DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

宗教の人のつながりとネットの人のつながりは違う

 以前の私の投稿や、マイミク氏の発言で、宗教による人とのつながり再考を促す記事があり、今回それの外堀を埋めることを試みる。
 今日、ソーシャルディスダンシングで人と会いづらい状況とはいえ、ネットでつながる手段が現在の我々にはある。とはいえ、リアルのつながりとネットのつながりはある程度分けて考えるべきである。
 つまり、リアルのつながりは、たとえば相方が悪事をおかした場合でもたしなめるたり叱ったりすることはあってもそれでつながりが途絶えることはないが、ネットでのつながりはそこで簡単につながりが途切れる。
 そもそも人と人とのつながりは幸も不幸もシェアすることが欠かせない。それがないとつながりとしてはとても脆弱だ。家族や親しい友人を除けば、そうしたつながりを媒介できるのは宗教だと思っている。たとえば家族が会社や学校より重要なコミュニティなのは、構成メンバーが違う価値観を持っていることが大きい。会社組織は事業達成のために価値観を強制的に共有する必要があるし、学校だと同じ年代としか関わらないので価値観の広がりに乏しい(それでも孤立しているよりはましで、学校はコミュニティ形成の訓練として役に立つ)。だが家族は、今は2世代が多いが、以前は3世代が暮らしており、世代価値観が幅広い。
 宗教自体が偏った考え方だったり排他的で外側との関係が悪いケースは少なくない。とはいえ、何か外から異質の布教者がやって来て広まろうとしている宗教ではなく、土着宗教として、ご近所をコミュニティたらしめる絆を作る宗教は大変有効だと考える。
 また、コミュニティは現世だけでなく、先祖を敬う形で縦にもつながれる。災害など何十年に一度の問題に対してはこうした時間的に縦につながることも重要。これはネットにはできないつながりである。
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