櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

クラス報告(稽古納め2022)

2022-12-30 | レッスン・WSノート

年末は各クラスそれぞれ踊り納め。その一回一回が、やはり印象深い時間だった。

12/28は今年の〆稽古で《オイリュトミー・クラス》関連記事の日だった。オイリュトミーはシュタイナー教育で有名だが、ダンサーにとっては聴覚と運動感覚を深く結びつけることをはじめ「踊る」ために有効な諸感覚の冴えを促す有効なトレーニングとなる。この日は、さまざまな音を聴きとり動き分ける稽古、そして、七惑星の力や特性を表す動きを紹介し体験していただいた。オイリュトミーのために考案された振りの中でもなかなか美しい動きで、のびやかに出来るようになるとかなり気持ち良い。これはエネルギー循環に関わる体験を重ねてゆく稽古とも言えるし、星の力というのは昔の人には音楽体験にも重なるものだったのだから、これは身体と何かを響き合わせてゆく想像力を育てることにも関わると僕は考える。こちらも

12/27の《踊り入門〜ほびっと村学校・舞踏クラス》関連記事では、18世紀の名女優アドリアナ・ルクブルールを巡る文章とベートーヴェンの弦楽ソナタを踊っていただいた。テキストや音楽を傾聴しながら、非常に丁寧に心境の変化や体の動きを体験していることが伝わってきて、同時に、ある種の鋭さと重みがしっかりと感じられた。ルクブルールは演技の自然さが凄くて評判をとったということになっているけれど、それは身体の感度とか、ある種の直感力が、役を呼び込むとか魂を変異させていたのではないかと僕は勝手に妄想していて、尼僧ヒルデガルトなんかとともに想像広がる人物のひとりだ。リアリティというのはどこからどのように訪れるのか、これはダンサーにとっても非常に重要なことだと思う。踊る体の体験を蓄積してゆくことは、リアリティの回路を開発してゆくことに近しいかもしれないと思うし、このクラスを行うときいつもそこを大事にしている。

遡って、先週12/23は《コンテンポラリー/舞踏クラス》関連記事の踊り納め。ピアノの生演奏を行いながらメンバーとのセッションをするインプロヴィゼーションの稽古日だったのだが、この一年のさまざまな踊りの発露や語り重ねた話題がときにフラッシュバックされるような瞬間が何度かあり、新たな年への気持ちが高まるような感覚があった。このクラスではこの日のように生演奏とセッションする日と楽曲研究の日とが交互なのだが、いつも踊りから誘発されて様々なお話をさせてもらっている。今年は踊りに対するコメントからふくらんで、土方さんやニジンスキーやバランシンのような先駆者についての話もかなりしたが、これは事前に計画した解説というよりは、その場その瞬間に生まれてくるクラスメンバーの即興ダンスが触発したのだから、一瞬一瞬の動きに対する思いは、ごく自然に瞬発的に、やはりダンスの根元への想像力を刺激したり歴史へのリスペクトなどにも繋がり結びついてゆくのだと思うし、これからもっと膨らんでゆく予感がする。

12/24は《創作/振付クラス》《からだづくり・基礎クラス関連記事の2クラスだったが、これはどちらもペースが大事なクラスなので、年末年始という雰囲気とは関係なく、あえて淡々と稽古と講義をして、一人一人とのコンタクトとさせていただいた。タイミングをみて、どんなことをやっているかについても少し掲載したいと思っているが、やはり、ダンスにおいて「作品創作」とか「振付をする・受ける」という行為と「からだづくり」「身体認識」という作業は、切り離すことが出来ない深い関係であるのは、ご想像の通り。作品を育てること、身体をケアして基礎的な力を育て保つこと、これは本当に継続そのものであり何か特別なトピックではなく毎回毎回そこに「いる」ということ自体が定点となるのだと僕は考えている。

さて、ここから。

新年の展開、また楽しみで仕方がない。

 

 

 

lesson 櫻井郁也ダンスクラス :ご案内 

コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

からだづくりから創作まで、初心者から取り組めるレッスンです。

各曜日のレッスン内容や参加方法など、上記クリックしてください。

 

Stage. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

櫻井郁也によるダンス公演の情報や記録を公開しております。

作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。

 

 

 


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レッスン報告(櫻井郁也『踊り入門』10/05、07)

2021-10-07 | レッスン・WSノート

アンゲラ・メルケル氏がドイツ首相を退任されたこともあって、このコロナ禍が始まってまもない頃に彼女が行った演説の一部を、クラスの稽古で声に出して読んでみた。あわせて、このコロナ禍を受けて発された文学者の言葉などいくつかを音読し、それらと相まって響くであろういくつかの音楽を聴き、動いたり佇んだりして、時を過ごしてもらった。

共感もあり反感もあり、入ってくる言葉や音があり、そうでもない言葉や音も当然ある。動こうとする瞬間があり、躊躇いもあり、じっと座って聴き込んでいる時間がある。それぞれが自身の内部空間を見つめていることが、すごく伝わってくる稽古になった。

踊ったあとには、ついさっき耳にした言葉のことや音楽の感想や質問に始まり、やはりこの現在この瞬間を生活しながら思っている様々なことが、話題になり、あっという間に時間が過ぎた。

『踊り入門』(西荻ほびっと村学校・舞踏クラス)のこと。

クラス案内に書いている通り、このクラスでは動きの手本や振付をあえて提示しない。ご自身の気持ちを何か自由な体の動きで表し、必要なアドバイスや対話を重ねてゆく。その蓄積が次第に身体とイマジネーションの関わりを深めて確かな力になる。手本や振付を提示しない代わりにと言っては何だが、毎回なるべく色んな文章や詩や音楽や美術を紹介し、可能な限り様々な話題を持ち込んで、心の動きや体の動きのための環境をつくろうとしている。

見様見真似からではなく、瞬間瞬間の自身の心境の変化をよく味わい、同時に、どうすればその気持ちを体に反映することができるのか、という試みや工夫をたっぷり体験して、それから技術のことや振付のことをお教えするクラスに来てもらうのも良いのではと考え、あるいは定期クラスと並行して原点回帰がいつでもできるようにとの思いもあり、このクラスを開いた。受講者の方々のみならず、僕自身にとっても非常に大事な場になっている。

 

10月の開講予定

 

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Stage info. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

