七代目蔵元日記

赤城山の自然や和太鼓のことそして日本酒のことを綴っています🏔🍶♬

地蔵ヶ岳の釜蓋地蔵尊はどこへ行った?

2024年03月28日 13時29分57秒 | 赤城山
赤城山のことをネットで調べていると地蔵岳山頂の不思議な画像がありました。それがこの写真です。今はどこにもこの地蔵尊は見当たりません。

ヤマップブログの平成13年(2001年)10月21日のブログに次の記述と画像があります。
「山頂部には地蔵岳というだけあって、石のお地蔵さんが立ち並んでいて、そのそばには釜蓋の上に真新しい釜蓋地蔵尊が立っていた。脇の「釜蓋地蔵尊復元記念之碑」由来書によれば、明治の廃仏毀釈で昔からの地蔵尊は壊されたらしいが、壊されたのは釜蓋とお地蔵さんだけだったようで、回りの三輪塔や水鉢等は古びていた。
 ≪釜蓋地蔵の由来≫:下記は説明板のまる写し
 地蔵ヶ嶽の山頂は、中世の頃より禅頂と云われ、先祖の霊の集合の地として麓の村一帯に信仰されておりました。応永十三年に鋳銅製の地蔵がこの地に奉納され、釜の蓋の上に安置されて、珍らしい行事が執り行なわれて来ました。この釜の中には、先祖の霊が封じ籠められていたと伝えられ、その頃より毎年盂蘭盆を間近に控えた旧暦七月一日になると釜蓋が開けられ、霊者は赤城山を下り、十三日の夕方に旦那寺の門を潜り、御本尊に挨拶を済ませ、迎えに来た人達に連れられて、生家の佛壇に納まりました。その日を麓では、迎え盆と云っております。盂蘭盆供養の済んだ十七日になると、叉生家の人達に見送られて赤城山の地蔵ヶ嶽に帰り、釜の中に封じ籠まれ、釜蓋の行事が終ります。
 この地蔵尊は、明治二年、廃仏毀釈により取り除かれましたが、私達は、地蔵ヶ嶽の古事を偲び、ここに石佛として釜蓋地蔵尊を復元いたしました。」




ヤマップの平成17年(2005年)8月10日のブログには次の記述と画像があります。
「地蔵岳は赤城山の中央火口丘で安山岩質溶岩からなる円頂丘です。またこの山は古くから祖霊の集まる山とされてきました。
 山頂に立つ釜蓋地蔵尊は今は石造りですが、昔は鋳銅製でお盆になると麓の人たちによって釜の蓋が開けられました。そして祖先の霊が各家庭に戻っていったのです。お盆が終わると再び蓋は閉じられました。
 今、山頂はマイクロ回線のアンテナ群が林立しています。以前はロープウエイに乗って簡単に登ることができ観光客で賑わいましたが今は運行が停止され以前の賑わいはうそのように静です。
 この日は朝から曇でしたが八丁峠から登り始めました。木の階段を登り、やがて林の中を抜けると草原の斜面になります。花が豊富で写真を撮りながら登っていくとやや荒れて草がはげた様になった頂上に着きました。登り始めて40分ほどです。頂上には8時10分に着きました。ここで朝食です。
 ところがそこで雨が降り出しました。ロープウエイの廃屋で雨宿りをしてみましたが雷も鳴り始め、合羽を出して着込み急ぎ下山をしました。20分で帰りましたが雨は止みません。結局、登山客には一人も会いませんでした。花の写真は上毛三山の赤城山にもあります。」


そしてヤマップの平成18年(2006年)8月11日のブログには次の記述と画像があります。
「この日は朝起きるとどんよりとした曇り空でした。でも予報では午前中は晴または曇なので山に出かけることにしました。目指すは赤城山の地蔵岳です。昨年は8月10日に八丁峠から登っているので今年は大洞口から登る事にしました。
 大洞駐車場に車を止めて8時にスタートしました。林の中の岩の多い道を登ること約30分で林が途切れ、視界が開けます。ここで赤城少年自然の家からの道と合流します。再度林の道になり、10分ほどいくと視界のよい平らなピークに出ます。
 一度少し下り、林の中の道を歩くこと10分、林は途切れロープウェイの駅の有ったところから地蔵岳の頂上に出ました。ここまで約50分でした。去年は見た釜蓋地蔵が今年は有りません。どうしたのでしょうか。」


つまり平成17年(2005年)8月に在った釜蓋地蔵尊が翌年には無かったということです。

「写楽爺の独り言」平成18年(2007年)08月07日のブログには 次の記述と画像があります。
「昔撮ったフィルムのデジタル化作業を行った。
その内夏場に相応しいものをアップしています。
群馬県のほぼ中央にある赤城山。
日本百名山にもなっている関東有数のカルデラを持つ複式火山。
「赤城の山も今宵かぎり・・・」の国定忠治の物語や「名月赤城山」の歌で有名。
山登りはしない私たちはリフト・ロープウエーで地蔵岳に登った。(現在は廃止されたらしい)
地蔵岳山頂には「釜蓋地蔵尊」が立っている。
昔は鋳銅製でお盆には蓋をあける慣わしがあったと言われるが、現在は石造で復元されたものである。」



