北と南の端に位置する毛越寺と中尊寺からスタートが一般的だが、自分らも倣って南の毛越寺から北に上がるコースを選択だ。
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っということで、世界遺産の毛越寺へ!ちなみに普通この読みって”もうえつじ”だよね?実際は”もうつうじ”だ。漢字の読みって難しい?
「毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。
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奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。平成元年、平安様式の新本堂が建立されました。」とのこと。
住職さんが丁寧にマイクで説明してくれ、面白かったし勉強になったね。やはり説明あるとないとでは記憶具合が全然違ってくるのでホント有難い。
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「すべてが燃焼してしまっても日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を今に伝える貴重な庭園として、800有余年を経た現在も、四囲の樹木の景観と相まって、なお変わらぬ美しさを見せている」ってすごいよね。
藤原藤原清衡、基衡、秀衡そして源義経や頼朝など歴史上の有名人たちもこの風景そのものを眺めていたんだよね。この庭園こそが世界遺産の価値があるということだ。
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続いては、すぐ隣の観自在王院跡へ。こちらも世界遺産だ。観自在王院跡は奥州藤原氏二代基衡の妻が造営した寺院の遺跡で、「現世における仏国土(浄土)の象徴的な表現として造営された」資産であると高く評価され世界遺産に登録されることになったそうだ。
ほぼ完全に残っている浄土庭園の遺構ってホント珍しいのだそうだ。
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続いては、同じく世界遺産の無量光院跡へ。三代秀衡が宇治平等院の鳳凰堂を模して建立した寺院跡とのことだ。
わずかに鳳凰堂より大きく藤原氏の強い意欲を感じさせるね。建物の中心線は西の金鶏山と結ばれており、その稜線上に沈む夕日に極楽浄土をイメージした浄土庭園の最高傑作なんだそうだ。どれも復元図と比較しながら当時のいにしえの姿を想像するのも悪くないものだ。
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自称歴史好きの自分にとって1番興味ある高館義経堂へ。その名の通りあの源平合戦のヒーロー・源義経の終焉の地だ。
1189年藤原泰衡の裏切りにあいこの地で妻子とともに自害したんだよね。なんだかすごく怨念というか?独特な雰囲気ある場所で、源氏の総大将として平家を打ち滅ぼしたヒーロー?英雄?とも言える義経の無念さが伝わってくるようだ。
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それでも歴史好きにはたまらない。あの弁慶の主君・義経の最期の時間を稼ぐために立ったまま絶命したという「弁慶の立往生」の場はどこなんだろうか?色々イメージするのもたまらないものだ。
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手前にはあの有名な松尾芭蕉の「夏草や 兵共が 夢の跡」・・・奥の細道芭蕉句碑が寂しげに建っている。この地に初めて立ってみて、ますます芭蕉の気持ちがわかったような?100年にわたり平泉文化を築き上げた奥州藤原氏の栄華や、この地に散った義経公への思いが詰まっているよなぁ〜。
うん、訪れてホントよかった。続いては平泉の顔とも言える中尊寺だ。
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