ただいま前回ダンス公演(2021年7月)の記録をご紹介しております。次回公演情報は、いましばらくお待ちください。

lesson 櫻井郁也ダンスクラス:ご案内  

 

 

 


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息をきく場所(ほびっと村学校のための記事)

2021-04-12 | レッスン・WSノート
 

《踊り入門》というタイトルで舞踏クラスを担当している「ほびっと村学校」のために書いた文章があり、ご紹介させていただきます。

 成果主義にならない、結果を急がない、味わう稽古というか、とにかく「自分なるもの」と思い切り「ゆっくり・緩く・のんびり・じっくり」向き合う、ある意味で実験的なダンスのレッスンを、ここで続けていて、心に残る瞬間に何度も出会ってきました。

 

 

photo=ほびっと村学校(この奥のドアを開けると畳敷きのスタジオになっています)

 

ほびっと村学校と私 第1回『息をきく場所』  

書き手:櫻井郁也(ダンサー、舞踏クラス講師)

  僕にとってここは息をきく場所です。踊りのクラスを開いているせいか、ここに来ると、いろんな呼吸がきこえてくるような感じがしてなりません。きっと、いろんな人の息が染み込んでいるんだと思います。ここには面白い歴史があり、色んな人の気配や温度が残っています。落ち着く場所です。

 自由学校とでも言えばいいのでしょうか、ちょっと寺子屋みたいかも。あるいは道場みたいな、寄り合い所みたいな、いや、そのどれでもなく、そのどれもでもあるのかしらん。ふだんは何かしらの講座やレッスンが行われていますが、トークやミニコンサートにも、プライベートな話し合いなどにも、いいかもしれません。畳のお部屋の白い天井には月や星が浮彫りになっていて廊下の窓は星のカタチ。数人でのんびりするのも良し、みんなで熱気(あ、いまはちょっとがまん?)も良し、という空間です。

 僕がここで舞踏クラス〈踊り入門〉を始めたのは2007年春、前年にポルトガルでおこなったダンス公演とワークショップの指導経験が原点です。遠い国で、人生の一日一日を心から楽しもうとしている人々と出会い、こんなふうに心を開いておおらかに踊り楽しみ合う場を、舞踏が生まれたこの東京にも開きたいなあ、と思ったとき、この「ほびっと村」のお部屋がふとアタマに浮かんだのです。

 「ほびっと村」とは3回出会いました。上京スグ、初めての子育て、そして、上記のクラス開講、いずれも僕には変化のときでした。

 初めて訪れたときは、このビルの階段が気に入りました。1階から3階までの手すりに隙間なく、びっしりと珍しいチラシが吊り下げられていました。あらゆる種類のワークショップの、図書の、映画の、舞台やライブのチラシ。それを手に取って眺めているだけで、ちょっと世界が広がってくるような感覚がしました。

 ネットがまだ無くて「街」が情報そのものだった頃、たしか1983年の春でした。寺山修司が亡くなり、土方巽が最後の舞踏シリーズを始め、新宿では唐十郎の赤テントがまだまだ評判で、芝居も踊りも言論も、いいえ、世の中全体が、良くも悪しくも大きな転換期を迎えていました。

 2回目の出会いは初の子育てのとき。阪神大震災のあと地下鉄サリン事件が起き、世の中がぐらつき始めていたなかで、安全な食べ物をさがし、信頼できる子育てや生活の智慧をさがしたのです。

 そして3回目の出会いがクラス開講です。僕はすでに舞台活動をしながらあちこちでレッスンを開いていましたが、上述の海外経験を通じて、よりユルくて、より振れ巾のある、「教室」というより「踊り場」を開きたくて、ここを訪ねました。

 明確でないもの、あいまいなもの、定まっていないもの、ぼんやりしたもの、めちゃくちゃなもの、だけど、なんだか気になるもの、そのような、ある種のカオスに光を当てることができる場所。泣く人も笑う人も、いっしょくたに居ることを受け止めてくれる空間。いつでもフラリと踊りに来れる場所。

 そんなイメージを勝手に思いえがいて、それでクラスを開かせていただき今に至るのですが、世界はとてつもなく変化し始め、あの東日本大震災をへて、いまこのコロナ禍に直面し、もう大変なことになっております。

 危機をいかに乗り切るか、いかに復活してゆくか、いかに人間らしく手をつなぎ直すことができるか、というこの時期に、あれこれアタマを悩ませながら、この、まとまらぬ文章を書いております。書きながら、思います。ほびっと村学校、この場所で試行錯誤されてきた底知れない学びや遊びや行為や対話について、それらを通じてこの場所に息づいてきた無限無数の思いや言葉について、、、。

 アタラシイ◯◯、とかいう言葉がちまたを跋扈して久しいけれど、世の中はこれからどうなるのかなぁと、すこし不安でもあります。「ほびっと村」も「ほびっと村学校」も、今はとても大変なのですが、これからは、こういう自由のための自由な場所が、本当に必要な時期が来るように思えてなりません。

 コロナがやわらぎ、本当に色んな人が、一人また一人と集まって、真剣に世の中や人間の未来を探して話し合ったり、楽しく学びを広げていくことができる日に向けて、がんばってこの場をつないでいかなければと、とてもとても思います。ぜひぜひ、遊びに学びに、おいでください!! (ほびっと村学校公式HPより転載)

 

 

 

 

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stage 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

次回公演(2021年7月)の開催情報を掲載中です。

 

lesson 櫻井郁也ダンスクラス 

スケジュール・予約   

平日昼間のフリークラス(火・14時)が加わりました。

 

 

 

 


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レッスン報告(コンテンポラリー/舞踏)

2021-02-27 | レッスン・WSノート

金曜の稽古は『コンテンポラリーダンス/舞踏』、きのうは生ピアノとのセッション練習でした。

セッション。つまり、ともに過ごすこと。これはダンスの原点に触れるような重要な部分と思います。

稽古では、僕のピアノ演奏で提示したものから参加者が踊り始めることもありますが、先に踊りから時間が経過して、それを見つめながら僕が音を入れてゆくことも、あります。

どのように始まっても、いつしか、それは受け答えのようになっていきます。

ただ寄り添っているわけではなく、いかに刺激を交換してゆくかが面白くもあり、難しくもあり、それゆえ積み重ねが活きてきます。

継続する思考がレッスンですが、その中では、言葉では表しにくいこと、言葉ならでは表せること、音楽ならではの発動、身体運動からこその働きかけ、それぞれに特別な領域があるように思います。

