜ダンスの基本)

・創作(初歩からの振付創作)

・オイリュトミー(感覚の拡大)

・フリークラス『踊り入門』(ほびっと村学校「舞踏クラス」)

 

 

 


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クリスト氏の記録を、、、(Walking on water)

2021-01-13 | アート・音楽・その他

 

 

昨年5月に美術家のクリスト氏が亡くなった喪失感がどうにも消えませんが、このたび公開されたドキュメンタリー『クリスト ウォーキング・オン・ウォーター』(アンドレイ・M・パウノフ監督、15日まで上映)を観ながら、あらためて回想し、あらためて尊敬の念をいだきました。

写真はそのチラシ。2016年にイタリアのイゼオ湖で行われたプロジェクト≪フローティング・ピアーズ≫の作業現場をくわしく撮影したもので、芸術作品の実現に付きもののトラブルや人間関係の葛藤、そして情熱の持続の困難さを、包み隠さず映し出される内容。作家の生々しい姿はもちろん、その活動を支える人々の仕事ぶりと熱と心意気がくっきりと映し出されている点は実に的確で、とてもリアリティのあるドキュメントでした。

「フローティング・ピアーズ」は、湖の水面に16日間だけ3キロの道を浮かべて人々が水の上を歩くことを実現する巨大な作品で、1970年代から作業が始まり、東京のお台場で行う計画もあったのが拒否され、2016年イタリアでついに実現したものです。このプロジェクトについて思ったことは当ブログに2017年にも少し書きましたが(link)、その実現された風景は息をのむ美しさです。

クリスト氏と奥様のジャンヌ=クロード氏のお二人が考え実行してきた、想像を絶するスケールの美術の実践は、僕にとっては本当に脱帽すべきことでした。彼らの制作の根にある姿勢と情熱と経済感覚に、僕はとても感動してきました。

一つの発想を何十年かけてでも実現すること。どんなに大きなプロジェクトでも、助成金を受けず、自己資金と売上だけで実行すること。超巨大なスケールで、それらを成し遂げてきたクリストとジャンヌ=クロードの仕事は本当に素晴らしいと思います。

個人が自由に、自立して、自らの責任のもとに、どこまでイメージに忠実で妥協の無い作品を実現できるか。その壮大な実験と決行の人生は、大切に記憶されるべきものだと思います。

クリスト氏の新たなプロジェクトは、パリの凱旋門をまるごと膨大な量の青い布と赤い糸で梱包する「L’Arc de Triomphe, Wrapped」で、2020年4月6日~19日に行われるはずだったのがコロナ禍のせいで延期になってしまい、氏は5月に亡くなってしまいました。意志を継いで2021年9月18日~10月3日の実現を目指して進行中だそうです。故人の心を響かせながら、秋のパリの中心に、どんな風景が出現するのでしょうか。その実現のときに向けて、私達は、その風景を楽しみ遊ぶことができる状態に、世界を回復してゆくことができるでしょうか。

 

 

 

 

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緊急事態宣言発令期間中は日程や時間を変更して継続活動します。臨時変更や休講など含め、当日情報がある場合はこのブログ最初のページに掲示いたします。しばらくは、ご来場の直前に必ずご確認ください。

※ただいまの期間は、ごく少人数で広く間隔をとった、静かなお稽古となります。ご予約は早めにお願いします。

 

 

 


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ダグ・エイケンの映像展示

2020-12-25 | アート・音楽・その他

 

 

 

用があって表参道に行ったのだけど、クリスマスなのに今年はイルミネーションがありません。

淋しいと思いながら、ヴィトンギャラリーに立寄ったら、心が透明に冷却されるような、かつ、現在の自然と人の関係について、じわじわと考えさせられるような空間がひろがっていました。

ダグ・エイケンという作家による《New Ocean: thaw》と題された映像インスタレーションが展示されています。

アラスカの風景、溶けてゆく氷河、氷と水のフォルム、それらが、自然音と電子音とが混合された繊細な音響の中で、非常に美しく映し出されます。

ビデオの6面投影とスピーカーの構成。シンプルですが、実に効果的な映像と音の場が形成されています。

美しいビジョンに囲まれながら、底はかとない崩落感が感じられるのは、個人的な心のせいでしょうか。

滞在する時間によって体験が変わってくる展示かもしれませんが、環境について、環境と私達の関わりについて、いろいろなことを考える時間を与えてくれます。LINK

 

