さて、だるま親爺はこのころ50歳
会社はまもなく倒産。
年齢も節目であり倒産するのを待っても将来性がありません。
さっさと次のステージにと思って辞表を提出しましたな。
何か新規事業はないかと模索しながら、仕事探しをすることになりました。
この頃は就職の氷河期時代ですから大変です。いくつも面接にいきましたがいずれも不合格。
よく言われたのは、何で50歳で先の仕事も決まってないのにやめちゃったの?です。(余計なお世話だ)
また欲もかいておりましたので、年収の高いところを目指しておりました。
そうこうして3か月もすると心細くなり早く何か仕事を見つけないとと焦りましたな。
幸いにも前職での経験から宅地建物取引士の免許をもっておりましたので、不動産屋の門戸をたたいてみたところいずれも採用決定の連絡をいただきました。中でも、通勤に便利なところに就職。
ホッとしましたが・・・。
いろいろな仕事を経験したなかでも他に類をみないブラック業界でありました(だから入社できたんです)。
正直、消費者金融のほうがずっとクリーンで働きやすい職場でしたよ。
朝は9時からですが、夜は12時ころまでが日常で、お客様のアポが取れなければ帰ることもできませんので、毎日遅くまで、チラシの配布です。
通勤時間も考えると家にいる時間は多くて6時間くらい。
やくざ顔負けの上司の罵声と嫌味、弱そうな同僚には蹴りも飛んできましたな。
お客様獲得のためお店の休業日も出勤、かかってくる電話のつかみ合いです。
休みもなく、毎日3時間くらいしか寝ることもできず、フラフラになりながら3か月後に1件の成約が、
半年後に更に1件の契約、以降は毎月1件から2件が成約できるようになりました。
ですが、営業には運も不運もつきものです。
契約が取れなくなるとまた元に戻って、休みも出勤、夜遅くまでチラシ配りの生活でしたな。
まあ、昭和生まれの根性、根性、ど根性で生きてきただるま親爺ですから。
なんとか10年平均年収700万くらいをキープできました。
トップセールスマンは2000万くらいはいきますよ(うらやましい)。
仲介するだけでの稼ぎですからあまり元手は必要ないんですな。
この不動産屋は私が入社後に上場をめざしたんですよ。無謀です。
消費者金融時代は上場会社(最終的に)におりましたので上場の難しさはよく知っておりました。
でも、おかげでだんだんと勤務体制も正常化しまして、後半は楽になりました。
そうこうしているうちに、だるま親爺も60歳。
あと5年働くこともできましたが、営業センスも無くなり、物件の覚えも悪くなりました。
当然営業数字も悪くなりましたので、ここらが潮時と思い、辞表を出しました。
いやな若い上司達ともおさらばですな。
あゝせいせいした。
今は、バイト生活をしながら生計を立てております。
ここから先はまだまだお楽しみの人生を歩んでまいりますよ。
これまでがだるま親爺の仕事履歴の概略でした。
それぞれの仕事では沢山の面白エピソードがありますので、これからもご紹介させていただきます。
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