音から紡がれてゆく踊りもありますが、踊りから導き出される音楽イメージもあります。あえて異質な空間を音で提起することや、何か語りかけるように演奏することもあります。ダンサーが音を裏切ることもあって良いかもしれないし、音楽がダンスをひっくり返しても面白い。

音と動きの生み出し合うものに、想像力が馴染んできた気がすることもありますが、どんどん広大さが感じられてゆく感じもあります。

いろいろなことを音楽とダンスが起こし合う。

こういうことを繰り返し積み重ねてゆくことから得られるものは独特ですが、ただ、いづれをするにも、必要になってくるのが感覚と技術で、それゆえ単純には展開しませんし、それゆえ稽古つまり継続や積み重ね作業の醍醐味もあるのだと思います。

 

 

 

 

 

 

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舞台活動のご案内です。ただいま次回公演についての開催情報を掲載中です。

 

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スケジュール   

 

 

 

 


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フリークラス「踊り入門」:レッスン報告 1/27.20021

2021-01-27 | レッスン・WSノート

 

レッスン報告が続きますが、、、。

きょうはフリークラス「踊り入門」の開講日でした。

このクラスは、自由に参加し、自由に踊る、ということを通じて、心身を緩め、元気になっていただくためのクラスです。

西荻窪に、〈ほびっと村学校〉という、大人のための学び場があり、体のこと、心のこと、衣食住や子育てのことなど、さまざまな知恵を交わしています。その中の「舞踏クラス」として、このクラスを続けています。

感性のおもむくまま、心のままに、体を動かして交感することは、ダンスの原点とも言えます。

感情がグッと湧き上がり思わず体が動くこともあるでしょうし、どうしたら良いかわからず困ってしまうことや、イメージはあるのに体が反応してくれないこもとあると思います、が、それらいずれもが、体との対話体験なのだと僕は思います。

困ること、考えること、解決にむけて動くこと。これらは芸術の核になるものを与えてくれそうな気がしてならないのです。

ある種のスタイルや方法から一旦意識的に離れて、個々の肉体に向き合い直すこと。

一旦、体ひとつの存在として、土や空気や音や言葉や、何よりも自分自身に、関わってゆくこと。

そのような稽古の積み重ねが舞踏の出発点になると僕は考え、このクラスのレッスンを構築しています。

ひとりひとりが、自分自身から出てくる動きを確かに受け止め、どんな動きにも気持ちを込めてゆく、という稽古を積み重ねてゆくことは、全身に心配りが行き届いたしっかりしたダンスに、必ず結びついてゆくと確信します。

このクラスを始めたきっかけは、ポルトガルでのソロ公演を行った時に同時開催した国際ワークショップでの指導経験でした。それは同時に、舞踏なるものと僕個人の関係を探り直すきっかけでもありました。そのあたりのことは、思うこと多々あるので、またいつか書いてみようと思います。

ほびっと村学校・舞踏クラス『踊り入門』、次回は2月4日。

3月からは昼間のレッスンも追加します。毎月第1第3火曜日14:00〜16:00

ぜひ、ご参加ください。

 

 

 

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stage 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

舞台活動のご案内です。次回公演の日程は1月末までに発表します。

 

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スケジュール・予約   

緊急事態宣言発令期間中は日程や時間を変更して継続活動します。臨時変更や休講など含め、当日情報がある場合はこのブログ最初のページに掲示いたします。しばらくは、ご来場の直前に必ずご確認ください。

※ただいまの期間は、ごく少人数で広く間隔をとった、静かなお稽古となります。ご予約は早めにお願いします。

 

 

 


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オイリュトミーのレッスン

2021-01-26 | レッスン・WSノート

 

 

「オイリュトミー」のレッスンを行いました。

オイリュトミーは、ドイツ発祥の舞踊芸術で、自然な運動で身体的負担が少ないことと感覚の発達を促すため、幼児からお年寄りまでがエクササイズを楽しむことができます。

ダンスやバレエ以外にも、音楽、演劇、教育など、さまざまな分野から注目されてきましたが、その大きな特徴の一つが、「響きとして踊る」ということを目指すこと。つまり、自分の思いや考えを伝えるためばかりでなく、他人の言葉やまわりから聴こえてくる音を受け止めて全身で反響するような意識で踊るということです。

聴こえてくる言葉のもっている力の波や色彩感の広がりを身体で表現する。鼓膜を通じて心に届いてくる音楽の音の戯れやリズムや共鳴を全身運動にして味わい尽くしてゆく。体で聴く。

具体的には、テキストの朗読や音楽の演奏を聴きながら、そのサウンドを丁寧に全身の運動に反映し、それらと共鳴するように踊ってゆくのですが、それは、理解したいという気持ちが踊りになる、ということでもあります。

わかってもらいたい、という気持ちで何かを表現するのとは対極的かもしれないのですが、傾聴し、受け止めようとし、響きあおうとしてゆく、ということもまた、芸術の大切な側面と思えば、納得できる方向性です。

たとえば美術のもっとも基本において目に見える風景を丁寧に描いてゆくことがあり、それが心の落ち着きや注意深さや観察力や妥協のない努力や人間的な成長に関わるのと似て、オイリュトミーは心に映るものを身体表現で描写してゆくとも言えます。

これは実際に稽古してゆくと、かなり感性を刺激するし、何よりも細やかで敏感になってゆくのが自覚できて、なんだか視野が広がってキャパシティが大きくなってゆくようでもあります。

踊りが体が柔らかくするのは当然ですが、このオイリュトミーは、体ばかりでなく「アタマを柔らかくする踊り」と言えるかもしれません。

僕はこれを学んでとても良かったので、ダンサーとして独立してからも練習し続け、希望者とのレッスンもしてきました。いまだに面白さが尽きません。

このごろは、言語オイリュトミーでは、言葉を発する声が放つエネルギーの表現に、音楽オイリュトミーにおいては、音の響きと心身の相互作用に、じっくり取り組んでいきたいと思っています。

長いコロナ禍とオンライン化の中で、僕らは生身でしっかり語り合うことや、音楽に全身で浸ってゆくことから遠ざけられています。この状況ゆえにこそ必要な、心の呼吸とでも言えるようなことが、オイリュトミーの稽古を通じて、できるといいなと思うのです。

興味のある方は、ぜひ、加わってください。

 

 