 

 

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石岡瑛子さんの回顧展で、、、

2020-12-04 | アート・音楽・その他

 

 

美しいものには、芯があります。

良い作品には、しっかりした言葉が宿っています。

石岡瑛子さんの回顧展で、あらためて、そう思いました。

彼女がデザインしたポスターの中にいる女性のまなざしには、媚びがありません。可愛く見せようとするような、姑息さもない。

資生堂の、パルコの、覚えあるポスターがずらり。

街で、本で、テレビで、家で、、、何度も何度も見たはずなのに、初めて見るような新鮮さ、そして説得力を感じます。意見がしっかりあるからです。

やはり素晴らしい。しかし、なぜそれらが素晴らしかったのか、ということについて、イマ改めて展覧会という場で見ると、客観的に考えさせられます。

レニ・リーフェンシュタールの再評価となったヌバ族の写真展、タマラ・ド・レンピッカの画集、角川書店の野性時代。ビスコンティの、そして、コッポラの映画、、、。日本公開されなかった映画『MISHIMA』のセットが再現された部屋は息を呑みました。

持っている本や雑誌が、観た記憶があるステージや映画が、展覧会として展示されている。その場に居ることで、それらの底部に流れていた思想や熱を捉え直す、非常に大切な機会になりました。会場の要所要所に掲示されている石岡さん自身の言葉にも、心をつかまれました。

この人は、世間や人目や時代を気にして自分の個を疑ってしまうような弱さが無い、信頼できる芸術家の一人です。

展示はかなり大規模で、落ち着いて鑑賞するなら、少なくとも2~3時間かかると思います。木場の東京都現代美術館。来年2月までだから、まだしばらくやっています。(link

 

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断片11/22(グスタフ・マーラーと、、、)

2020-11-22 | アート・音楽・その他

この数ヶ月、グスタフ・マーラーのいくつかの楽曲を聴きこんでいました。直弟子であったブルノ・ワルターによる録音は非常に古い音源ですが、やはり凄いと思いました。

マーラーは高校生の頃に来日したバーンスタインの演奏会に度肝を抜かれてしばらく聴きまくったのですが、いろいろな出来事のなかで、距離ができていきました。

世界の底から這い出てくる情念をつきつけてくる音の嵐の、あの絡まりついてくるような執拗さを、ある時期の僕は疎ましく思い、遠ざけてしまいました。そして30年ちかくも疎遠になっていました。

再び聴いたのは東日本大震災の直後でした。あの日の東京で極めて少数の人々を前に行われた演奏会の記録映像を観たのです。第5交響曲。断片的だったのですが、心に深く食い込みました。

今年は緊急事態宣言のころから、稽古でいくつかの曲を踊りました。突然の異常事態と不意打ちの空白にとまどっていたときの稽古の選曲に、直感的に出てきたのがマーラーでした。そして、すっかり距離が空いていた彼の音楽との出会い直しは、ほかにも遠ざかっていた様々なものやことに、再び耳や目を澄ますきっかけにもなっていきました。

マーラーの、虚無と闘うかのような過剰な音の波は、いま経験している時代/日々/困惑にも、どこか重なる気がします。

独舞の稽古で踊ったのは、5番の葬送曲、2番の『復活』に含まれる歌曲、そして『大地の歌』。

『復活』は演奏時間が1時間半におよぶシンフォニーですが、深刻で仰々しいほど劇的です。不気味な下降音のしつこい波から始まり、押し寄せてくる「圧」の中から、次第に、悩ましい「歌」が湧き上がってくる。悩ましく絶望的な歌が光を獲得してゆく最終楽章は、音楽による「嗚咽」にさえ思えます。

レッスンでは、5番のアダージェットを紹介し、みんなで踊りました。トーマス・マンの『ベニスに死す』はコレラ禍のヴェネチアを舞台とする小説ですが、これを映画化したルキノ・ビスコンティが非常に印象的に挿入した曲です。

特別な力を感じるのは『大地の歌』です。この音楽のなかで繰り返し歌われる「生ハ暗ク、死モマタ暗イ」(Dunkel ist das Leben, ist der Tod!)という言葉は、まさに現代的な響きで、胸に突き刺さります。

