千教組(千葉県教職員組合)東葛支部のブログ

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185系の旅

2013年11月22日 12時02分17秒 | 鉄を求めて

鎌倉貸切列車ツアーで使用された185系電車は、国鉄時代の1981年に製造を開始した電車で、普通列車から特急電車まで使用できるというわけわからないコンセプトで作られた電車です。

現在は、東海道線や上越線で活躍していますが、今回のような団体臨時列車に使用されることが増えてきたようです。

子どもたちにとってバスでの長旅は、「動かないこと」 への苦痛で騒ぎますが、デッキのある電車なら走りまわっても車内にいる親に文句を言われることもないので、楽しそうでした。

とくに、上中里駅付近で折り返すために停車時間が40分ほどあったのですが、運転室を覗けたり車掌さんと直接会話できるなど、鉄道好きの子どもにはたまらない体験が味わえたようです。

 

 

 


手賀沼殉難の日 1944年11月22日 (70回忌) 

2013年11月22日 10時26分37秒 | 日記

今日11月22日は69年前の1944年 手賀沼で先生方が教育研究会で湖北小から手賀東小へ移動する最中、手賀沼で船が風に煽られて転覆し教員18人が溺死した日です。

当時は太平洋戦争中であり、男性の先生方はほとんど出征しており、この頃は20歳前後の高等女学校を卒業した方が教壇に立っておられたようで

す。亡くなられた方の出身地は東葛飾地区のみならず、千葉県内の各地に広がり、君津、長生、夷隅、山武、印旛、東総地区から来られていたよう

ことがわかります。

殉難者の中には中学生の子どもがいる方もおり、その息子さんは後に先生となり、東葛教育会館の理事長も務められました。

先日もお会いする機会があり、当時の辛かった様子を伺うことができました。

また、33回忌や50回忌には、我孫子市、柏市、沼南町の各教育長も出席され追悼慰霊祭が開かれました。

残念ながら、このような事実を知る人は、数少なくなってきましたが、千教組東葛支部では、一人でもこの事実を知って頂きたい思いで

このようなページを設けさせていただきました。

詳しい内容は 手賀沼 殉難 で検索していただくことで詳しい事実がつかめると思います。

この事件に巻き込まれた際、溺れながらも九死に一生を得て生き延びられた 当時我孫子東部小学校(現 我孫子第二小学校)加瀬 完 校長は後に、

千葉県教職員組合の初代委員長を務め、その後政界に転身され参議院副議長になりました。

50回忌の追悼慰霊祭に際して配布された資料を 下記にアップしますので、お時間のある方はご覧ください。