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舞台活動のご案内です。次回公演の日程は1月末までに発表します。

 

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創作クラスのこと

2020-07-27 | レッスン・WSノート

無心になることmindlessness。これは、何かを生み出そうとする時にいちばん大切なことだと思います。少なくとも、踊りは無心でなければ踊れないと思う。踊りの稽古は無心になる稽古でもあります。無心について、鈴木大拙は no matter where you go,you can’t find out the division between the heaven and the earth,because there is infinity.(『日本的霊性』)と書きます。凄いイメージと思います。無心になって何かを行い続けることを通じて、天と地のあいだが無くなってしまうのだから、これは内的平和の実現ではないかと思うのです。彼に深く関わった音楽家のひとりにジョン・ケージがいます。舞踊家のマース・カニンガムと生涯にわたり共同作業を重ねました。僕はケージの音楽やカニンガムの踊りや発言にふれて、感じるものがいっぱいありました。また、日常に対する愛着が深くなってゆくキッカケをもらった感じもあります。肉体は日常に密着しています。身体にはその人の日常が反映しています。土曜午後の『振付・創作クラス』は文字通り、振付やソロダンスなど、自分でダンスを生み出してゆくことを学んでゆく少人数レッスンですが、今季(夏シーズン)は、ジョン・ケージの音楽を紹介し、そこから感じ得たものからダンスをつくる経験を楽しんでいます。このクラスでは、踊る時間と同じくらい、自由な対話の時間をもちます。それを受けて、僕は何らかの提案をしたり、面白い知識や哲学や方法論について解説したりします。先日7/25は踊りの合間に、いくつか哲学的な話題が出ました。それで、ケージの考えたことに加え、鈴木大拙のことを話しました。また、ケージとは直接関係ないのですが、寄り道をして、岡倉天心の言う「心の交通」のことについても少し話しました。心の交通というのはダンスにとっては核と言えることと僕は思います。ダンス創作は、単に自分の直感や思いを動きにして出してゆくだけでなく、他者との交感をいざなうためにこそあるのだと思うのです。創作という作業のなかで、色んなことを調べたり学んだりすることが積み重なっていきます。そして、自分の思い込みや世界観が、次第に変化してゆくこともあります。踊る、というのは、自分のことを表現する、というよりも、何かに寄り添っていったり、何かと一緒になるように自分を変化させたり、ということにも関わっています。相手の気持ちになるために一緒に踊るというのは自然なことです。踊ることで気持ちと気持ちが溶け合って一緒に変化してゆくのは、ダンスの醍醐味でもあります。ダンスの創作は、ともにある、ということのための作業でもあると僕は思っています。

 

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lesson 櫻井郁也ダンスクラス 

募集情報 

 

 

stage 櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演情報

ただいまの詳しいご案内を、上記サイトにて掲載中です。よろしければ、ご一読ください。

 

 

 


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レッスン報告7/17:コンテンポラリーダンス&舞踏(櫻井郁也ダンス定期クラス)

2020-07-18 | レッスン・WSノート

言葉からひろがってくる動き、いっしょに動くときの動き、そして音楽でかかわってゆくときの動き、、、。ダンスにはさまざまな動きのあらわれがあり、それぞれに良さがある。

7/17金曜日のメインクラスは、ピアノを演奏しながら指導をおこなう日だった。ひとりひとり、その人のテンポで、その人の身体をほぐし、音と関係を始めてゆく。次第に、場も変化してゆく。

コロナ禍のせいで日常生活のなかで気を使うことが増えて久しい。ただでさえ色んな規則をつくってしまう。しかし、それと同時に、規則から自由になろうとする原初的な力が、僕ら人間にはある。そんな力が踊りのなかでふと垣間見えるとき、その人の存在感がパッと明るくなったように感じられる。それは、緊張から解き放たれた瞬間の姿でもある。

やっぱり、気持ちの面でも身体的な面でも、ダンスの稽古は僕らを縛っている何かから少しずつ解き放ってくれる。こわばっているものを、少しずつ解きほぐしてくれる。そのことを、クラスを再開してから、とてもよく思う。

いまは舞台を味わうことも容易くはないし、大勢で盛り上がれるような場もないが、ほんの少しの人とともに静かにゆっくりと身体に向き合ってゆくことならできる。日常にはない空間や音のなかで、丁寧に身体を動かしていると、静かな時間が生まれて、少し心が落ち着いてくる。ダンスを繰り返し稽古していると、不安やあせり、といったものを取り除く働きもあるのがわかってくる。

ダンスは生活に必要なバランスをくれるものなのではないか、とか、ダンスは本来はとてもプライベートでデリケートなものなのではないか、というような事も、ときに思う。

身体がしなやかに動き出す時は、無理な頑張りや欲がとれて、その人の心の魅力が身体に溶け出して自然な状態に戻ってゆく時だと思う。一人一人の人の素敵な所を見つけて魅力を引き出してゆく、というレッスンに、もっともっと近づけていきたい。

コロナ禍のなかで僕のダンス活動はかなり大変になってしまったが、いまは僕自身の原点を見つめ直すときとも考えている。いま、この状況のもと、ダンスのことはもちろん、さまざまな物事の本来の姿を考えずにはいられない。

このウイルスが大人しくなってくれる頃には、僕ら人間も一皮むけているかもしれないな、とか思ったりもする。

苦境は何かのエネルギーに変わるはずだ。

時間はかかるかもしれないけれど、さまざまなものごとの再構築が始まってゆくのかもしれないと思う。

 

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lesson 櫻井郁也ダンスクラス 

募集情報 レッスン活動を再開しました。ぜひ踊りに来てください。

・コンテンポラリー/舞踏(メインクラス)

・基礎(からだづくり)

・創作(初歩からの振付創作)

・オイリュトミー(感覚の拡大)

・フリークラス(踊り入門)

 

stage 櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演情報

舞台活動の再開につきましては、状況に応じて判断いたします。ただいまの詳しいご案内を、上記サイトにて掲載中です。よろしければ、ご一読ください。

 

 

 

 


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レッスン報告:創作クラスstart(毎週土):櫻井郁也ダンスクラス2020

2020-06-25 | レッスン・WSノート

毎週土曜はダンスの「土台・骨組み・基礎力」をつくる日として、〈創作クラス〉と〈からだづくり・基礎オープンクラス〉の2コマを開いています。

きょうは〈創作クラス〉のことを書きます。

これは新たなクラスで、その名の通り創作力や想像力をしっかり引き出して、参加者が各自でダンスを生み出すことを目指します。そして、そのためには基本的な身体技術とダンスに対する基礎知識が必須ですから、そこは丁寧に学んでいきます。

