作風や踊り方が「変わってきた」という感覚を抱いたのは、2017年に上演した『夜』と題した作品からでした。体調も精神的にも調子が良くないのに何かを掴んだ感じがあり、これはどういうことかと感じた、あの本番から後、少しづつ僕のダンスは変わっている気がします。
イメージに身体を合わせてゆく感じから、身体とイメージが互いを侵食してゆくというか、創作したいものを実現するというより、出来上がってくるものを受け止めてゆくような感じに、ということかもしれませんが、とにかく、自分の思いとは別のところから作品が息づき始め、踊りが躍り始めてゆくような感じが、どこかあるように感じるようになったとも言えます。
それを今回の新作の稽古では、また顕著に感じており、自分なりに思い描いてきたダンスというものやパフォーミングアーツというものを見直すきっかけになっています。
きのう稽古した帰りに、ふと、ブータンの音楽家 Jigme Drukpaさんのことを思い出しました。
もう、かなり前なのですが、氏がテレビに出ていられたのを見まして、その発言のなかで「三つのS」すなわち「small,simple,slow」この三つが人間には大事なんだと思う、と言っておられたことを、なぜか思い出したのです。
ブータンにテレビとインターネットが入って子どもたちに急激な変化が起きたそうです。日本の僕らもそうだったのだと思うのだけれど、メディアは豊富な情報と引き換えに、人間と人間の関係から、そして街や村から、何かを奪うのかもしれません。ティンプーが東京みたいになる日は近いのだろうか、とか、ふと思わずにはいられなかったのも確かなのですが、氏の音楽や言葉は、明らかにそのような時の流れに抗い本来を問いかけようとするような心に根差しているように感じてならないのでした。
Drukpaさんは、伝承音楽と現代音楽の相互関係を活動している方という紹介があったのですが、氏の音楽からは音が皮膚に触れ、音と一緒に温度や湿度が毛穴から染み込んでくるような感じが強烈にあり、久しく出会っていなかった感情と柔らかさに、深く感じ入るものがありました。ブータンの風土や宗教性からくるものばかりでなく、もっと広い、僕らの歴史や生活の未来を見据えた父性とでも言うしか仕方がないような心性から発される感覚的なメッセージなのかなとも思いました。
ふと思いだしたのは、レグレッシブな態度、という言葉でした。プログレッシブ、つまり、前進前衛、という態度に対して、レグレッシブ、というのは、振り返ることや退行や解体や、場合によっては破綻をも視野に入れてなお古きを考えることによって「現在」の行動を見直そうとする態度なのではないか、と僕は考えて大切に思っています。
レグレッシブな芸術家というのは、現況ではあまり誉められないのでしょうが、僕は案外そのような態度も大切なのではないかと思いながら創作をしています。外に向かう表現でありながら、内省や傾聴でもある、ということかもしれないです。
未来には、前に進むばかりではなく、あえて一歩退いて現在を再構築する、ということにも意味があるのではないか、という態度が、ブータンのこの人の音楽に感じられます。掛け違えたボタンを外して、もう一度裸になること、という態度なのかもしれません。
前に前にどんどん進む、という段階から、いちど立ち止まってみる、という時期に僕らは入っているのではないかという気が、いま、します。コロナ禍のこの数年の停滞のなかで、それは正直たびたび思いました。停滞しながら、沈黙しながら、貧しくなりながら、どこかで「今まで」を反省している気がします。私は何者なのかと自身に問う。つまり、身の程を知ろうとする、というのでしょうか。それを踏まえた上でこれからの生活を構想するとき、三つのエス(S)、「small,simple,slow」というアイデアは、一つの道標を示している気がしてなりません。
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Stage info. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト
新作公演=2022年 7月30(土)〜31(日)開催。
ぜひご注目ください。
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