見出し画像

DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

セルゲイ・ロズニツァ/キエフ@シアターイメージフォーラム

例によって帰省した平日は東東京野暮用めぐり。用事を済ませながら東東京の街の変遷を観察。八重洲ブックセンター跡は、小道まで工事中かよ。神保町の会計検査院と言うガッツリ官庁の入ったビルが普通のオフィスビルになっていた。三省堂はまだ建物建設も始まっていない、仮店舗があるのは知らなかった、でも面倒くさいので、書籍は東京堂で購入。これから渋谷の映画館に向かうが、渋谷もまたタウンウォッチングすべき街。とは言え、コロナ上がりで人混みは避けたい、表参道から歩く。
さてセルゲイ・ロズニツァ、ウクライナの映画作家の作品を観に行く、盛岡には絶対来ないだろうから。
この作品は、ニュルンベルク裁判、東京裁判と並ぶ、第二次世界大戦の軍事裁判、キエフ裁判の記録である。基本的には、ドイツ軍に夜ウクライナ領土での民間人虐殺の罪を裁くものである。
しかし、予想とはまるで違い、なんとも言えない作品だった。もちろん、被告(ドイツ側の将校たち)や原告(生き残ったウクライナ市民)の証言は、想像を絶するむごたらしい虐殺の風景。なのに傍聴席からは嗚咽もすすり泣きも怒りの絶叫も聞こえて来ない。裁判は淡々と進み、また、証言台に立つ人も、まるで原稿を棒読みするかのように抑揚がなく、かつはっきりと証言を続ける。ウクライナ・ホロコースト(その最も激しかったものはバビ・ヤール)のむごたらしい虐殺の証言と、冷徹に裁判が進む風景。この大きすぎる解離を、私はどう理解すれば良いのだろうか。
確かに、傍聴者たちは、証言を聞いて初めて事実を知ったのではなく、実際の現場を見て、もはやトラウマになっており、もはや証言で感情を動かすことさえも怖くてできないのかもしれない。
いずれにせよ、果たしてナチス(裁判ではファシズムと呼んでいたが、そのことも違和感が残った)だけがこのような残虐極まりない民間人虐殺を行ったのだろうか。日本が満州やフィリピンで行って来たこともあるし、日本ではあまり報じられることのない、アフリカや南アジアでの民族紛争(最近ではニジェールのクーデターが記憶に新しいし、アフガニスタンやミャンマーも一体何が起こっているかさえ分からない)もまず我々の想像をはるかに超えた風景が見られるのだろう。
戦争と言うものは、勝ち負けではなく(戦争はスポーツではない)、こうしたむごたらしい風景とセットで語らなければならない。他に言葉では到底説明も表現もできない。
この映画を見た後に、表参道を歩く華やかなファッションに身を包んだ人々にもこの時ばかりは感情が動くことはなかった。それにしても、かなり低い上空を飛行機が飛んでいた。基本的に羽田にはこんな低く飛ぶことはない。台風の影響で低空飛行しているのだろうか。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「映画・演劇・美術」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事