初回6/13は現在集まってくれたメンバーとの話し合い。いま現在についてのこと、いまそれぞれのダンス衝動。ダンスと私たちの時代のこと、現代ダンスの根底にあること、、、。

そして前回6/20のレッスンでは、身体の作業を開始。アメリカの作曲家ジョン・ケージの音楽を紹介し、そこから対話を展開したり、想をさぐったりしたあと、ずいぶん踊りました。

ケージは「4分33秒」という楽曲で有名ですが、現代ダンスの発展ときわめて深く関わった音楽家でもありますし、鈴木大拙をふくめ日本の哲学にも深く通じた人です。当然、僕にとっても重要な存在です。

彼の音楽からは、この地上に音が生ずることの驚き、そして沈黙からひろがる豊かさを思い知らされます。ケージの音楽は響きの哲学とも言えると思います。音と静寂、そこから何を感じ、生み出してゆくか。これはダンス創作において、とても重要な態度だと思います。ダンスは、共にあること。ダンスは響き。まず、そのようにありたいと、僕は思います。

稽古場では、かなりの動きが出て、対話もひろがり、これから面白い展開になりそう。ダンスをいざなう試みがスタートしました。

ダンスやパフォーミングアートはもちろん、クリエーティブなことに興味がある人はぜひこのクラスに入ってください。

 

ところで、創作クラスを開いた気持ちをすこし、、、。

 

僕は創作者として半生を過ごしてきましたし、ダンス学校でも創作教育/振付力の育成を長く担当してきました。僕の主催クラスでは、どのクラスでも即興がかなり定着してきたので、そろそろ、しっかり創作に取組むクラスをつくりたくなり、このクラスをスタートしました。

ダンスには創作・振付がつきものですが、先生が振付することが多かったり、短期的なワークショップが多かったりして、じっくり身につけてゆく定期の学び場が案外少ないです。しかし、創作というのは時間をかけて次第にわかってくるものなので、定期的な場を開こうと考えました。

ダンスは本来は踊る人の心が動きになるものですから創作は自然なことですし、創作というのは年齢も経験も問わない自由なものです。そして、あらゆるものに関連するので学びの範囲も広く、おもしろいクラスになると思ったのです。

学校や大きなスタジオと違うのは、数名のレッスンなので、ゆっくり納得できるように進められること。そして、経験や年齢にまったく囚われる必要がない点です。

個々にふさわしい内容を考え、すべて柔軟に親しみやすく育てていきたいです。

自由に、常識にとらわれないで、自らの想像力でダンスを生み出し踊っていくことは、コミュニケーションがすごく楽しくなるし、人生そのものがきっと豊かになると思います。楽しみ、味わい、しっかり話もして、一人一人が充実を感じられる時間にしていきたいです。

 

 

 

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lesson 櫻井郁也ダンスクラス 

再開情報6月より全クラス再開!!

・コンテンポラリー/舞踏(メインクラス)

・基礎オープン(からだづくり)

・創作(初歩からの振付創作)

・オイリュトミー(感覚の拡大)

・フリークラス(踊り入門)

 

stage 櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演情報

舞台活動は秋の再開実現をめざしており、状況に応じて判断いたします。くわしいご挨拶や前回公演の記録などを、上記サイトにて掲載中です。ぜひ、ご一読ください。

 

 

 

 

 

 


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レッスン報告:コンテンポラリーダンス/舞踏・メインクラス by 櫻井郁也〜2020年6/19

2020-06-20 | レッスン・WSノート

6/19金曜日は、〈コンテンポラリーダンス/舞踏・メインクラス〉の再開2回目でした。

このクラスは毎週金曜の夜、ピアノ生演奏と即興ダンスのセッション日、作品を踊るクリエーション日の2種類の稽古を、ほぼ週替わりで行います。きょうは再開後はじめてのクリエーション日。自粛期間のなかで考えていた新たな作品のことをメンバーに話をして、作品づくりをスタートしました。

まず色んな動きを試したり、動きで対話するような遊びから始めましたが、率直で開放的な雰囲気がすごく出てきて、これはいける、と思いました。

ダンスを通じて、踊る人が互いを受け容れ合っているというか、発見し合っているというか、まさにこれはコミュニケートです。次からの展開がとても楽しみになってきました。

このクラスは、とにかく自由に奔放に踊り、全身のエネルギーを高めてゆくクラス。踊りについてありのまま思いつくままに語り尽くしてゆく現在進行形のクラスです。

じっくりとダンスに関わっていきたい人、真剣に踊りたい人は、経験など関係なく、まずここに参加してほしいです。来週はピアノ演奏とのセッション、即興ダンスの練習日です。さあ、思いっきり、踊りましょう!

 

 

 

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lesson 櫻井郁也ダンスクラス 

再開情報6月より全クラス再開!!

・コンテンポラリー/舞踏(メインクラス)

・基礎オープン(からだづくり)

・創作(初歩からの振付創作)

・オイリュトミー(感覚の拡大)

・フリークラス(踊り入門)

 

stage 櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演情報

舞台活動は秋の再開実現をめざしており、状況に応じて判断いたします。くわしいご挨拶や前回公演の記録などを、上記サイトにて掲載中です。ぜひ、ご一読ください。

 

 

 

 

 

 


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レッスン報告:「踊り入門〜西荻ほびっと村学校舞踏クラス」:2020年6/18

2020-06-19 | レッスン・WSノート

6/18(木)の「踊り入門」では、ちょっと技術を紹介し、体験をひろげていただきました。

ダンスの技術と言っても非常に多様なのですが、きょうおこなったのは、主に身体の動きとイメージが結びついてゆくために必要な、非常に初歩的なのだけれど大切な、センスや感覚にかかわるプログラムでした。

うごくこととうごかされること、うごきの呼吸、うごきと共感性、まあ、いろんな言い方ができるかもしれません。

ある動きを試して、感じて、ということを繰り返しながら、そこに生まれる力学の面白さや気持ちの変化を味わいながら、ちょっと遊び場的な雰囲気が生まれました。

カラダの個性は本当に様々で、プライベートなものなので、その人の現在にふさわしい稽古内容が重要です。そして、ダンスの技術は精神的な状態やイメージ力と密接に絡んでいるので、稽古に折り込んでゆくタイミングがとても重要になります。