つい数日前に掲載した稽古写真はこれを踊っている一瞬間でした

今、あらためてこの作曲家のいくつかの曲を聴きこみながら、やはり何か異様な重さが吹き込んでくるのを感じています。歌曲にも、室内楽にも、交響曲にも、何かが過剰で、へたをすれば滑稽になってしまうほどに荘厳で、それゆえ、混乱と痛覚に満ちていて、聴きながら、心が深く深く落下するのです。

マーラーの音楽群からは、ごまかしのない心の震えや迷路や絶望感が、洪水のように押し寄せてきます。それゆえに、そこはかとなく恐ろしく、悩ましく、しかし、陶酔的な、危うい美しさが漂うのかもしれません。

 

 

 

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風の教会、光の教会、、、(安藤忠雄さんの)

2020-10-22 | アート・音楽・その他

 

僕には信仰がないけれど、祈りはあります。

闇にさす光に祈ること、さまよう風に誓うこと。そのような、心の内側の行いについて、信徒でなくとも向き合うことができる空間を、安藤忠雄氏の「光の教会」で感じた経験は僕にとっては大きなものでした。

人の住まう街の光が十字架になっている。コンクリート打ちっぱなしの御堂の正面の壁に大きな十字のスリットが空いていて、そこから入ってくる街の光と風と気配が、十字架の役割を担うのです。

そこでは、コンクリートの肌触りや音の反響が、決して冷たくなく、むしろ余計な邪念を洗ってくれるような感じがしたのです。

教会は大阪にあるのですが、東京で行われた氏の展覧会では、実寸の建物が国立新美術館の敷地に建てられ、これがまた感動的でした。

それは展示物として再現されたのだけれど、やはり単にそういうことで収まるわけもなく、それこそ司祭も信徒もいないのに深く祈ることができるトポスが成されていて、そこでまた鮮やかな経験を持つことが出来たのでした。東京の光の教会)

この「光の教会」ともに氏の代表作のひとつとして有名だった『風の教会』が再生されるプロジェクトを伝えたショートフィルムを見ました。※監督をされていた小田香さんはタル・ベーラに学ばれた方だそうで新宿で上映会がありました。

「風の教会」は、六甲オリエンタルホテルの施設として建てられ、同ホテルの閉館とともに使用されなくなり廃墟化していたそうです。

このフィルムに描かれているのは、この廃墟化していた教会に新しい息吹が宿って再オープンしてゆく経過なのですが、僕は、それとは別のことを感じながら見つめていました。

僕は、奈良の古い街で生まれ育ったせいか、廃墟や、壊れかかったものや、古い建築物に言い知れぬ魅力を感じます。

人間がつくった建物でも、それが何かしらの事情で使われなくなったりして、人の手から離れると、思いがけない風化が進み始めることがあります。

風化したり、植物が侵入したり、朽ちていったりするとき、なぜかそこに人ではない別の魂が取り憑いたりし始めるようにも感じます。特別な物音が聴こえ始めるようにも感じます。

時間を吸い込んで、壁や柱や床が、本来に与えられた役割と異なる思いがけない個性を獲得してゆくというのか、廃墟ならではの感触や気配を発してじっと在り続けてゆく、そのような場所に、僕はなんだか魅力を感じるのです。

そんな僕にとって、この映画は、静々としているのですが、すごく無数の声に満ちたものに感じられる味わい深いものでもあるのでした。

ただじっと見つめているだけの時間や、じっと聴いている楽しみを、許してくれる映画とも思えました。

景色のような、いいえ、建築のような映画とでも言えばいいのでしょうか、、、。

12分ほどなのですが、たっぷりとした時を感じました。

 

 

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森山大道さんの写真展、ロシオ・モリーナのダンス映像、、、

2020-09-20 | アート・音楽・その他

 

 

