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粗筋はフランスの政治家失踪を追うジャーナリストの話、というのはほとんどこの叙情詩作品にとって言い訳のようなものに過ぎない。国境越えてギリシャにやってくる難民の姿を淡々としかし彼らに真の敬意を込めて描いている。
アンゲロプロス作品がすごいのは、どうも聖書的な奥深さを映像で描き切ったところではないか。セリフは日本人である自分がバルカン半島の悲劇の歴史に詳しくないというのはあるにせよ、象徴的な難解なことば。つまり、物語を真に語るのは主人公でもナレーション(そんなものないけど)でもなく、映像そのものだ。アンゲロプロス監督の長回しの映像、カメラ目線の限界を打破するために音声の出所を追って360度回る。そして、画面の右から左から現れる光景が因果となって突き刺さるような物語の光景となる。そこには聖書のように意味付けを観る者1人ひとりに委ねられる。
この作品に限らず、アンゲロプロス作品の真の主人公は民衆だ。処刑されたクルド人難民の死体に弔いの歌を捧げる人たち、国境となる大きな川をまたいで行われる結婚式を祝福する親類縁者の黒服が蟻のように隊をなして移動する様子が圧巻。いや、全くセリフのないシーンで大河の向こうから人々が現れた時は何が起きているのかよく分からなかった。向こう岸の人々が単に国境で別たれた親類縁者だけでなく、花婿が向こう岸にいるということが曇り空の映像から読み解いた時の感動はこれまでに経験したことのない唯一無二のものだ。
ベストセラーと呼ばれる書籍、文学賞を受賞した書籍は数多あっても聖書を超えた書籍は今だ出て来ないように、アンゲロプロスという映画作家を越える作家は果たして出て来るだろうか。世紀を超えて語るべきことがないというならそれも致し方ないが、未だ終わりの見えない混乱の数々を稀有なまなざしで見せる作家が今後現れることはあるのだろうか。