いまは人数も少ないぶん、一人一人の身体や動きのディテールがつかみやすく対話も行いやすいので、かなり充実度の高い稽古日となりました。特に重点を置いたのは、関係性を築きながら動きを稽古することでした。

ダンスの技術には一人で稽古することも可能なものと、誰かと一緒でないと稽古できないものがありますが、圧倒的に重要なのは、後者のほうだと僕は長年やってきて確信しています。

とりわけ技術的なものは対面でなければ伝わらないなあと思うことしきりですが、コロナ状況下の試行錯誤を通じてさらに感じさせられ、それはとても興味深い点です。

Avec ici(ともにここで)、というのがダンスの根本であると僕は思うのですが、ダンスの「うごき」は単に空間や時間との関係ではなく、絶えず生まれ消える〈場〉との関係/想像/創造です。状況とか雰囲気とか経過とか予感とか居心地とか好ましさとか緊張や弛緩とか、まあ、かなりいろんなものが重なって〈場〉が生成消滅している。これがカラダをいろいろなことに誘い、さらにカラダとともに変容してゆくのです。そこには〈遊び〉や〈対話〉から生まれる力学や想像力が深く関わっています。個的な領域から出て、さまざまなイノチやカタチを受容してゆくことで、身体にはダンスへの準備ができてゆくのかもしれません。

そのあたりのことを、次の良いタイミングに、また稽古したり話し合ったりできるといいなと思っています。

また、これから毎週土曜日に開講する『創作』と『基礎』の2クラスは、このあたりの「ダンスのカラダ」を獲得することに集中していきたく思っていますので、興味ある方はぜひ参加してください。(下記LINK)

さて、ここから、日々どんなことが起きるか、どんなダンスが稽古できるか、楽しみです。

 

 

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lesson 櫻井郁也ダンスクラス 

再開情報6月より全クラス再開!!

・コンテンポラリー/舞踏(メインクラス)

・基礎オープン(からだづくり)

・創作(初歩からの振付創作)

・オイリュトミー(感覚の拡大)

・フリークラス(踊り入門)

 

stage 櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演情報

舞台活動は秋の再開実現をめざしており、状況に応じて判断いたします。くわしいご挨拶や前回公演の記録などを、上記サイトにて掲載中です。ぜひ、ご一読ください。

 

 

 

 

 

 

 


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オイリュトミークラス再開(櫻井郁也ダンス定期クラス:レッスン報告6/10)

2020-06-12 | レッスン・WSノート

〈オイリュトミークラス〉を6/10(水)から再開しました。

ひさびさのオイリュトミー練習を通じて、身にも心にも新しいエネルギーが注ぎ込まれるようでした。

自粛期間中に試みた沢山のオンライン仕事を通じて、人と人は結局は「会う」ことでなければできないことが多い、特に心のことやコミュニケーションのこと、とりわけ芸術では「会う」ことの重要性を切に感じてきました。

いっぽう、コロナなど予想さえしなかった頃からずっと、踊りの稽古においては、全感覚での対話感と言うか、視聴覚だけでは伝わらないのに同じ場に一緒に居ることで伝わってゆくものがとても重要なことを感じてきました。

それらのことを、オイリュトミークラスの再開では非常につよく確信し直しました。

〈オイリュトミー〉というのはカラダを見せる踊りではなく、カラダを通じて「かかわり」を体現してゆく踊りです。

その稽古は僕にとってはダンサーとして最良のトレーニングの一つだと思って続けてきましたが、いまここにきて、それはダンサーとしてのみならず、一人の生活者として重要だったのではないかと思い直しています。人間関係や、子育てや、自分自身の心の問題にも、実は深いところで強い力になっていたのではないかと、思えるようになってきたのです。

もしかするとこのコロナ禍の状況を経験したからこそかもしれませんが、オイリュトミーとその根にある考えに対して、いま、かなり深く共感し直しています。

僕は、小中学では床体操を、中高で打楽器を、そして18歳からオイリュトミーを習い始め、同時に大学で映画や演劇の演出を勉強し、さまざまなダンスレッスンに通ったりパフォーマンスを開催したりし始めました。やがて自分なりの踊りに専念してダンサー/振付家として活動するようになった後も、オイリュトミーのいくつものワークが日課練習を支えてくれました。その後、レッスンを開いてからも20数年たっていますが、その積み重ねから、他者との心身ともでの交感によってこそ私たちは自分自身を確かなものにしてゆくことができる、ということを、オイリュトミーは教えてくれたように思います。

〈オイリュトミー〉は、語り手や音楽演奏とのセッションで踊ります。聴こえる響きを身振りに置き換えて楽しみ踊るというスタイルです。

澄み切った水面には音によって波が起きます。そのようにカラダをすると言ってもいいかもしれない。自分の内部を静かにして、カラダをリラックスさせて、全感覚を澄ませて、語りや音楽に、ぴったりと寄り添って体を動かし心をこめて踊りにしてゆく、というのがオイリュトミーの基本の取組み方です。

他者に自らを差し出してゆくダンスとともに学べば、ちょうど鏡のように一対になります。「おのれ」の思いを表して踊るばかりでなく、もう一方に、「だれか」の思いを受け容れようとして踊る、ということもあるのではと思わせてくれたのが、僕にとってはオイリュトミーでした。

〈オイリュトミー:EU-RYTHMIE〉というのは、良い律動という意味の造語ですが、そこには深い意味が込められています。

これを創案したルドルフ・シュタイナーの基本的な考え方というのは、僕ら一人一人が自分の人生の中で直面する現実と向き合い試行錯誤して克服してゆくことが、実は、大きな社会的な動きの種となっていて、それはさらに人類全体が成長していくプロセスにも通じている、というものです。

これは、一人の人間の行いが、必然的に全人類の行いに関係してゆくという、いわば社会というのは受け渡しのリズム芸術なのではないか、という解釈でもありましょう。

シュタイナーの考えから始まった思想は「アントロポゾフィー」と呼ばれていますが、アントロポスは人、ソフィーは智慧、ゆえに「人智学」と訳されています。人が人として人の智慧を学ぶ。そんな感じかしら。

レッスン再開初日となった6/10は、このシュタイナーの著作の言葉を聴きながら地を踏んでいく稽古を、まずやってみました。声を聴き、そのバイブレーションやリズムを感じながら、カラダをあたためていく。