上の画像は、東京都写真美術館の森山大道写真展の展示風景。

なんか、うまく書けないけれど、久々に写真を見て、切なく、?なりました。

写真にすることで風景はサイレントになります。あらゆる動きが停まって、沈黙になって、いろんな気持ちが凝縮された停止図になります。

全てがパッと止まることで、音や動きに惑わされて気付かなかったものごとがぐぐっと立ち上がって迫ってくるのでしょうか。

風景が停まる、それは写真を撮っている人の足が停まったということなのだから、なにかハッとする息も写真からコチラに来るのかなあ。

展示されていた写真には新宿の街角や人が写っているものがいっぱい。

僕は新宿からそんなに遠くないところで暮してきたけど、新宿は時の流れとともにどんどん変わってきた感じがあって、いくぶんきれいになってきたし安全にもなり便利にもなった反面、少し淋しくもあったのですが、森山氏の写真に撮られた「新宿」にはなんだか、まだまだ新宿の新宿的な感情が吹いているみたいで、ちょっと泣かされそうになってしまいました。

眼の奥に焼き付きました。忘れそうもありません。

 

PS:同館の別企画で、フラメンンコのロシオ・モリーナのライブ記録の上映会も観たのですが、すごい。かみわざ、そう書くしかない感じでした。舞台は色々な仕掛けや新手の趣向を織り交ぜた演出だったが、彼女のステップひとつで何もかもがパッと祓われ、原始というか本能的な官能があらわになって、そして急激な沈黙と興奮が同時に出現するのです。ダッと床を踏むその一瞬、あれは落雷です。手拍子と踊りだけの簡素なシーンで息を呑んで、呑んだまま、ずうっと見つめ続けていたくなりました。これは、ものすごい努力、超努力の結果にちがいない、そう思いました。踊りなるものに賭ける人生がこの斬新な踊りを生み出しているに違いありません。とにもかくにも、力がそのまま眼に飛び込んできます。

 

 

 

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作曲家・エンニオ・モリコーネ氏が亡くなったこと、、、

2020-07-07 | アート・音楽・その他

作曲家のエンニオ・モリコーネ氏が亡くなった。悲報です。

僕がこの人の名を知ったのは、たしか中学生の頃だったと思います。観た映画に強い衝撃を受けて、その音楽が心の中で鳴り続けたのを覚えているのです。

『死刑台のメロディ』という映画でした。

それは暗い夜から始まる映画。闇のなかで恐ろしいくらいに延々とつづく足音、警官、泣き声、銃声。叩かれる人、連行される人、叫ぶ人。いったい何が起きているのか。そこに溜め息が出るような美しいメロディが重なり、震えるような歌声が響き渡る。この作曲家がモリコーネでした。歌はジョーン・バエズ。すごいチームです。

この映画が描くのは、1920年に起きたサッコ&ヴァンゼッティ事件のこと。レッドパージを背景とする悪名高い冤罪事件で、イタリア系移民のアナーキストであるニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティが強盗殺人の犯人にでっちあげられ、世界から抗議の声が上がるなか電気椅子で死刑が実行される。偏見、差別、赤狩り、虚しさ、無力さ、怒り、、、。そのドラマの底なしの不条理感や主演男優の圧倒的な演技。それらと音楽の相乗効果がすさまじく、胸にくい込みました。最後の歌は革命歌にも通じるような熱を帯びていますが、つい先日、コロナ禍のなかでバエズは自宅からこの歌を配信しました。それを聴いて久々に感動した余韻がまだ消えていないなか、モリコーネ氏の訃報を知りました。

この作曲家の関わった映画をいくつ観たかわからないです。

ベルトルッチやパゾリーニのものをはじめ、何度観たかわからないほど繰り返し観ている作品もあります。

訃報をきいて、映画の、いいえ、文化のひとつの時代が終わってしまったような気分にさえなってしまいますが、それはたぶんちがう。氏の音楽はずっと響き続け、その響きに感動したタマシイから新たな音楽や文化が生まれてゆくのだと思います。

素晴らしい。この本当に素晴らしい音楽家の、すべての仕事に感謝します。

 

 

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オラファー・エリアソン展『ときに川は橋となる』感想

2020-06-18 | アート・音楽・その他

 

これは僕の影です。

あかるい光に満たされた、がらんとした部屋、

そのなかに入ると、自分の影が光に分割され、

分割された影が、部屋の壁にうっすらとひろがってゆく。

それだけといえばそれだけ、

なのですが、僕はこの作品に魅力を感じてしかたがありませんでした。

そこにある「人と光と影と気配」が織りなす何か、つまり、刻一刻の〈場〉がそのまま作品になっている。

ぽつりと一人で入ってきてしゃがんでいた人がフと両手を拡げてみたりする。なぜか足を止めることもなく通過する人がある。家族連れが色んなポーズをして影絵遊び、カップルが交替でポーズして記念写真をとる、いつのまにか大勢の人でいっぱいになり壁面の影も乱れ舞う、そしてまた、僕一人きりになって静まり返って、、、。

