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ほいほいとぼとぼ日記・爺爺刻々

さて、まだ忙しいのであるが答えを

星子:「そこは小樽から西へ6キロの桃内トンネルの近くでーーーす。」
ううう、精子ちゃんじゃない星子ちゃん、答えは残念ながら大ハズレだわさ。写真の説明板が見づらいと思いますが、「オタモイ」という文字が見えるはず。つまり、オタモイ岬という場所なのですよ。
 それでは、詳しくは小樽の有名な蒲鉾屋さんの「かま栄」さんのホームページから引用させていただきます。『オタモイ。街の北部に位置する断崖絶壁を背にする景勝地。かつてこの地に一大リゾート基地があったとは想像だにできない。それは遥か遠い昔・・・・・昭和初期、当時隆盛を誇った割烹「蛇の目」の店主 加藤秋太郎が築いた「夢の里オタモイ遊園地」。彼は「小樽には見所がない」という知人の言葉に奮起し、古来「白蛇の谷」と呼ばれたこの地を“夢の舞台”へと昇華させた。敷地内に遊園施設の他、「白蛇辨天堂」、130人収容の「辨天食堂」を次々と建立。その規模は当代随一と謳われたが、圧巻は切り立った岩肌と紺碧の海に囲まれて断崖に建てられた「龍宮閣」。その威容は京都の清水寺を凌ぐと絶賛され、お伽噺の龍宮城を彷彿とさせたという。最盛期には一日数千人もの人々がこの地を訪れたというが、やがて戦争が勃発、施設は営業休止を余儀なくされた。ところが終戦後、明日に営業再開を控えた昭和27年5月10日、「龍宮閣」は失火炎上 焼失してしまう。その後、「オタモイ遊園地」は再開が果たされないまま、「白蛇辨天堂」は崖崩れで崩壊、時の経過で朽ち果てた「辨天食堂」は昭和52年9月22日、撤去されてしまう・・・・・夢の跡を偲ばせるのものは坂上の丘に移設された「唐門」、遊歩道トンネル、そして「龍宮閣」の「礎石」だけである・・・・・夢の跡に思いを寄せると・・・・・“北のウォール街”を形成した当時の小樽の繁栄ぶりが伊達じゃなかったことが容易に想像できる。当時の小樽人のスケールの大きさは並じゃないと・・・・・悠久の世界に思いは深まるばかりだ・・・・・もし、「遊園地」が現存したのなら、人類史に残る遺産となったことであろう・・・・・現在、オタモイ海岸は景勝地としてニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定され、崖下に入組む地形と碧色に輝く海が訪れる人々を魅了している。夏は海水浴も出来るが、ここの海は大物が釣れる穴場として太公望 御用達の場所として親しまれている(ただし、最近ゴミを持ち帰らないで、散らかしている状況には目に余るものがあります。ゴミは絶対に持ち帰ってください)。また、古くからこの地は子授け地蔵尊の伝説があり、「オタモイ延命地蔵尊」が奉られる信仰の地でもある。張り詰めた空気を感じるのはそのためでもあろう。』
 というわけで、ありますが、実にとんでも無いところにあるのですよ。崖の縁に立つ竜宮城の遺跡を実ながら車で100m以上を葛籠折りの道を10分くらいかけて下り、そこからさらに歩くこと15分。番小屋のような御茶屋さんがあるところが、前回の写真の崖の裏で、岬の先と思われるところ。ちょうど竜宮城のミニ版トンネルが見えると思いますが、その先です。すごいでしょ。

コメント一覧

ほいほい
ほいほい
わかりました。
食道楽
双六
上がりが目黒の双六してよ。
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