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フィリピンのほほん生活記ー朝焼けに染められて

フィリピン・タガイタイの景色と日々の出来事を綴ったブログです。

ファミリー会

2022年07月03日 07時54分15秒 | タガイタイ生活記

  本日ののほほん生活記


 2022.07.03. (日) 午前5時30分 曇り 気温 25.4 ℃ 湿度 77.7% 南西 1.8m 軽風②











 亡義父の弟伯父が、我が家の近所の、サブデビションに、ご夫婦で、暮らして居たのです。伯父は、若くして、アメリカに渡り、


アメリカ軍の、アーミーでした。年老いて、退役してからは、子供達とアメリカ合衆国、カルフォルニア州で、暮らしていたのですが、


フィリピン共和国、タガイタイ市の、生まれ故郷の、我が家近くの、サブデビション内に、家を建て、6ヶ月置きに、アメリカと、フィリピンを、


往復する、生活でした。 退役軍人には、年間に1度、往復チケットが、交付されるのですね、其れも在っての、決断だったのかも、


その時の遺言で、フィリピンに滞在中に、亡くなれば、フィリピンの、お墓に入り、アメリカ滞在中に、亡くなれば、アメリカの、お墓に入るが、


子息側と、フィリピンの、大家族には、伝えて在ったのです、3年前頃だったでしょうか、タガイタイ在宅中に、パーキンソン病を、


発症したのです。何度も、外階段や、寝室のベットからも、落下し、其の度毎に、手足の骨折た、顎の骨の、骨折でした。其の度毎に、


タガイタイや、シラン町の、病院への、入退院を、繰り返し、更には、アラバンの、アジア病院への、入院や退院も、繰り返したのです。


最終的に、アメリカの、子供達が、渡比され、今後どうするかがを、相談され、タガイタイの、介護付き老人ホームに、入所する事が、


決まったのです。体調の好い時は、迎えに行き、自宅への、帰宅ですね、そして1週間後には、又ホームに、戻る生活が、続けられたのです。


此の伯父が、軍人だった頃、亡義父の、末の妹叔母が、伯父を頼り、アメリカに渡ったのです。其の叔母も、伯父がタガイタイに、


留まったのを受け、アメリカから、タガイタイに、永住したのです。其処で、親戚は、仲良くしようと、発案されたのが、メンドーサ ファミリー会でした。


 丁度伯父の、奥さんの親戚が、タガイタイのお隣、シラン町ウラバランガイ(最小行政区)にて、リゾート施設を、オープンしたのです。


此処での、ファミリー会を、開催した時の、フォトチャンネルです。伯父はその後、自宅にお帰宅中でしたが、帰らぬ人に、成りました。(涙) 


フィリピン国は、海外就労を、推奨する、お国柄、海外に、其の侭、移住しても、晩年に成ると、生まれ故郷に、戻って来る人も、多いのです。


鳩が帰巣本能から、巣に戻るように、動物で在る、人間も同じなのですね、日本国でも、戦後の、国策に拠り、南米に移住した人達の、


お墓は故国日本を、向けて在ると、聞いた事が在るのです。望郷の心からか、生まれ故郷に、戻りたい心が、潜んで居るのですね、(._.)









 本日の起床は、午前4時30分でした。何気無く、目が覚めたのです。暫し寝ぼけた脳裏を、覚醒するのですが、その時突然、目覚まし時計の、


ベルの鳴る音に、驚いて、ベルを停めようとするのですが、止まりません。ビックリしましたね、段々音が、大きく成るのです。定時に屋上へ、昇りますが、


階下から、軽快なエンジン音が、あのお兄さんの、バイクの音でした。此れから出勤ですね、恒例の夜明けの連呼は、大盛況、サボン(軍鶏)に、


感謝ですね、トライシクル(補助席付きバイク)の、お兄さんも、本日も安全運転で、稼ぎましょうね、本日も好い日で在れと、祈りました。(._.)




 フォトチャンネル   マニラ新聞


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Tomy)
2022-07-03 10:15:12
おはようございます
日本の場合だと、春秋は日本、夏冬はフィリピンが最高でしょうか?
そうすると年に2回、往復しなくてはなりませんが 苦笑
パーキンソン病の治療薬も出てきましたが、病気の進行を遅らせるだけの治療でしかありません
でも遺伝子治療によって、パーキンソン病もそう遠くない日に完治できる病になると思います
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Unknown (タガイタイ.ダニエル)
2022-07-03 12:28:13
  トミーさん・お早う御座います。

 日本とフィリピンは、未だ近いから好いのでしょうが、四季の在る、私の移動は、大変でした。
冬の最中に、肌着一枚で、関空で、
泣いた事も在りましたね、直ぐに防寒具を買い、
出費が嵩みました。勿体ないから、
フィリピンに送ったのですが、タンスの肥やしですね、結論は、寒さの変動の少ない、
春と秋にしたのですが、それでも大変でした。
フィリピンとアメリカは遠いし、
伯父のその時の苦労が、忍ばれます。
 それでも、生まれ故郷には、
帰りたいのですね、パーキンソン病は、
不治の病、モハメッド・アリさんが、
東京オリンピックの、開会式で、
身体を震わせていたと時の様子が、
目に焼き付いているのですが、
あの頃、パーキンス氏病と、
聞いていたのに、現在はパーキンソン病と
云うのですね、m(__)m
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