この部屋にじっと居ると、入れ替わり立ち替わり目の前を通り過ぎてゆくさまざまな人の通り過ぎ方や行為が、しだいに脳に染みてゆくのです。

《あなたに今起きていること、起きたこと、これから起きること》

という題名。

なぜか、そのコトバが、胸の奥に刺さります。

まさにいま、僕らは僕ら自身に起きていることに敏感にならざるを得ない時を生きている。

美術に限らず、ダンスだって書物だって、いい作品というのは、作者の思い考え以上に、こちらのことをスッと振り返らせてくれるようなところがあるのかも。そんな気がします。

コロナで封印されてきた展示や舞台が幾つもあります。

そのひとつ、オラファー・エリアソン久々の大規模展『ときに川は橋となる』に出かけました。

金沢でも原でも見逃してしまったから、僕にとって初めての鑑賞体験だったが、予想を大きくこえて考えさせられるものだった。

《クリティカルゾーンの記憶(ドイツ-ポーランド-ロシア-中国-日本)no. 1-12》という作品も特別な印象がありました。会場に入ってスグ脇に展示。

今回の展覧会でオラファー・エリアソンは、作品の輸送によって発生するCO2の量を削減するため拠点のベルリンから東京まで、飛行機を使わずに列車と船で運んだそうです。そして、飛行機を使わないと決めたあと、オラファーは“揺れ”によって線を描く“ドローイングマシーン”を自作し、作品を運ぶ乗り物に搭載し、会場に到達するまでの旅で感知した振動が、そのまま12枚の線画の絵になった、それがこの作品です。

人為でないものが描き出すフォルムやそれによって生まれる空間がこれほどまでに官能的とは驚きましたが、考えてみれば、それはそう、人は、岩肌や砂丘や樹木のうねりに眼を見張り、風や波や地の轟きに畏怖してきたのだから、美を生む仕組みが地球の側にある、というのは実に腑に落ちます。

おのれの魂胆を伝えるために描きこしらえたものとは別の驚異と感激があり、心を掃除されました。

このあたりのことは去年コラボレートをしたルクセンブルクの美術家フランク・ミルトゲンからも感じたことでした。(彼は火山の噴火口から採取した形相や火山灰を僕のダンスに当てた。LINK

僕の場合、踊りは12感覚による感応をどれだけ敏感にしていけるか、そしてどれだけ自分を突っ張らずにいろんなものごとと関わってゆくかということで大きく変わるけれど、これはひょっとしたら美術でもどこか通じる点があるのかしらとも思えます。

もう一点、眼の奥に残ったのは、多くの作品に現れていた「円相」でした。

先に書いたような無行為から生成される形の美や光の不思議から生まれる作品が天智にかかわることとすれば、円というのは人智の極みでもあるように思えます。

ある雑誌サイトに載っていたけど、日本語に自己という概念を明快に定義する言葉がないことに、この作家は興味を抱いたという。これは僕自身も日本人でありながら、同様のことに強い興味を抱いてきました。

「自己という概念を明快に定義する言葉がない」とうのは、日本の文化の重要な一点だと思います。

日本的関係性というのか、「自己と他者を明確に切断しない」ということには「円相」にも重なる深い示唆が先祖から託されてあるような気がするのです。

自我と他我の「あわい」に生まれるものは、特に芸事などでは重要な認識かもしれないと僕は思っています。

自他を安易に区別しないでおくこと、自他のあいだにいかに連続性をもたせてゆくか、いや、存在するもの同士の間におのずからある連続性をいかに意識化するか、ということには、日本の踊りや芸事の多くが大事なものを膨らませ続け得た秘密があるようにも思います。

コロナ状況のなかで、人が人に会えない状況を思い知り、そこから、存在の連続性というものに、興味がふくらんでいるのかもしれないです。

 

 

写真=同展より。上《あなたに今起きていること、起きたこと、これから起きること》、中《クリティカルゾーンの記憶(ドイツ-ポーランド-ロシア-中国-日本)no. 1-12》(一部)、下《サンライト・グラフィティ》

 

 

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