眼で読むのではなく、人が読む声を聴いて文章を知ること。さらに、その声を、身体のリアクションで、しっかり受けとめてゆくこと。これは、やってみれば、言葉のとらえ方にも大きな影響があるのがわかります。お父さんやお母さんが子どもに本を読み聴かせることで、子どもが力を得てゆくのにも、似ています。

この日、選んだテキストは『社会の未来』の一部でした。これはスピーチの記録なので、もとより声のものです。そして、内容的には、危機の状況のなかから、社会の未来をいかに構築してゆくべきか、また、そのために、人間自身がどのように自分を成長させてゆくべきなのか、ということについて真剣に考えた軌跡がギュッとつまったもので、かなり迫力があり、また考えさせられもします。

同著は1919年の講演録だから、ちょうどスペイン風邪のパンデミック(1918~1920)と時期が重なります。第一次大戦後すぐでもあります。僕らも紛争や震災をへてコロナパンデミックの渦中にいます。

後にシュタイナー教育として世界に広がる「自由ヴァルドルフ学校」の設立も1919年です。こないだ舞踏クラスで踊った『ダダ宣言1918』(トリスタン・ツァラ)もおなじ時期ですが、このころの出来事や人々の考えたことには、僕ら現代の人間にも共通する問題がすごくいっぱい、あります。

スペイン風邪から世界恐慌へ、そして全体主義社会の出現へ。という、かつての流れを僕らは知っています。それゆえ不安もあるけれど、歴史を繰り返すかどうかは智慧の問題です。危機的状況をいかに克服するかということから、新しく生まれたものが、とても沢山あることも確かだとすれば、いまこの状況からこそ生まれる希望も、あるのではないでしょうか。

シュタイナーの社会論は、有名なゲゼルの経済論と並んで、たったいま多くの国で議論されているベーシックインカムの源流をつくったとも言われています。(この5/29に可決されたスペインのベーシックインカム導入について書いた日記もこんど掲載します。)踊るということは、自分たちの暮らしを受け止め直してゆくということがないと、本当にはなってゆかないのですが、そのきっかけになればいいなあという気持ちもあって、同著を練習にとりあげてみました。

そして後半では、新しい作品の振付もしはじめました。それは、人と人がコトバを交わす、ということについて、悲喜こもごもを含めて想いを馳せ味わい深めてゆくような舞になればいいなあと、思いながら自粛期間中にあたためていた練習作品です。オイリュトミーは、すべてにわたってセッション性が強いせいもあって、人と人の交流や交感という、いわば表現の根幹にある主題を、プロセスとして明白に体験できるのではないかとも思っています。この機会に、レッスンも初心にかえり、もっとも根源的なところに触れていきたいと思っています。

いまやはり感じているのは、最初に書いたような、全感覚的にコミュニケーションが起きているなかでこそ、踊りは踊りならではのエネルギーを発するということです。

 

※ひきつづき、「コンテンポラリー/舞踏メイン」「創作」「基礎オープン」の順でレッスンを再開していきます。いづれのクラスも新しい仲間を求めています。ぜひご参加ください。

 

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『ダダ宣言』からダンスを、、、(6/4 櫻井郁也フリークラス『踊り入門』 レッスン報告)

2020-06-06 | レッスン・WSノート

 

 

いつの日か葬儀を禁止しよう,

そして涙を,

大陸から大陸へと張りつめられた霧笛にとって代えよう。

 

上記は『ダダ宣言1918年』という文章の一部で、作者はトリスタン・ツァラ。そう、1918年はスペイン風邪のパンデミックに重なる時期だ。

6月4日のフリークラス〈踊り入門~イノチとカタチ〉(西荻・ほびっと村学校「舞踏」クラス)では、このテキストを音読して聴いてもらい、そこからインスパイアされたものを踊っていただいた。打楽器演奏や、いくつかの当時の音楽を挿入しながら、イメージを膨らませ、また音読を聴いてもらい、踊り、、、と展開するうち、約2時間の稽古があっというまに過ぎた。

この文章では、矛盾や対立を怖れず、調和を目論むこともなしに、投げ込まれたコトバたちが、とめどないエネルギーの渦を巻いている。レッスンでは、言葉を聴き込み、あるいは肌に浴びて、次第次第に動きはじめてゆく一人一人の身体が、その内側にとてつもない熱気をはらんでいるように感じた。同じ空間で、同じ言葉の響きを受け、さまざまなダンスがあふれて場を満たしてゆく。その瞬間を繰り返し体験してゆくうち、いつしかオドリのカラダというものがつかめてゆく。

レッスンを再開して、ともに踊ること、ともに同じ場に居るということの貴重さを、痛いほど思う。踊ると言ってももっぱら体を動かしていることが重要なのではなく、人と同じところで同じ音や匂いや空気の流れや気配を感じとりながら、ともにいる、ということがオドリのカラダをつくってゆくのだ。物質的ではない筋肉とでも言えるのだろうか。

新しい世界について考えはじめなければ、、、。と思いながら、コロナ禍の日々を過ごしている。ひどい打撃を受けているが、自分だけじゃなくて文化全体が大変なことになっているのが、肌身でわかる。こわい。文化が危機に陥ると、どんなことになってしまうか。

人が人と一緒に食べて、飲んで、歌って、芝居や踊りを楽しんで、というのは、人間が幸せをつくってゆく上で最も大切なことだ。娯楽、という言い方では計り知れない知恵や精神の広がりが、それらの「楽しみ・愉しみ」から生まれてくる。それらを我慢をしていると、心がギスギスして他人に対して冷たくなり、しまいには自分の生き甲斐がわからなくなってしまう。ウイルスに「関係」を壊されないよう、気をつけねばと思う。孤立してからでは取り戻せないものがある。

上記の『ダダ宣言1918年』は第一次大戦が終わりスペイン風邪のパンデミック(1918~1920)が起きた頃に書かれ発表されているが、トリスタン・ツァラはこの宣言をはじめ、多くの作品で人の心や社会の滞りを刺激してやまない。

同じ頃、ルドルフ・シュタイナーは社会の新しい形について講演を繰り返しベーシックインカムの源流とも言える経済論を提起しはじめた。ダンスの世界ではヴィグマンはじめ革新的な踊り手が続々と出現。そして狂乱の1920年代を経て、全体主義の時代が次第に準備されていった。

あの時代の流れが再び起きないようにするには、どうすればいいのか。個々が考える時が来ていると思う。

 

もう酔っぱらいはごめんだ!