ヤマノススメ巡礼マップの令和5年(2023年)7月20日のブログに次のような記述と画像がありました。
「赤城山の地名には三途の川、賽の河原、血の池、六道の辻など、冥界に因んだ地名が多く、古代では赤城山域を現世とあの世を繋ぐ聖域として信仰していた。 中世頃では地蔵岳信仰が盛んになり地蔵岳山頂に銅製地蔵尊が安置された。地蔵菩薩は地獄から亡者を救済する仏と信仰さており、毎年7月に足元の釜の蓋を開けると地獄の釜が開き亡者が家に帰れると言った信仰が見られた。 明治の廃仏毀釈で銅製地蔵尊は破壊されたが、近世になって石造の釜蓋地蔵尊を復元して、釜の蓋を開けるとご先祖さまが冥界から帰ってくるという行事を前橋の寿延寺と檀家で行われていた。が、それも10年くらい前に廃止となった。 現在の地蔵岳山頂には不動尊は居ないが、中世の五輪塔や板碑や六地蔵などが見られ、信仰の厚かった往時を忍ばせる。」

 

以上をまとめると応永十三年(1406年)に鋳銅製の地蔵尊が奉納され、祖霊信仰に基づく行事が行われてきたが、明治二年(1869年)の廃仏毀釈で取り壊された。現在残っている六地蔵の首が無いのはこの時に破壊されたものである。その後画像にあるような石仏が釜蓋地蔵尊として復元された。地蔵岳山頂へ登るロープウェイは平成10年(1998年)に廃止されたが、釜蓋地蔵尊は平成17年(2005年)までは山頂にあった。そして翌年にはどこかに移設されて無くなっていたということです。

前橋市六供町の寿延寺は大洞赤城神社の別当でした。

別当寺とは(以下WIKIPEDIAより引用)
別当とは、すなわち「別に当たる」であり、本来の意味は、「別に本職にあるものが他の職をも兼務する」という意味であり、「寺務を司る官職」である。
別当寺は、本地垂迹説により、神社の祭神が仏の権現であるとされた神仏習合の時代に、「神社はすなわち寺である」とされ、神社の境内に僧坊が置かれて渾然一体となっていた。神仏習合の時代から明治維新に至るまでは、神社で最も権力があったのは別当であり、宮司はその下に置かれた。
別当寺が置かれた背景には、戸籍制度が始まる以前の日本では、寺院の檀家帳が戸籍の役割を果たしたり、寺社領を保有し、通行手形を発行するなど寺院の権勢が今よりも強かったことがあげられる。一つの村に別当寺が置かれると、別当寺が、村内の他のいくつかの神社をも管理した。神仏にかかわらず、一つの宗教施設、信仰のよりどころとして一体のものとして保護したのである。
また、神道において、祭神は偶像ではない。神の拠代として、神器を奉ったり、自然の造形物を神に見立てて遥拝しているが、別当寺を置くことにより、神社の祭神を仏の権現(本地仏)とみなし、本地仏に手を合わせることで、神仏ともに崇拝することができた。
別当が置かれたからといって、その神社が仏式であったということではない。宮司は神式に則った祭祀を行い、別当は本地仏に対して仏式に則った勤行を行っていた。信徒は、神式での祭祀を行う一方で、仏式での勤行も行った。神仏習合の時代には普通に見られた形態である。
明治時代の神仏分離令により、神道と仏教は別個の物となり、両者が渾然とした別当寺はなくなっていった。

令和6年(2024年)3月11日に寿延寺を訪れ遂に釜蓋地蔵尊を見つけることができました。











釜蓋地蔵尊復元記念之碑

(裏面)
奉納
復元起案人 群馬県勢多郡東村花輪九六○の四番地
      星野 岑
同   右 群馬県沼田市下沼田町七三九番地
      西山 晴
昭和五十三年七月二十日 建立

釜蓋地蔵の由来

地蔵ヶ嶽の山頂は、中世の頃より禪頂と云われ、先祖の霊の集合の地として麓の村一帯に信仰されておりました。応永十三年(※1406年)に鋳銅製の地蔵がこの地に奉納され、釜の蓋の上に安置されて、珍しい行事が執り行われてきました。この窯の中には、先祖の霊が封じ籠められていたと伝えられ、その頃より毎年盂蘭盆会を間近に控えた十歴七月一日になると釜蓋が開けられ、霊者は赤城山を下り、十三日の夕方に檀那寺の門を潜り、ご本尊に挨拶を済ませ、迎えに来た人に連れられて、生家の佛壇に納まりました。その日は麓では、迎え盆と云っております。盂蘭盆会供養の済んだ十七日になると、又生家の人達に見送られて赤城山の地蔵ヶ嶽に帰り、釜の中に封じ籠まれ、釜蓋の行事が終わります。この地蔵尊は、明治二年、廃仏毀釈により取り除かれましたが、私達は、地蔵ヶ嶽の古事を偲び、ここに石佛として釜蓋地蔵尊として復元いたしました。

(裏面)
昭和五十三年○○○○
赤城山ロープウェイ株式会社
  ○○○○
  ○○○○
寿延寺
 寿延寺(群馬県前橋駅)のアクセス・お参りの情報 (天台宗)|ホトカミ (hotokami.jp) 
大洞赤城神社
赤城神社 (前橋市富士見町赤城山) - Wikipedia

















































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