もう飛行機はごめんだ!

もうたくましさはごめんだ!

もう尿道はごめんだ!

もう謎はごめんだ!

 

これもまたツァラの言葉、『植民地の三段論法』より。ちょっと好き。

 

 

※写真は粟津潔さん装幀の『ダダ宣言』より、

上:表紙、中:ツァラの頁の一部、下:ピカビアによる挿画の一部

 

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再開情報6月から活動を再開します

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花から、、、(櫻井郁也ダンス定期クラス2020,3/21土:創作、基礎オープン)

2020-03-22 | レッスン・WSノート

 

稽古場のすぐわきが桜の名所になっている。

 

きのうはまさに花見日和で、

それで、きのう土曜日のレッスンは、フィールドワークでもしようということになり、

まず稽古場から外に出て、花を見に行った。

 

さいしょは花を見て、少し話し合って短い踊りをつくってみるつもりだったが、

稽古場に帰って、もう、すぐに踊ってもらった。

満開手前の桜にかこまれていると、とにかく黙って踊るほうが良いと思えてきた。

 

クラスメンバーの立ち居振る舞いには、やはり花の気配を吸い込んだ身体の、なんともいえない感じがあった。

 

言葉にしてしまう前に、解き放ったほうが良いものが、身体にはたくさんある。

花は、そういうものを誘い出してくれる。

 

かなり踊ったあと、自然に話もした。

 

いま、ウイルスから始まって心配事がたくさん増えて、窮屈になっている。

だけど、花からこぼれだしてくる光を浴びて、

そして、身体からこぼれだしてくる動きをすべて受け容れてゆくとき、

僕ら自身もまた、なにか明るいものを生み出すことが出来る存在であることを、

なんとなく思うことができた。

 

世情にふりまわされたり、まわりに気を使ってばかりいると、

日常に閉じ込められて、まわりが澱んでゆく。

 

自由であることも、なんだか難しいもののように感じ、

思えば思うほど何かが遠ざかってゆくような心境になることがある。

そして、いつのまにか、自分で自分を束縛してしまう。

そうすると、ダンスはどんどん遠ざかる。

 

かたく萎縮してしまわないように、僕らは身を振り動かす。

 

踊りを大事にできる人は、好きなものや、好きなことを大事にできる人だ。

自分の好きなことを大事にできる人は、家族やまわりの人の好きなことをも大事にできると思う。

 

踊るということに懸命になってゆく人は、いつか必ずやわらかくなる。

自分自身に対しても、まわりに対しても、やわらかく接するようになると思う。

 

踊りの稽古は、素直に感じることを繰り返してゆく稽古だ。

見えるもの聴こえるものを大切に受け止めてゆく。

そして体の中であたため、ふたたび外の世界に還してゆく。

 

花を見ることから、そんなことを、あらためて思った。

 

lesson 櫻井郁也ダンスクラス  

▶︎定期クラス春季募集中(4月以降に受講を開始する方)

※ただいま、講師がマスク着用のまま稽古進行をさせていただいたり、設備消毒をする場合がありますが、ご理解をお願いします。また、稽古場設置の消毒薬の使用や、入室前などの手洗いを心がけてください。

 

stage 櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演情報  

▶︎新作公演は10/3〜4の開催になりました。ぜひご注目ください。

 

 

 

 

 

 

 

 


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立ちあがる、ことを、、、(レッスン報告2/11:櫻井郁也『踊り入門』at西荻ほびっと村学校 )

2020-02-13 | レッスン・WSノート

2/11の舞踏クラスで、ベートーヴェンの第九交響曲の一部分(第一楽章および第二楽章の冒頭部)を踊った。チャンスがあれば稽古で紹介したいと思って音源を持ち歩いていたのだけど、この日の稽古の空気感のなかで、今この曲を、と思って鳴らした。

立ちあがる、ということを捉え直してゆく稽古だったのだけれど、その一人一人の人が自分の身体を立ててゆくプロセスが、とてもドラマチックに感じたのだ。

僕らは毎日まずは立つ、あるいは、立とうとする。立つ、ことから一日は始まる。しかし、その行為を意識的にとらえ、そのプロセスを解体し再構築するとなると、思いのほかいろいろなことを考えたり経験したりすることになる。

単純な行為なのに、実に面白いプロセスが、そして学ぶべき力学が、立つ、という行為の中には含まれている。自重を感じ、空間を感じ、バランスを感じ、何よりも自立への衝動を感じ生み出しながら、身体を垂直にみちびいてゆく。

私はどのようにして立つのか、と同時に、ヒトはいかにして二足で立ち歩行に至るのか、という問いが、稽古の根にはある。そしてそれは、ダンスの最も基本的な美意識にも結びついてゆく。立ち方には心が反映され、立ち方には生き様が反映される。

稽古では、あなた自身がしっかり表現されている立ち方、を、さがすことになる。いい立ち方、ぴたっと来る立ち方、それが決まったとき、ダンスは始まる。そういうことを、僕は教室で言葉にして語るわけではないが、この日の稽古では、非常に沸き起こっていた。そこに、とても本能的に鳴らしたくなったのが、ベートーヴェンの第九の、それも、いちばん最初の持続音から4度下降の繰り返し、それが重なり合って音の波がどんどん分厚く力強くなってゆくところなのだった。

原爆はボタン一つで世界を絶望に陥れることしか出来ないが、音楽はボタン一つで世界を感動で満たすことができる。その典型のひとつが、この第九シンフォニーだと僕は思っている。

エネルギーが発熱して火になり爆発して光になる、そのプロセスが魂の奥底から現れ出てくる音楽だと、僕は第九のことを思う。その音を、と思えるような空気感が生まれているのを、この日の前半の稽古で感じたのだった。

音が鳴り、その波が身体に伝わり、うねり、揺れ、跳ね、まわる。そのプロセスを目の当たりにしながら、踊ることの素晴らしさを、あらためて感じた。次のレッスンがまた楽しみになった。

 

 


櫻井郁也ダンスクラス Lesson and workshop 

▶クラスの内容と参加方法など

 

ダンス公演情報 Stage info.=Sakurai Ikuya dance solo 

▶櫻井郁也によるステージ、ダンス作品の上演情報

 


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